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1955年の映画劇『銀座二十四帖』詳細あらすじ(ネタバレ)

1955年(昭和30年)9月16日公開
日活映画劇『銀座二十四帖』(117分)

原作:井上友一郎(1909年3月15日~1997年7月1日)
脚本:柳澤類寿(1918年~1970年)
監督:37歳の川島雄三(1918年2月4日~1963年6月11日)
歌とジョッキー:42歳の森繁久彌(1913年5月4日~2009年11月10日)
京極和歌子:32歳の月丘夢路(1922年10月14日~ 2017年5月3日)
花賣りコニイ:31歳の三橋達也(1923年11月2日~2004年5月15日)
京極克己:47歳の河津清三郎(1908年8月30日~- 1983年2月20日)
仲町雪乃:22歳の北原三枝(1933年7月23日~)
望月三太郎:35歳の大坂志郎(1920年2月14日~1989年3月3日)
桃山豪:38歳の安部徹(1917年3月28日~1993年7月18日)
赤石峰男:19歳の岡田眞澄(1935年9月22日~2006年5月29日)
湯川修:27歳の長谷部健(はせべ・たけし、1928年5月1日~)
ルリちゃん:15歳の浅丘ルリ子(1940年7月2日~)
三ツ星伍郎:38歳の芦田伸介(1917年3月14日~- 1999年1月9日)
ジープの政:30歳の佐野淺夫(1925年8月13日~2022年6月28日)
画商岩井:47歳の織田政雄(1908年1月6日~1973年8月30日)
菊川のおかみ:46歳の小夜福子(1909年3月5日~1989年12月29日)
「アンコール」の久子:26歳の関弘子(1929年7月30日~2008年5月11日)

この日本上流中産階級社会風俗映画劇は、おそらく数十万から数百万の人口の日本語を公共語とする日本公共民中産階級の人びとが瞬時に識別できたであろう、東京大阪の繁華街の公共地の高層建築物や鉄道駅などの土地指標(landmarks)のかなり正確な記録映像として貴重だ。

劇の水準では、絵入り小説より視覚再現時間編集の表現が豊かで容易な映画劇という表現方法の特性を活かした衣裳劇としての趣向が面白い。

洋装化が進む時代の日本社会にあって、普段着が和服和歌子、洋装化の最先端の象徴であるファッション・モデルになる若い雪乃の、映画劇や写真雑誌を通じて、同時代のパリなどを模範とする同時代日本のファッション・リーダー風の洋服。

この映画劇は、この趣向を軸としつつ、同一人物が、私的時空間でのカジュアルな服公共的時空間でのフォーマルな服身分中立的な服職業身分を表す制服和服洋服夏服秋服などの状況ごとの衣裳の変化により、劇的状況を示唆する挿話に満ちている。

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銀座四丁目交差点の和光本館の大時計が深夜0時を指す。
背後の数寄屋橋方面に銀座五丁目、銀座不二越ビル屋上の森永製菓の地球儀広告塔の森永キャラメルのネオンサインが見える。

森繁久彌(唄)「銀座の雀

たとえどんな人間だって
心の故郷があるのさ
俺にはそれがこの街なのさ
春になったら細い柳の葉が出る
夏には雀がその枝で啼く
雀だって唱うのさ
悲しい都会のチリの中で
調子っぱづれの唄だけど
雀の唄はおいらの唄さ

銀座の夜銀座の朝
真夜中だって知っている
隅から隅まで知っている
おいらは銀座の雀なのさ
夏になったら啼きながら
忘れ物でもしたように
銀座八丁とびまわる
それでおいらは楽しいのさ

