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ていねいな暮らし好きなくせに草してごめん

私は『北欧、暮らしの道具店』でお買い物するのも大好き。『チャポンと行こう』も聴いているしYouTubeもほぼ観ている。
昔からていねいな暮らしをお届けする方や、マガジンハウス系の出版物、『&premium』『天然生活』『暮しの手帖』なども大好き。

だけど正直な気持ち。ちょっとツッコミを入れたくなる時がある。無害系コンテンツ「ちょっと無理」になる時が。

古民家、カフェで暮らす真冬の朝、
モーニングルーティンとかしょうもな
これってただのモノ自慢ですよね
上級国民のお戯れじゃん

上から目線で「お前の暮らし方は間違っている」と言われているようなものだもの。
山の奥で木造の素敵なお家を建てて暮らすライターさんも、編集者さんも、どうしてその暮らしができるのか。
要は、経済力の格差を見せつけられている。
経済力の高い、かつセンスのある、もしくは理解のある旦那さまをゲットした、ラッキーな女の姿を見せつけられる。

例「うつわの高台が好きだから洗い物は裏返しにして乾かしています、うふふ」って話すママ。雰囲気ピアノとコピーが流れて。
企業から「こんな暮らしって素敵でしょ、素敵なって思ってね」って『思わされてる感』が「カンベン!」と思うんだが、まぁ「ガチレスすんなや」って話でしょう。野暮よね、ごめん。

こうやって素敵なものに素直に素敵と言えず、クサする人間がいちばん嫌われる。波動が低いから近づかないほうがいい。第一、私がクサする原因は、私の絶望とねたみと嫉妬が根底にあるから。

クラシコムやメディア系の仕事でバリキャリで子育て主婦で、おしゃれな部屋に暮らすことがトップオブトップの成功者の設定であり、夢叶え組である。
気軽に買わせる為のプロパガンダ広告だから、すべてが茶番。
どんなに綺麗にパッケージして着飾って、成功者たちの「私の成功ストーリー」を聞かせられても
それってただの広告を見させられているだけなのです。

『北欧、暮らしの道具店』で7ルール的な輝く女性として出演できるのも、雑貨を次々購入して豊かな暮らしが送れるのも、バリキャリ早めにリタイアし軽井沢や葉山に移住出来る、一部の特権クリエイティブ職だけがたのしめる夢のような世界に思えてくる。絹のインナーを着て、毎朝と白湯飲んでととのえて、瞑想とアーユルヴェーダをやる成功者のみが優越感に浸って、自分に憧れさせ物を買わせようとする。「なんにもこだわってないよォ」と言いながら棕櫚のほうきでサササッとはく!

うつわのこと詳しいと、丁寧に暮らしてはる感じはする。次は釉薬の話、次は窯ん話もしだしそう、なんて思うです。陶芸、染色、手づくりのお洋服、鉄フライパン、ガラス工芸って「雰囲気職業扱い」されがち。
でも実際こういう職人業は賃金も低く、汗だくになりながら、ていねいに「うふふ」なんてやってる余裕なんてない。いくらうつわ好きでも裏返して乾かすってそれはない。

ていねい系の7つの罪

現実を見ずに職人に憧れる若者が増える

職人系の仕事を日本人は、素敵っぽいことをしている何か、キラキラした虚構に上げ過ぎている。それがいかにも「正しいことをしている」「カッコいい」職種あるかのように。
若者に正しさと夢を抱かせて、日本総労働マルチ化現象が起きている。工芸美術ファッション、メディアは「いい感じ」のお仕事で、皆がみんな憧れる。皆、麻の質のいい服を着て、穏やかに「うふふふっ」て笑う。黒木華さんのような天使のような雰囲気を纏って。

