何者かになる必要がない
これぞ灼熱の夏
毎日毎日暑いですが、皆様お元気ですか?
またまた久しぶりのnoteです。
暑過ぎて、何も身につけないでいたいと思ってしまう今日この頃。そんなわけにもいかないので、仕方なく衣服を身につけるが、衣服からも解放されたいと思うようなこの暑さも、人類の目覚めを促されているような気もしないでもない。
昨年の夏は何をやっていたかと振り返ってみると、一年前のこともかなり昔のことのように思えてしまう。移り変わる意識や、感情、そして状況もどんどん変わる。
これが風の時代ということなのか、ずっとそこへ止まることが不可能なことに思えてくる。
例え止まって、しがみついたとしても、風の流れから外れて取り残されていく感じがしてしまいます。
私は、風に乗って生きたい。
どんどん変わる状況に一喜一憂している場合でもない。次々に変化していくのだから。
日々の学びの中で瞬間瞬間の選択を今までと変えてみることを意識してみると、明らかに違う状況になっている。
そして冒頭のタイトルは、少し前から書こうと思っていたのに中々書けずにいたら、シンクロが起きたのです。目から鱗とはこのことだ。
Youtubeで「セオリツch」というのがあるのですが、素晴らしい解説をされているのでこちらに貼っておきます↓
セオリツchで話していることは、今の私にとてもフィットしているので、最近よく聞いているのですが、実は以前からnoteでも繋がっていたのです。
ゼロポイントフィールドを理解すると、
スピリチュアル系で話されているフワフワしたよくわからない話しではなくて
「何もないところに全てがある」
ということがよくわかったのです。
私は、何かを目指したり、何かになる。ということに前から違和感を覚えていました。
そんな必要があるのか?
そうしないと生きていけないのか?
何かに所属しないと自分という人間が成り立たないのか、そうしないと存在意義がないのか?
そもそももっと以前、30年くらい前にスペインを旅した時からそのことに気づいていた。
肩書きや名声、何をして何を得て、何を所有しているかなんて関係ない。
幸せになるって条件じゃない。
昔は、何かになろうとして頑張っていた。
クリエイティブな仕事をして走っていた時代もあったけど、途中からすごく苦しくなっていった。
それは、何かになろうとしていたから、どんどん本来の自分、全て生み出せる自分から離れていったのかとも思いました。
この言葉がストーンと私のもやもやとジュエリーブランドをやめた時の自分への癒しとなった。
誰かが言ってた。
職業は、自分。
私はこれを見た時、大きく頷き納得した。
自分以外の何かになろうとするのは、自分を置き去りにしてしまうのと同じこと。
幸せは外に求めることではなかったんだと改めて思う。
宇宙は、私達に完全を求めているわけではない。
何かになるのではなく、自分でいることを思い出すことなのでしょう。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございます♪😊🙏
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