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「主婦」という仮面をつけて悩みながら生きているひとたちへ


◆「仕事は?」って主婦/主夫 が聞かれたら

Q「仕事は? 今なにをやってるんですか?」と聞かれたら専業主婦ならどう答えますか?

A1「特になにも、、、専業主婦です」
A2「一応主婦です」
A3「今は主夫をやってます」


答え方はいろいろ。


言葉はなんであれ、その中身は「掃除、洗濯、買い物、食事、お金のやりくり、家族の健康管理や心配り、その他家のことぜーんぶ」

子供がいれば『子育て』も!


主婦業って、やることがぎ~っしりつまっている仕事だ。


「主婦です」の一言は「結構大変だし能力のいる仕事にたずさわっています!」と胸を張って、目を輝かせて言える言葉だと思う。


◆「主婦」って「自分の言葉」ですか?

他人に自分の身分を伝えるときは「主婦です」と言う。こう表現すれば社会的に誰にでもすんなり伝わるらしいから。

でも、言う側の「心のうち」はいろいろですよね。自分の言葉として言っている人とそうでない人と。


◯「主婦」が自分の言葉になってる人
「誇りと自信をもって主婦だって言える! 自分は主婦業が大好き。しあわせを感じながらやっているし、天職だと思う」


◯「主婦」が自分の言葉だなんて全然思えない人
「しゅふです、と発音はしたけど、仕方なく使っただけ。主婦ってなに? 私はひとりの人間。役割分担的に家のことをやってはいるけど、主婦だなんて似合わない服を無理矢理着せられてるような違和感しかない」


極端な例だけれど、どっちもあると思う。


主婦ですと答える人の「心のうち」はそれぞれの環境や家族のあり方・関係性などからかなり影響を受けていて、とても繊細なものだ。その人の唯一無二の色合いを持っている。


◆主婦じゃないけど「主婦」と言っておこう

「主婦」を自分の言葉と思えない人っているんですよね。多いのか少ないのかはわかりませんが……。どうですか?


「主婦」という居心地の悪い仮面をつけ、悩みながら生きている人たち。


こっち側の人たちって、結局は「自分の人生いかに生きていったらいいか?」というやっかいな問題に直面していかざるをえない。(私はこっち側)

以下、私自身のケースで話します。


「主婦です」と言う瞬間、私は人形になって「しゅふです」と音声を出すだけ。生身の私はその一瞬をがまんしてやり過ごす。

それほど「主婦」というワードが自分と無縁、無用、無意味としか思えない。

仮の表現。借り物の音声。社会に通じさせるために「ほらよっ」って仕方なくポイっと投げる記号なんです。


不誠実なことかもしれません。


誠実に言うなら、
「家の仕事を自分のやれる範囲で一生懸命やっている。でも正直、主婦ですと言えるほど大した事はしてない……」


「その上無職・無収入。自分らしく生きる努力をしたい。それを収入につなげて自分や家族のために役立てたい。考え考えギリギリがんばっている必死な人間です」


となるだろう。⇒ 聞く耳をもつ人はたぶんいないと思う。


だから記号「しゅふ」で済ませる


◆主婦がしっくりこないあなたへ。わかる!って言いたい

「一応主婦って言ってるけどなんかしっくりこない」ともやもやした気持ちを抱えている人の気持ちをよく想像します。

そのつらさ、わかる! 私も同じ!
……と想像の中でいつも声をかけています。



◆「生き方」に対して問いと雑念ばかり


家事をする一生? それでいいんだろうか?

家事は自分の適職ではない!(子育ては別!)


深く考えずお金を稼げる仕事に就ける人はいいな、、、


主婦という隠れ蓑に「逃げている」自分はダメなんだろうか?


決して逃げてるわけじゃない。家族の誰かがやらなきゃいけないことをやってる


主婦というものに価値を置いてくれる理解者、協力者がいるかどうかは大事


現実にお金を生み出していなくても、お金を生み出す時間を奉仕してると理解する存在が大事


生きる充実感にお金がついてくる仕事がしたい!(主婦業ではない)


自分の人生に家族も子育ても入ってる。だから家事も雑用も大切。だが時間は惜しい!



考えては家の中を走り
時計を見てはあっちへこっちへ

自己卑下 ⤵ うつ状態 ⤵ 


向上心 ⤴ 目標・夢 ⤴ 



でもいつだって根底にあるのは、
『やっぱり私はどう考えても「主婦」ではなく、より良く生きたいと悩んで生きている人間だ』という思い。


いつか人生がおわるとき「こういう風にしてきたから自分の中に悔いはない!」とはっきり言えるひとつのことを。


end





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