自己卑下して買えないものを買いに行くなんて自分の足りない部分を、自家中毒的に自分で刺激しているSMだ。

もはや皆使いすぎて無個性といえるアラビア


梱包も含めて可愛かったけれどすぐ割れた

これは買ってよかった


それっぽい感じ、それっぽい暮らし。シンプル、色のない生活。いそがしい朝は自分がしんどくない範囲で家事を。特集皆の『しあわせな朝食ダイアリー』を覗く。朝は忙しいからパンと卵を焼く。
最近の傾向は「ずぼらでダメな私でも受け入れて、愛していこう」というメッセージ。
朝食メニューを拝見すると、ベーコンやシャウエッセンを多用している方が多く、小麦粉+砂糖食で、正直、体にやさしい健康な食事にはあまり見えない。朝からシフォンケーキ焼いてる方もいて、それもないなーと思ってしまう。

昨今ていねいな暮らしを送りたい若い男性が増えていると聞く。YouTubeで「ていねいな暮らし」と検索する。
何これ、ちゃらちゃらと軽薄な、それっぽい「誰かのスタイルの真似」でしかない。古民家暮らしとかヤフオクで古道具を買い集めて、資金力だけはありいいモノだけは揃えている。
それっぽいだけで中身がない。物を捨てさせ、あたらしく消費させられている。2010年代以降のピンタレスト的、雰囲気だけでバズればいいノリ、中身のないゆるふわな世界。皆「素敵〜、真似したい!」とか言うけれど「正しさから移住やってるの?それでいいの?」と聞きたくなる。

3年ほど前に自分へのリタゲ広告で散々流れていた『青葉家のテーブル』を、最近ようやく観た。映画のインテリアや衣装はやはり素敵だ。ただ問題は、映画が室外に出ると急に映像がおしゃれじゃなくなるところ。映画には、プールとか、カフェ、画塾、古民家、猫、植物、陶器、コーヒー、朝時間、スケボー、YouTube、Zineが、文化的な意味もなく表面的なアイテムとして出てくる。製作者が90年代引きずって、未だ広告業界のいちゃいちゃを見せられる。全てがちゃらちゃら、軽薄、表面的。

そして映画から香ってくるのは「わたちの〈スキ〉を詰め込みました、あなただってお好きでしょう?」
ウザ!と反応しちゃうけれど、ほんとうは私も好きなくせに、ほんとうはこんなお家に住みたいくせにねって掌握されているんだな、また。だって資本主義だもの。

2005年の『かもめ食堂』のヒット以降、同じような商業映画はいっぱい作られたけれど、例えばペンションメッツァ/パンとスープとネコ日和/吉本ばななさんや益田ミリさん原作関連 (とある人がこれらを人の心を掻き乱さない『無害コンテンツ』と呼んでいて言い得て妙と思った)
映像も美しくおもしろい脚本で映画という形に昇華させ成功できたのって『かもめ食堂』と『人のセックスを笑うな』くらいじゃなかろうか。

しかし、もうこういう電通発案の紋切型なものづくりは皆ウンザリなんじゃなかろうかと、観客ながら思ってしまう。

ボロ切れみたいに使い古され続ける渋谷系、雰囲気だけのゆるふわ世界。クリエイター達ためだけの世界。
「おしゃれ、やさしい、かわいい」世界を一任させられている方が、実際ずるずる数名いらっしゃって、映画でも出てくるセリフが
「そうやって皆の理想、背負っちゃって」
「はぁぁ、嫉妬?」
だった。

人をカチンとさせる天才か。なぜ全キャラクターが腹立つ人物造詣なのだろうか。

そして室内インテリアの「おしゃれ、やさしい、かわいい」世界は、アプリをダウンロードし購入ポチすればお手軽にまんまと夢が叶えられる。
なんて戦略的か。

今ドキの要素と90年代を色ぼかし役で引っ張り出されている感の出演者(ラランドニシダとか。ホ・オポノポノ関連でよく引っ張り出されていたモデルのShihoさんとか、それっぽい人が映画にも出てきたけれど決して当事者は出てこないのである。

カジ君もDMC以降、おもちゃみたいなアイコンとして日本映画に擦られ過ぎである)
ちなみ田舎者の私が初めて行ったライヴは地元図書館で行われたカジ君のコンサートだった。映画観終わって、Mini Skirt『SIESTA / 君のハートのナチュラル』を久しぶりに聴いたらやっぱりよかったけどね。

