独身でがんになる、他人の言葉に傷つくということ
最近、水谷緑さんの『32歳で初期乳がん 全然受け入れてません』というエッセイ漫画を読んだ。
水谷緑さんは、一見やわらかなほのぼの系の絵だが、日常の中のぶっちゃけた心のうちを描くのが上手な漫画家さんだ。お父さまを看取った緩和ケアのお話や、精神病棟の漫画なども描かれている。
この漫画では、32歳独身でステージ0の初期の乳がんが発覚。彼氏に告げたら「大丈夫ですよ」キリッと言ってくれた、と。その後「先祖に祈ってます」っていうメールをもらって、不安も相まってイライラして「みんなポエミーなメールばっかり!」と言って、終いには「もうメールしてこないで」ってキレちゃうくだりがある。
側から見ると、彼氏いていいじゃん、みんな優しいじゃんとか思うんだけどね。
病気の発覚当初って、動揺していたり、他人の言葉に傷つきやすかったりもする。しかも甘えられる関係があると、相手に期待したり、期待した言葉をかけてもらえないとキツく当たってしまったり、そういうことって、心も体も弱っているとままあります。
その後、彼氏に会ったら、病気のこと一切触れられないので「何か聞かないの?」って聞いたら「またデリカシーのないこと言って怒らせたら悪いと思って」と、彼氏の方も脅えて何も言えなくなってしまったという。
私も似たようなことがあって、姉の話なんですけど、私が姉に「がんになっちゃった、たすけてー」と言ったあと、期待したような反応ではなかったんですよね。「いつでも助けに行くよー」って言ってくれたものの、こちらはもっと助けてくれるって思っていたんです。
例えば、術後のお見舞いが謎に私の好みでもないフリフリのバッグのプレゼントだったとか(相手が必要そうなプレゼントを考えた形跡がない、こんな時に自分目線のプレゼントなわけ?って思っちゃったり)、
夜開演のライブに誘ってくるとか(行けるわけないでしょってムカついたり)、しんどいのにお茶も出してくれないとか、まぁ些細なことなんですけど。
プレゼントしてくれてんだから「ありがとう」って受け取ればいいのにね。近しい関係だからこそ期待して、一線を超えてしまう。別に向こうは別に傷つけたいわけでもなく、ただ病人に何をしたらいいのか、何て声をかけたらいいのか分からなくて、まごまごしている。その様子を見るとさらに不甲斐なくてイライラするという。
こちとら病気なんだから優しくしてよ、鑑みてよ、ちょっと考えたらわかるでしょ、とこちらの要求もね、どんどん高くなってしまう。
兄弟というのは「遠慮」がなくなるから、簡単に突っかかれるから仲が悪くなると母が言っていた。私の「病氣なんだから、優しくしてよ」という思いも過剰にエゴが暴走してる状態ともいえる。それに姉には姉の生活がある。近い関係だからこそ境界線をひかなきゃいけないのにね。
他にもひるなまさんの『末期ガンでも元気です 38歳エロ漫画家、大腸ガンになる』という漫画も読んだ。この方はパートナーがいらっしゃいます。巻末には『ぶっちゃ言われて嬉しかったこと嫌だったこと』が載っていた。
嫌だった言葉は
1「2人に1人はがんになるから」
「それ健康な人を戒める言葉だよ」ってツッコミが。
2「いつ治るの?もう治ったの?」
これには、「そう簡単なもんじゃないので。せめていつ寛解するの?って言ってほしい」とツッコミが入っています。
ちなみに寛解は、治療が続いているけれど症状が収まっている状態のこと。手術などで摘出後5年間再発しなければ完治です。
また「がんは治るよ」っていう励ましの言葉もあるけど、ステージかかわらず完治しないがんもあるっこと、あまり知られていない。
3「うちの叔母の旦那さんもがんになって」
これには「ソースが遠すぎる」ってツッコミが。
私の知り合いから聞いた話だと
「うちの親戚も同じ部位で亡くなった…」って話をされたとか。「生き抜いたケースならわかるけど、普通亡くなったケース話す?!」って言っていました。
4「〜しちゃだめ」とか「〜しなきゃだめ」
私も小麦粉砂糖とるなとか言ってしまいそうです。
5 勧誘など
これは言語道断ですね。
私の場合、嫌だった言葉は
「抗がん剤やめようよ」です。
「抗がん剤はよくない」とか言うけれど、抗がん剤しか治療を選べない場合だってある。
私だって知らなかったことだけど、相手が聞き齧りの情報だけで正しさを説いてくる無神経さそのものに腹が立つんだろうな。
後は到底、支配うこともできない高額な代替医療をリンクで送られてきたこと。あなたのことを想って言ってるんだよって建て付けで「正義」から言ってくる感じ。
いやー、もうバチバチやってる暇ないんすわ。
それでも私も、温かい言葉をかけてもらったりもしました。
「自分で作ったがんだから自分で治せるよ」
「最近の癌は治るって聞いています」
「仲間として復帰を心から待っています」
「地元のミカン贈ります」
「大丈夫、絶対治るよ」と言われて
私の場合は、それだけで涙したり、希望を感じる言葉として素直に嬉しいもんでした。
しかし、中には「そんな不確かなこと!」とか「ふん、そんなの社交辞令でしょ」と言って怒る人だっている。「放っておいて」って人もいるから、正解はないんですけど。
それに健康属の中には「放っておいて欲しいのかもしれないし…」と、一見慮っている風で、それを言い訳にコミュニケーションから逃げる人もいるでしょう。それこそ、どうなんよって思うよ。
わりと親しいと思っていたのに、見え透いたソレをされた時、私は結構ショックでかかったもん。私の命ってその人にとってどうでも良かったんだ…って思っちゃった(まぁ、がんになる人っていうのは世界から断然されている、阻害されてるっていう気持ちがすごく強い傾向があると、ある本には書いてありましたけど)。そこまでの人間関係だった、ってことなんでしょう。
だから、よほど無神経な言葉でなければ、心を寄せていますってことが分かれば、それだけでいい。それがたとえ社交辞令でも、瞬間的な思いやりでも、声をかけてあげるってアクションそのものに、心の栄養があるんだと思う。
まあ誰彼こう言われた傷ついたとか、心が波立つことってあると思うけど、結局は「あれってこういう気持ちを知るためだったのね」とか、自分の中で解決処理してくほかない。だから波立つ言葉を受けたら反芻したりせずにね、心地良い状況キープで、毎日過ごしていければなと思います。ことばに傷つくのはお互いさまだし。
皆さんは、友人ががんになったら何と声をかけますか?
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