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希死念慮が這いずっている音

時々思う。
優しくなければよかったのに、と。

今まで散々人には優しくしてきたけれど、悪に染まれぬ僕は、この世界は優しければ優しいほど得はあれど、損に潰されていくものなのだと知った。

国会で寝る事が生業の人、
有名人等の日の目を浴びない悪行、
躊躇いも無く人に暴力を振るう屑、
……。

挙げれば挙げるほど虚しくも悲しくもなるふざけた現代社会。今この世に必要なのは大量の猫。では無く、救済。では救済とは何なのだろう。何が、どんな事が、何を以て、我々に救済を与えるのだろう。

一時的な快楽は、まるで夢を見ているかのような感覚にさせてくれる。それが終わった途端、生きている意味が、必要性が分からなくなる。楽しい事、楽しみな事を糧に生きていける人間もいる。だが僕は、違う。楽しかった事が終わっている、楽しみな事がまだまだ先である、その状況に孤独や虚しさを覚えてしまうのだ。

考え方を変えたい、
生き方を見直したい。

何度も思った。でも変わらない僕が今日も息をしている。どうにもならないこのおかしな頭を、何度棄てたいと思ったか。命を投して、この世から逃げたい、もう辛い思いはしたくない、鬱々としたこの人生に終止符を打ちたい、そう思いながら何度も何度も深い夜を越えてきた。

でもそう思う事は、この社会を生き抜く上では必要の無い、どうでもいい事なんだとそう言われているように感じた。死にたい自分と生きたい誰か。社会が求むのは生きたい誰かなんだと、そう思うと辛かった。苦しかった。泣きたかった。泣きじゃくって誰かに頭を撫でて欲しかった。でも涙は出なかった。涙腺にまで恵まれないのか。もう嫌になる。

眠る時、ベッドに横になって息を止めて、もしこのまま呼吸を止めたなら気付いてくれる人はいるのだろうか。僕が辛かったって気付いてくれるのだろうか。明るい顔して従順になっていた俺にも暗い感情があった事を、誰が分かってくれるのだろうか。君が死んだら悲しいと言ってくれた友達は僕を覚えていてくれるのだろうか。

死んだら何も無くなって終わりだよとか、生きていればどうにかなるよとか、とりあえず生きていようよとか。そんな適当な甘い事を言っていた人間が、僕が死んだ明日ものうのうと生きているのかと思うと、しんどいなぁと、ただ一言思う。

救えないなぁ、この世界。遣る瀬無い寄る辺ない闇に、訥々と人生を語るのだ。

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