水平線が見える夜明けの画面外の森繁の声「皆さんこんにちは。ア、いや、おはようございます。わたくし、ただ今ちょっと素人ばなれした歌をお聞かせいたしました森繁久彌でございます。画面の進行に従いまして、時々お邪魔をいたします。
さて、今は夜明けです。沢山の蛙たちが夕べから一睡もしないで夢中で恋の歌を歌い続けております」
たんぼの水中のひき蛙たちの大写し。
「おいおい。蛙君、少しは遠慮したまえ。どうも蛙なんて奴は常識がなくて。
おや、どっからかいい匂いが漂ってまいりました。ああ、なんという馥郁ふくいくたる香り、芳しくも健康な匂い」
天秤棒で肥桶を担いで歩いてくる男性。
「新鮮な空気と一緒に、朝がやってまいります。穏やかな、そしていとも和やかな銀座の朝」
撮影機が急速に向きを変えると東京都大田区玉川の新田しんでん銀座のアーケード。
「これは失礼しました。銀座は銀座でも、ここは東京郊外にある有名な玉川新田」

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早朝、新田銀座のアーケードに面したサロン「ひとみ」の建物の二階の窓から「ひとみ」女給の下着姿の田舎出身のなまりのある若い女、ノリ子(久場礼子)が顔を出し、1階から通りに出て、玉川温室村にバラ、カーネーション、蘭を運ぶ仕事に向かうため山本運送愛知機械工業の1.5トン積、41馬力のオート三輪「ヂヤイアント」54年式AA-11型に乗ろうとする半袖シャツの若い恋人、ジュン(柴田新)に声をかける。
「あ、ジュンちゃんよう、東京行ったら香水買ってきてくれよ、銀座で」

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ジュン「こないだ買ってきてやったばかりじゃんかよう」
「あんなんじゃなくってよう、ほらマリリン・モンコちゃんがつけてるやつ。なんてったけなあ、ショウとかチャー」
「ノリ子、俺忙しいんだよ。行くぜ」
ノリ子が香水の名前を思い出そうとして「チャンとかチャ…なんだっけ」とつぶやく。
オート三輪が走り出す。
ノリ子がジュンに向って叫ぶ。
「ああ、そうだ。香水はチャンネルだよ、香水はチャンネルの5番だよ、わかったかね」

アメリカの写真報道誌『人生(Life)』1952年(昭和27年)4月7日号に、25歳の映画女優マリリン・モンロウ(Marilyn Monroe、1926年6月1日~1962年8月5日)の談話が掲載され、彼女が「寝るときにつけるのは「シャネルの5番を5滴(five drops of Chanel No. 5) 」だけと答えたことは有名になった。
モンロウは全裸(nude)と言いたくなかったので、そう答えたのだが、実際に全裸で寝ていた。
シャネルの5番は、パリのココ・シャネル(Coco Chanel、1883年8月19日~1971年1月10日)の店舗が1921年(大正10年)5月5日に売り出した高級香水のロングセラーだ。

ヂヤイアント号AA-11型

温室村の花をヂヤイアント号の荷台に積んだジュンは、待ち合わせ場所で、ハンチング帽に半袖ニットの銀座の花売りコニーこと三室戸完みむるど・かん(三橋達也)を拾う。オート三輪は、1924年(大正13年)9月13日に営業を始めた三田四国町みたしこくまち株式会社芝生花市場に向かう。
コニーの弟分「ジープの政」(佐野浅夫)が待っている。
コニーとジープはセリで仕入れた花を「FLORISTコニーの店」の富士自動車工業製「ラビットスクーター」のコンポーネンツを利用した大宮富士工業の4.5馬力の三輪車両「ダイナスター(Dynaster)」53型の荷台に積むが、突然、力が脱けたようになったジープは仕事をほったらかしてどこかに走って行く。

「銀座二十四帖」清掃

コニーがダイナスターで銀座を通る途中、 松坂屋銀座店前の交差点で孤児院「銀座少年ハウス」の女の孤児たちが歩道を箒ではいていた。


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1954年(昭和29年)7月の銀座四丁目には、実際に清掃をする少女たちがいた。

「銀座二十四帖」ダイナスター

歩道の清掃に参加していた「コニーの店」従業員のルリちゃんことルリ子(浅丘ルリ子)、三つ編みの八重ちゃんこと八重子(加畑紀子)、三つ編みにリボンのみさちゃん(茅島静江)が、コニーのダイナスターの荷台に乗る。

