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選民意識とデザイナー

会社に、とても仕事のできるグラフィックデザイナーがいる。名前はRさん。私よりも年下だが、大きなプロジェクトをひとりで任されて、広告賞も獲って、すごいすごい。

グラフィックを長年されている人は、基本、目がいい。微細な違和感にすぐ気がつき、突き詰める視覚的なポイントが、やはりWEBとはちがうなと思い知らされる。WEBデザイナーは、合理的に設計するのが役目だから、見た目の微細さでいうと、どうしても劣る。(それで、あからさまに下に見てくるような人も中にはいるけれど、役目がちがうのだ)
そういった意味で、私もRさんを尊敬している、

Rさんは、新規プロジェクトで、新人デザイナーとチームを組む。
新人デザイナーのあげてきたデザインに「重箱の角を突くようですみませんね」と前置きをした上で、デザインのダメ出しをする。的確なアドバイスだから、学びにもなる。そうやって何度も修正を繰り返すも、新人さんの提案が通ることはなく、結局クライアントへの提案前に、Rさんがすべて一からデザインを作り直す。

Rさんは
「自分の納得できる、”美しいもの”しか、世に出したくない」と思っている。自分が美しいと思ったものを信じている。それはデザイナーとして大切な基準である。しかしここは会社である。

今日は、こんなことがあった。
全体の会議で、ある社員が「空いた時間でコンペを出したい」という話しをした。意気揚々と「審査員もこんなに豪華なデザイナーばかりでね……!」と皆にも参加を薦めた。
すると、Rさんが異論を唱えた。
「僕は徹夜で仕事やっているのに、暇な人はコンペに出せる。それってフェアじゃないですよね?」

「僕は、誰よりも忙しくて、大きなプロジェクトを抱えている。それなのに誰も手伝ってくれる人はいない。コンペって仕事じゃないですよね? 手が空いているなら、案件を手伝って欲しいのに」と訴えた。

その場にいた上司は、
「じゃあ、手の空いている人に、仕事をふればいいじゃないか」
と言う。
社員Aが手を挙げる。
「僕、いつでも手伝いますよ!」
Rさんは、
「いや、アナタにはできないです」
と返す。
「なんで?」
「僕がやってる案件は、長年も培った関係で、混みいっていて複雑だから、この中では誰にも任せられない」
と言うのだ。
つまるところ、「この会社の人達はデザインのレベルが低いから任せられない」と。それを「レベルの低い」私たちの前で言うのだった。
そして「僕の体が朽ち果てたら、この案件もおさらばですよ」と、口にした。Rさんは、"アナタがいなくても会社は回る"という、世の事実を、知らないのである。

傲慢だなぁ、
早くこの会議、終わってくれないかなぁ、
と私は思っていた。
時間はとっくに定時を過ぎていた。
「自分は特別ですごい」というのと、「自分だけがつらい」というのは、表裏一体だなぁ。

それからRさんは
「3年前から、僕の下につきっきりでついてくれるデザイナーを入れて欲しい、と言っているが実現しないじゃないですか!」
と言ってキレた。
上司は、
「そんな、いい人が入って来ないんだよ!」
と言ってキレた。

私、おばさん新入社員なんですけどね。
一体、この人の元で働きたいという若者は、いまこの世にいるのだろうか、と思う。定時で帰れることが、最大の魅力の会社で。

犠牲的な仕事の仕方を続けてきた人は、それを部下にも押しつけてしまうだろうなぁ。経験のため、実績のため、残業上等、徹夜でデザイン。体が壊れるまでやり続けろって、、いまはもうそういうスポコン時代じゃない。みんな仕事より大切な生活がある。自分の体を守ることも学んできている。

Rさんは、続ける。
「デザイナーなら誰だって、PDFのしょうもない文字修正仕事より、ロゴ提案ばかりやるような仕事がしたいと思う」
(だから僕の下に新入社員を置くべきだ、という主張)
「仕事において楽しいことは、人それぞれだと思いますけど…」
と、社員Bが言う。

会議というのは、当たり前のことを言うことが大切なんだなぁ。
私には、Rさんが部下を欲しているが、人を育てる気などなく、自分の言いなりで動いてくれる人が欲しいだけのように思う。「書体はこれで、グリッドはこういう決まりで、僕のベースのデザインをなぞってくれればそれでいい」などという。本人は「経験させてあげている」つもりかもしれないが、新人側は「こんなのは奴隷仕事だ」と腐る。実際それでは、ロボットみたいな人しか育たない。

きっと、Rさんは人から「すごいですね」って言われ続けて、仕事だって途切れることなくやれている幸せなデザイナーだろう。自分にはこれだけの実績がある、自分は決して間違っていない。とても狭い世界で「自分には価値はある(お前にはない)」と、言い聞かせている。そしてどこか仕事のできない人を見下しながら、安心している節だってある。大袈裟かもしれないが、Rさんの発言の節々から読み取れる考え方は、選民思想的でもある。
そうやって人のことを下に見ていると、後から苦しくなるのは自分だろうに。そういえばこの間、Rさんと外で出くわして、挨拶したら無視された、と思い出す。

Rさんは、
「僕だけがひとつの案件につきっきりで、夜中まで作業して。僕だって本当は、皆とわちゃわちゃ仕事がしたいですよ!」と言う。
もはや、嘘だろ、という空気感である。
上司が言う。
「楽しいことの分配って、それはムリがあるよ」
いつしか、Rさんがダダこねる子どもみたいな立ち位置になっている。

実を言うと、私も一時期、Rさんと同じような働き方をしていた。「突き詰めるとこまで突き詰めたい、デザイナーなら細部までこだわるべきだ」と、理想だけは大層ごりっぱで、SNSで大風呂敷を広げて。実際は徹夜しないと間に合わない、がんばらないと後輩に追い抜かれてしまう、という焦燥感でいっぱいだった。

そういう働き方は、体を壊してからやめた。
自分が「いやなやつ」ということも、周りに誰もいなくなってから、やっと気がついた。(それまで、私は後輩たちに信頼されていると思っていた……)

いまは、勤務時間の9時から18時、この時間内で、できることだけやる。昼間は1時間休憩を、絶対にちゃんととる。早めに家に帰って、飯を食う。それは人として、あったり前の権利。いや、権利以前の人間としての基盤である。

Rさんも「自分だけが残業して徹夜して…」と主張しているが、「体、大丈夫?」と思う。徹夜して仕事して、そんなことで、がんばってる気にならないでほしい。
コンテンツ全部見東大生の大島育宙さんという方のPODCASTが好きでよく聴いているが、彼も食べることの優先順位がいちばん下と言い、あらゆるコンテンツを網羅して、お笑い芸人もして、プランナーとしても働いている。ほんと、「体、大丈夫?」と言いたくなる。健康と生活は基盤だよ。

そもそも、Rさんが部下に任せないのがわるいのである。
部下を信頼できない、というそのこころがまずい。残業も徹夜も、己の時間のマネジメント不足。「とことんこだわりたい」というのも己のエゴである。切り上げるポイントを作ればいい。家に帰って子どもと遊べ。

会議も終盤、上司がまとめる。
「要はみんな、思いやり不足ってことかな!」

会議でも何でも仕事というのは、誰かの人生の時間を頂戴している。そのことに誰もがちょっと意識的になればいいのに、と思う。
とにかく私は、一刻も早く家に帰りたい。


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