だから観ている方を共感性羞恥とねたみと嫉妬で水責めにしてくるこれらの世界に言いたいことはたくさんある。
(意外とそういう視聴者は多そう。だから北欧暮らしの道具店のYouTubeはコメントオフなのだろう。そんなことも分かりきって映画なんて作られるだろう)北欧さんは、皆の理想を背負っている自覚があるだろうし、クサが牙に変わると実際大変そう。それでも立ち続ける企業の皆さんはタフだなと思う。

これじゃまるで柴咲コウさんに色々物言う人たちと同レベだ。エレガント人生の「丁寧な暮らしに支配された人達」コントみたい(クサしてもあそこまでユーモアで昇華できたら最高だが)

私もていねい系にいちいちクサしながら、「クサするお前の心が腐っているからそういう風に思うんデショ」と烙印を押されることを、何より恐れている。
この偽善的なダブルバインド、嘘つきばかりで誰も本音を言わない環境もていねい系ワールドのしんどさのひとつである。

映画では心がザワッとしたが、ほんとうは私も好きなくせに、ほんとうはこんなお家に住みたいくせにってところが本音である。それを掌握されているのが、また癪に触る。

何がこんなに引っ掻かるのだろうと考えてみれば、
ていねいな暮らしコンテンツを観れば観るほど
経済的格差をこれでもかというくらい見せつけられるからだろう。

私は中古リノベーションの、素敵なマンションに住めないし、一万近くする古道具も選ばないし、3千円以上する藤カゴなんて買えないし、水切りカゴも6千円する有本葉子さんのモデルを迷った挙句、結局百均で買った。

〈憧れ〉の暮らしなんて幻想だ。
暮らしなんて全人間誰も作ろうと思って誰も作っちゃいない。

こんなんばっか言って、クサして、私が意地悪すぎるだけ。ただの嫉妬じゃんって言われれば両手挙げます、撃たないでください。

こんな私にも、ていねいな暮らしを送らんとする友人がいる。
渋谷系からmixiの森ガール、カメラ女子を辿って、現在はヒーラー目指している。地に足つけず、努力もせず、いつかパートナーと森の中で小屋を建てて自分のお店をオープンしたいとか言っていて、内心「大丈夫そ?」なんて思っているけれどそれこそ大きなお世話。
きっと私は彼女にとっていちばん恐れているものを見せつけている〈不吉な存在〉なのだろう。おしゃれで豊かな暮らしとは真逆にある、老いと病気と孤独と貧困の現実。私と会った日は、自宅でセージを焚くのだろう。
私だってこうはなりたくはなかった。観葉植物をお迎えして、ベランダで家庭菜園をして、オーブンでお菓子づくりをして、北欧を旅して、ええカメラで写真を撮って、カフェか古本屋をオープンして、Zineとか作っていたかったよ。

ていねいな暮らしはもはや飽和状態。
ていねいな暮らし系企業にだって戦略マーケティング鬼十則があるだろう。だとすればこんなところだろうか(ただの私の妄想です)
ただただ可愛くあれ(髪型さえ綺麗にしておけばそれなりに見える)
憧れさせろ
豊かさを自慢せよ
欠乏感を抱かせよ
簡単に真似をさせろ
ダメな「私」も肯定せよ
ダメな私でも夢が叶うストーリーを見せよ
埋めることで満たされよ
多くをいっぺんに揺さぶろうとするな
物を捨てさせ、気軽に買わせろ


それにしても、体力を使う。精神がすり減る。ていねい、天然、北欧の世界にクサしてばかりでほんとごめんなさい。

私はなぜか、文章を書いたあと、他人に対して横柄になってしまう傾向がある。
感情が波打ってる状態で、自分のことばかり考えているから。自分に矢印が向きすぎている。
それってやっぱていねいで幸せじゃないんだと思う。

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