銀座四丁目交差点付近に日傘をさし、着物を着た「本編のヒロイン京極和歌子さん」(月丘夢路)がいる。
和歌子は銀座六丁目の三十間堀川の埋め立て地に建つ「東京銀座センター」ビル1階角のコニーの店でバラ16本を170円で買い、ルリ子とコニーと会話する。和歌子は采女橋うねめばし近くの「菊川」にバラを届けてもらうことにする。和歌子は200円払い、おつりの30円をルリ子のおこづかいにくれる。
コニーが店の机のひきだしに非合法のヒロポン(覚醒剤)の空のアンプルを見つけたところに、ジープが帰ってくる。
コニーは隠れてヒロポンを打っているジープを責め、ルリ子の父はヒロポン中毒で死に、八重子の兄が覚醒剤取締法違反で刑務所にいることをほのめかす。ジープはヒロポンはチャー坊に頼まれたと嘘をつく。

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コニーが渋谷の桜丘の丘の上のアパートに向かう画面の背後に東急会館が見える。

「銀座二十四帖」チャーちゃん1

コニーが部屋に戻ると、隣の部屋に住む銀座のナイトクラブ「アンコール」の女給のチャーちゃんこと久子(関弘子)が声をかける。コニーがチャーちゃんに、ジープに変なものを頼まないでくれよと言うと、チャーちゃんはヒロポンはもう打っていないと答える。

チャーちゃんが部屋に戻ってコニーの分も食事の支度をしようとするところに、同じアパートに住む「アンコール」のママ、双葉(菊野明子)が入ってきて「一緒に食べようよ」と言う。
上の階から下着姿で犬のマロンを抱いた「アンコール」の女給、お初こと初枝(渡規子)が降りてくる。

「銀座二十四帖」スポーツカー


お初は着替えて、店に出る前に、マロンを抱えてアロハシャツの画家・桃山豪(安部徹)のツートンカラーの1952年型フォードゥ・クレストゥライン・サンライナー(Ford Crestline Sunliner)に乗って出かける。

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ルリ子は和歌子に届ける花束をもって築地川采女橋まで来る。画家の望月三太郎(大坂志郎)が「菊川」の絵を描いている。ルリ子は彼に話しかけ、「菊川」がすぐ向かいの料理屋のことだと知る。
ルリ子から花束を受け取った和歌子は、菊川の若い女中きみ(津田明子)に、花束を洗面器に入れておくよう頼む。
菊川の女将・鈴木とし(小夜福子)に相談事に来ていた菊川の芸者・文若ふみわかと入れ違いに、和歌子が来る。和歌子は何かの事情があって、幼い頃から懇意の女将の厚意で菊川に住まわせてもらっているらしい。女将は和歌子の母親代わりでもある。
別室で、銀座の泰西画廊の主人・岩井(織田政雄)が和歌子が今後の仕事の資金作りのため売ろうとしている亡き父の遺した西洋画をえり分けている。和歌子の父は菊川のなじみ客だったらしい。
岩井は幼い和歌子がモデルのGMのサインのある花籠をもつ少女像の絵を見落としていた。和歌子によると、15~16年前、外交官の父が満洲の奉天ほうてんに在任中、1週間ほど公館に滞在した内地の学生が描いたものだという。

日露戦争後の1906年(明治39年)6月1日、多民族国家のダイチンの東部のフォンティエン(奉天)に、大日本帝国総領事館が置かれた。

1932年(昭和7年)3月1日、大日本帝国が大陸東部に満洲国を建国した。
漢人満洲人モンゴル人らの在来住民に、新興移民の日本人チョウサン人ルスキエ人らの共存する多民族国家だった。
ただし、日本は満洲国における領事裁判権の適用土地商租権の付与課税の免除といった治外法権を享受した。

