「認められたい」の本当の意味

推し方連載の途中ですが、書いていていろいろ思うことがあったので、寄り道してまとめてみようとおもいます。

私が生きづらかった根底には「認めてもらいたい」って、思いがある気がしました。

「認めてもらいたい」って、一見すると「私のことを理解して!!」っていう傲慢なものだという印象を、もしかすると受ける方がいるかもしれません。

でも、待って。ちょっと、違うんです。いや、傲慢さは違う気がする。もっと切実なんです。

だって、私は

「他者に認められない」=

「私には存在価値がない」

だと思っているから。

生きづらく苦しんでる人にとってたぶん、「認められない」ということは、すなわち「自分が生きていることが許可されてない」っていう気分なんです。

「私は何も生み出せていない」「なのに、のうのうと恵まれた環境にいる」ことが申し訳ないんです。

なら、働いたり外に出たりしろよって思うかも知れません。

でも、「それ以外のやり方を知らないからできない」ので、そんな気力も残ってない。できたとしても最初の3日位で、ずっと続けられる気がしないから無理だ……ってなっちゃう。


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上の画像は、先日配信のヨミドクターの記事です。

学校で上位成績を取り続けなきゃと思っている子のなかにも、もしかしたらそういう思考で苦しんでいる子がいるのかも、って思ったり。

ではでは、

ここまでお付き合い頂きありがとうございました!


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