あの頃はさみしいと思っていなかった、「お菓子」の記憶。~人生を×小説~
おもいだした。
さいきん、というよりも。小さいときからずっと、わたしは「お菓子をたべる」のがだいすきだった。いままで大好きだと思っていた。
でも、ほんとうは
「さみしいからお菓子を食べていた」んだ。
思い当たるきっかけ(理由)は、小さいときの記憶にあった。
🍩 この話は、お菓子を食べていた話から派生して、家族のかたちをかんがえた話をしていきます。
「お菓子」をよくたべていた理由
わたしは小学生1年生か2年生の時、学童に通うのが嫌で、カギをもって家でお留守番する「かぎっこ」だった。おかあさんもおとうさんも働いていたから、おかあさんが帰ってくる6時か6時過ぎまで、ひとりで家でビデオを見たり、ビーズで遊んだり、ピアノを弾いたり…とにかく一人だった。
あの時は、さみしいなんて思ったことはなかった。
おかあさんがいつも、テーブルにお菓子と手紙を添えてくれていた。
わたしは学校から帰ってきたら、いつもその手紙をみて、お菓子を食べていた。だから、自然と手紙もお菓子もたのしみになった。
孤独やさみしさから解放してくれるものとして、自然と(勝手に)認識された。のかもしれない。
・・・・・
だけどお菓子は、シアワセをくれなかったね
お菓子は一時的に幸福感を与えてくれるだけで、
救ってはくれない。今はわかる。でもさ
わかっているのと、できる、のはちがうみたいだ。
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過去の記憶、あいまいで鮮明な「家族観」
15年以上の月日が経ったいまでも、あの頃の光景が目に浮かぶ。(ちょっとトラウマみたいになっている)
誰かに言われた言葉を、呪いにしてしまいそうになる。いまでも。
だけど、わたしは呪われていない。
トラウマになっているのは、
実は、一人きりの小学生の時ではない。(あのままだったら、変な人に引っかかったりしたらそれはそれで危なっかしかったが)
そうじゃなくて、
かぞくで過ごした苦痛の日々だった。
(かぎっこだった小学二年生から、いろいろな理由から引っ越したらしい)
狭い部屋に家族三人、📺テレビのリモコンの権利は、有無を言わさずにもちのろん、父だ。じぶんはやらないのに流しに溜まった大量の後片付けを強要されたこと、かなり苦痛だった。ぐちゃぐちゃなものたち、どなられた日々、プライベートのない部屋、いつもいつも片付けろと言われた日々…。(子どものわたしには、どうにもできないものばかりだった。)
ある時、カギを無くしてしまった。(と思った)正直に父に言うと、真っ暗な夕方に ”探しに行け!”と怒鳴られ、泣きながら探しに行ったこと。(実際は家にあった。無くしていなかった)
子育てをしはじめて約三年、わたしはこのことを幾度も思いだした。
家族としてこどもにできる「ほんとうの形」
今のわたしなら、
子どもと一緒にさがしてあげたい、と思う。
あのころのわたしの家は残念ながら、ケアのない家だった。フォローがなかった。できないのは自分のせいだった。たとえ、教えてもらったことが無いことでさえ「社会の常識」として矛を向けられた。(少なくともわたしはそう感じていた)
今のわたしなら、
どうやったら無くさないのか、どうしたらこの先困らないのか、一緒にかんがえたい、と思う。
それが親が子にできる「ケア」、「フォロー」だから。子どものせいにしたって、子どもはどうやって変えたらいいのかわからないから。状況は良くならない。今ならわかる。
そういう意味で当時の親は、「ほんとうの意味での”親の役割”」を理解していなかっただろう。当時わたしは家で三人になると、孤独だった。
(やるべきことをおしつけられていた)
親は気が付かなかったけど、この連鎖は終いだぜ。
さて、そんな漠然としていた記憶を、今になって思いだした。
こどもと触れていると、ときおり辛くなる。
(記憶としては思い出されなくても「痛み」としてフラッシュバックするみたいだ。)
そんな風にかんじていたことを、今になって言えるだろうか。
全くいい記憶ではなかった(逆に嫌な記憶な)訳だが、そのことを両親に言ったところできっと思ったような言葉は返ってこないだろうから、言わなくていいやと思った。(なにか今のじぶんに良い変化があるならあれだけど)
そのことで今もわたしは傷ついている。傷ついたことは、変わらない。
子どもと向き合ったときに、こころのなかで噴出する「ある種の問題たち」をわたしは、その都度気が付き、もがき続けている。わたしの中にある、ほんとうはほしかった(望んでいた)家族の形。
親は気が付かずに、生きていくんだろう。
それでも、わたしは泣きながらでも探すだろう。
こころのなかで求めていた「ほんとうの形」を。
子どもと分かち合う「ほんとうの家族の形」
わたしは、子どもといるとときおり辛くなる。
ずっと、にこにこ、きらきら、していられないのが正直なところだから。
それは、たぶん、わたしの今までの過去に起因している。
わたしの過去を、なかったかのように捨て去ることはできないだろうし、単に肯定することも、難しいように思う。だけど、その経験があったから分かる”家族の痛み”もたしかにある。
かんたんに解決できることばかりじゃないのが、世の中の刹那。
その経験のすべてに理由を見つけて、納得して、今につなげる必要もない。
ただ、子どもと向き合う時には、
わたしのようなさみしい思いはしてほしくない。
だから、わたしはこの子がわたしの苦しんでいることを理解できるようになる頃まで、待ちたいと思う。「あのとき、話を聞いてあげられなくてごめんね。おかあさんはつらかったことを少し思い出しちゃっただけなんだ。あなたのことがきらいな訳じゃないの。あなたはたいせつなわたしの子に変わりはないの」
母は完全ではないということ。弱音もはくんだということ。
あとがき「子どもと親、みえる景色」
子どもにとって親の生い立ちは、きっと直接的に関係はないでしょう。
だけれど、親にとっては、それは今までみてきた景色のひとつです。
客観的に見たら、親は自らの生い立ちをおしつけない方がいい。たとえそう頭で分かっていたとしても、実際に「きりわける」のは結構難しいことだと思います。
なかったことにする必要はないのではないか、とわたしは思っています。
”あったことをなかったこと”にして、子育てしていくには、きっと子どもとの距離感は近すぎます。
どうしても、思い出してしまう場面がわたしは多かったです。
こころが傷ついたことは”なかったこと”には決して、できない。それでいいのです。
わたしは別の視点で
子どもと歩んでいく
子どもとともにやさしい世界を、
かつて子どもだった私たちに餞を。
そうやってあたらしい景色を、わたしたちのみている世界を更新していく。
lemon. (2021.12.6 🍋)
( ῀ᢦ῀ )..