1937年(昭和12年)12月1日、満洲国における日本治外法権が撤廃された。

1939年(昭和14年)2月28日、奉天の総領事館が閉鎖された。

岩井はGMの署名の絵の画家は今では大家になっているはずだと保証するが、和歌子が覚えているのは「ゴロウさん」という名前だけだ。和歌子は想い出のためその絵を売る気はないが、岩井は、画家が名乗り出たら面白いのでその絵も陳列したいと申し出る。
女将が和歌子に電報を渡す。大阪在住の和歌子のいとこの仲町雪乃が上京するという。
女将の台詞によると、和歌子の夫の外交官・京極克巳は神奈川県藤沢市鵠沼くげぬまの実家にも帰らず、行方不明だという。女将の台詞によると、克巳は小学生の娘・珠代をかわいがっていた。

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別の日の17時、東京駅に時速90キロのEF58牽引の特急「つばめ」号が到着する。画面外の森繁の説明によると「大阪発・朝の8時」「東京駅着は17時」だ。
特急「つばめ」号の途中停車駅は、9時37分に京都、10時38分に米原、11時24分に岐阜、11時50分に名古屋、名古屋発が11時55分、15時07分に沼津、16時32分に横浜着だった。
特急「はと」号は大阪を朝8時発、豊橋、静岡、熱海、横浜に停まり、東京着20時30分だった。

ノースリーブの洋装の20歳の仲町雪乃(北原三枝)が東京駅のホームに降り、出迎えの和装の和歌子と会う。
雪乃の荷物は、車中で知り合ったというプロ野球の「東京スネークス」の新人投手・赤石峰男(岡田真澄)が運んでくる。
雪乃は若者向けの芸能・娯楽雑誌『平凡』(平凡出版)主催の「ミス平凡コンクール」の全国コンクールに大阪代表として出るのだという。

八重洲口で雪乃がタクシーに乗ろうとし、運転手に「築地までやってよ」と言うると、サングラスの半袖シャツの若い男(植村進)が和歌子に近づき「奥様、あの、御主人からの伝言がございますが。お会いしてお話がしたいそうです。ご案内いたします」と言う。
「いえ、わたくし、主人に会う必要ありませんわ」。男は口笛の合図を聞くと「失礼します」と言い残し、走り去る。

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自分の絵と画材をもった半袖シャツの望月三太郎が顔なじみの和歌子に挨拶する。背後のビルの屋上に、1955年(昭和30年)3月29日、東宝直営の日比谷映画劇場で日本語字幕版が公開された総天然色のフランス、イターリア合作の映画劇『バルテルミーの大虐殺』La Reine Margot(93分。1954年11月25日初公開)の主演女優ジャンヌ・モロ(Jeanne Moreau、1928年1月23日~2017年7月31日)の絵の広告看板が見える。

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望月三太郎は泰西画廊で和歌子の所有する絵を見て来たと言い、GMの署名のある花籠をもつ少女の絵の作者は誰かと和歌子に訊く。

「銀座二十四帖」日産オースチン

和歌子とバッグをもった雪乃は日産自動車が1955年(昭和30年)からライセンス製造を始めた50馬力エンジンの「日産オースチンA50ケンブリッジ」のタクシーで菊川に着く。
菊川の女将は和歌子に、泰西画廊の岩井から電話があって、絵のことで話したいことがあると言っているので、銀座に行くなら画廊に寄るようにと伝える。

「銀座すずらん通り」のネオンサイン。夜の銀座を和歌子と雪乃が歩いていると、八重子とみえちゃんと一緒に補習授業に出る前のルリ子が和歌子に声をかける。

「銀座二十四帖」GMの絵

泰西画廊のGMの署名の花籠をもつ少女像の絵の前で、花束をもったコニーが絵を見つめ「GM」とつぶやく。和歌子と雪乃が画廊に来ると、コニーがあわてて画廊を出る。
岩井は和歌子に「ユトリロの風景とフラゴナールのデッサンが早速売約の申し込みがありましたよ」と言う。岩井は雪乃を無視して和歌子を事務所に案内する。
一人で絵を眺める雪乃の画面外の森繁「文化国家ニッポンには画廊は全部で16軒。そのうち13軒がわが銀座にあるんです。いかに銀座は芸術家たちによって充たされているか、という証拠にはなりかねます。なぜなら、ときどき画廊の芸術的雰囲気をこのように最高度にご利用なさる方があることでもわかります」

「銀座二十四帖」画廊の葉山良二

スケッチブックをもち、熱心に絵を観ているベレー帽の若い画家を22歳の葉山良二(1932年11月9日~1993年1月3日)が演じている。
雪乃は少しずつ後ずさりし、お洒落な青年・湯川修(ゆがわ・しゅう)(長谷部健)ぶつかる。湯川が名乗るのを聞いた雪乃は「シューちゃんボーイね。あたし仲町雪乃」と言う。「シューちゃんボーイ」は「シューシャインボーイ」のもじりだ。

銀座ファッションモデルクラブのマネージャー湯川と雪乃は一緒に出かける。

コニーは「アンコール」に入り、カウンター席で初枝の隣にいる桃山豪に花を買ってもらうと店を出る。桃山は初枝に花を贈る。店を出ようとしたコニーをチャーちゃんが呼び止め、その日、ジープが来たが様子が変なのでジプは覚醒剤を打っていると教える。

銀座のクラブ「オペラ」ではラテン・バンドが「銀座の雀」の前奏を演奏している。

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女性歌手(織井茂子)が「銀座の雀」を歌う。

銀座の夜、銀座の朝
真夜中だって知っている

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画面左から右まで、二人目の女性歌手(三島保子)が歌いながら横切る。   

隅から隅まで知っている
おいらは銀座の雀なのさ

「銀座二十四帖」歌手3

三人目の女性歌手(川島まり子)が歌う。

夏になったら啼きながら

コーラスになる。

忘れものでもしたように
銀座八丁とびまわる
それでおいらは うれしいのさ

間奏の間、撮影機が人で埋め尽くされたダンスフロアを後退すると、ポーズをとる雪乃と彼女の写真を撮る湯川修が見える。

春から夏 夏から秋
木枯しだって知っている
みぞれの辛さも 知っている

おいらは銀座の雀なのさ
赤いネオンに酔いながら
明日の生命いのちは風まかせ
今日の生命に生きるのさ
それでおいらは 楽しいのさ

帰る雪乃を追う湯川修と入れ違いでコニーが入ってくる。

泰西画廊では、和歌子が出て行くと、その美貌に見とれた桃山豪が画廊の外まで和歌子のあとを追った後、画廊に戻り、岩井に和歌子のことと、和歌子が探している、花籠をもつ少女像の絵の作者のGMという画家のことを聞く。桃山豪はGMを知っていると言う。

コニーの店に自転車のコニーが戻ったところ、店の前を和歌子が通りがかるのを見たコニーが彼女を呼びとめる。コニーは和歌子がモデルの花籠をもつ少女像の絵の作者の名がゴロウだと知る。

雑誌『平凡』主催「第五回ミス平凡全国決戦審査場」の会場。
審査員は映画プロデューサー茂木了次、映画プロデューサー岩井金男、医学博士・太田龍太郎、日活撮影所・山崎所長、評論家・北島宗人、日活撮影所・桑山総務部長、ラジオ日本・吉場宣伝課長、漫画家・今有造(弘松三郎)、デザイナー森一恵(原恵子)、評論家・土師重雄(伊丹慶治)、シナリオライター柳沢類寿、美容家ヌマ秀子(坂井美紀子)、画家・桃山豪、演出家・山口純一郎、雑誌平凡編集長清水達夫らだ。
司会者はターキーさんこと水の江滝子(本人)だ。
京都代表の野々村由紀子堀恭子の本名だ。名古屋代表は渥美延、横浜代表は矢野昌子だ。

菊川では、鵠沼の夫の実家に行く和歌子を女将が見送る。和歌子が出かける時、岩井から電話があり、女将は、画家GMの正体がわかったことを知る。泰西画廊には、途中でコンクールの審査を抜けてきた桃山豪もいる。

「銀座二十四帖」トヨペット

トヨタ自動車工業が1953年(昭和28年)9月から1954年(昭和29年)10月まで生産していたトヨペット・スーパーのタクシーで采女橋まで来た雪乃は、同じ場所で菊川の絵を描いている望月三太郎に20円借りてタクシー代を払う。雪乃はコンクールで3位だったという。

泰西画廊ではGMのサインの絵の前に桃山豪が立ち、新聞記者たち(花村信輝、衣笠一夫)の取材を受けている。桃山豪は「GM」は「桃山豪」の頭文字だという。

湘南鎌倉の由比ヶ浜。夏休みの観光客でにぎわう。
鵠沼海岸。夏休み中の野外授業の水着の小学生たちが男の先生に率いられてビーチボールでキャッチボールをしている。担任の若い女の先生(滝川まゆみ)が京極珠代(江川美栄子)を呼ぶと、珠代は和歌子に再会し、そのまま早退する。

夜、菊川の二階の座敷で、桃山豪が和歌子の帰りを待ちわびながら、新聞記者たち、岩井、三人の芸者と酒を飲んでいる。
待ちかねた桃山豪は帰りかけるが、ビール瓶のお盆を運んできた雪乃に話しかけられる。
桃山豪は、雪乃が平凡のミスコンクールに出ていたこと、3位になったこと、和歌子のいとこだということを聞いて、雪乃を招いて、また座敷に戻る。

和歌子はコニーの店の前を通りがかり、店の机に向ってルリ子が英語の教科書を読み上げいるのを聞き、ルリ子に話しかける。
ルリ子は昭和30年8月18日、木曜日の夕刊の記事を和歌子に見せる。
「銀座のロマンス」「桃山豪氏(泥馬会)と元外交官令嬢の再会」の見出し、花籠をもつ少女の絵の前に立つ桃山豪の写真、和歌子の肖像写真が載っている。
絵は18年前の昭和12年(1937年)に修行中の桃山が奉天で描いたとある。
そこにコニーが帰ってくる。ルリ子を帰したあと、コニーは桃山には気をつけるよう和歌子に警告する。

「アンコール」で流しのアコーディオンの若い男(中島孝)とギターの若い女(石川喜子)が演奏しながら「銀座の雀」を歌う。

銀座の夜、銀座の朝
真夜中だって知っている
隅から隅まで知っている
おいらは銀座の雀なのさ
夏になったら啼きながら
忘れ物でもしたように
銀座八丁とびまわる
それでおいらは楽しいのさ

続きは中島孝が一人で歌う。チャーちゃんがカウンター内のママに夕刊の桃山豪の記事を見せようとすると、ママはもう読んだという。

春から夏 夏から秋
木枯しだって知っている
みぞれの辛さも 知っている
おいらは銀座の雀なのさ
赤いネオンに酔いながら
明日の生命いのちは風まかせ
今日の生命に生きるのさ
それでおいらは 楽しいのさ

桃山豪と岩井がやってくる。「銀座の雀」の続きを女の歌手が一人で歌う。花束をもったジープが入ってきて、桃山豪にGMのサインの画家の件で話があると言って外に連れ出す。近くにいたコニーが桃山がジープに金を渡すのを見て、近づき、たかりなんかするなとジープを責める。
桃山はコニーにカネは自分からジープにやったと説明して去る。ジープは「GMは自分だ」という人物がいると教えたら、向こうからカネをくれたと弁解する。ジープはもう花屋をやめると言って逃げ出すが、コニーが捕まえて、GMの正体は、いつも「オペラ」に来るスネークスのスカウトの三ツ星伍郎だと聞き出す。

「オペラ」の中二階席に、スネークスの新人投手・赤石峰男と、彼をハワイでスカウトした三ツ星伍郎(芦田伸介)が関係者と一緒にいる。赤石が、一階のダンスフロアに雪乃が湯川修と来たのを見つけて立ち上がる。
雪乃と踊っていた湯川修は、明日大阪に行くという赤石に雪乃を取られる。バーにはこれまでと違う背広姿の望月三太郎がいる。
花束をもったコニーが三ツ星に近づき、挨拶する。コニーが絵のことで話があると言うと、三ツ星は1階のバーにコニーを誘う。三ツ星は15~16年前、奉天にいて、京極和歌子の父・小栗領事もよく知っていたと言う。三ツ星は「銀座のGM」については首をつっこむなとコニーに警告する。
三ツ星が去ったあと、コニーはバーテン(三島謙)に「銀座のGM」のことを尋ねるが、バーテンは冗談だと思って取り合わず、望月三太郎にオレンジジュースのグラスを出す。

桜島山。画面外の森繁が平野国臣の和歌を詠みあげる。「我が胸の燃ゆる思ひにくらぶれば煙はうすし桜島山」。「ここは鹿児島銀座でごわす」
銀座通りのアーケードに鹿児島銀座劇場の上映中の映画劇、日活『地獄の接吻』(91分。1955年7月19日公開)、新東宝『アツカマ氏とオヤカマ氏』(90分。1955年7月19日公開)の広告が見える。
続いて雪の降る札幌の市電の走る大通り。「ここが蝦夷名物の札幌銀座」
各地の「銀座」の名を付けた盛り場。「北は北海道から南は九州まで、ナニナニ銀座と名付けられた盛り場がニッポン全国ではなんと247カ所もあるということでございます。驚くべき銀座ブーム」
大阪道頓堀の戎橋。
「しかし、ここ関西の代表都市・大阪の盛り場はさすがに独自の伝統を守って、由緒ある道頓堀、千日前に宗右衛門町、心斎橋筋の名もゆかしく、と、大阪の皆さん、なまじちょっと、おべんちゃら言わしてもろうて」
心材橋筋からこれまでと違って半袖の洋装の和歌子が歩いて来る。
「さて京極和歌子はじゃじゃ馬娘・仲町雪乃のファッションモデル志望をその父親に理解させるべく大阪にまいりました。しかし仲町雪乃嬢はどこへ行きましたかな」
南海難波駅の大阪「ナンバ(難波)球場」で5万の観客を集めたスネークス対ウェーブスの12回戦。7回の表、2アウト、ランナー1塁・2塁。赤石が登板している。スタンドの観客席に雪乃がいる。
7回裏の前の放送で雪乃が呼び出される。和歌子と会った雪乃は、雪乃の父から和歌子の監視付きという条件で許しが出たと聞いて喜ぶ。
球場を出ようとした和歌子に三ツ星が声をかけ、本物のGMのことで話があると言う。
スタンドにいた背広にネクタイ姿の望月三太郎が背広をもって走って出て行くのを見た雪乃は「あれえ?」とつぶやいて、彼を見る。望月三太郎は誰かを探しているうち、雪乃に出くわす。

三ツ星「15年前、奉天の小栗領事のところへころがりこんだ学生は一人ではなかった」
和歌子「はあ」
三ツ星「そのうちの一人は領事の世話で新政府の内務部へ務めたはずでしたな」
和歌子「それはわたくしの…」
三ツ星「そう、あなたのご主人、京極克巳氏でしたかな」
和歌子「あなた、一体どなたですか? どうしてそんなに昔のことを」
三ツ星「ハハハ、いやあ、私はただプロ野球の新人探し係。戦前は大陸にごろごろしていたことがありましてね。ハハハハハ」
和歌子「では、あの絵のGMをご存じなんですか?」
三ツ星「会ったことはありませんが、奥さま、そのGMらしい人物が銀座にいるそうじゃありませんか」
和歌子「銀座に?」
三ツ星「ご存じないんですか?」
和歌子「いいえ。その方、銀座のどこで何をしてらっしゃるんですの?」
三ツ星「GMのことはご主人にお会いになればわかりますよ」
和歌子「主人に?」
三ツ星「どうです、お会いになりませんか? なんなら私がすぐ連絡してあげてもよろしい」
和歌子「主人、こちらに来ておりますの?」
三ツ星「ハハハハ、まあ、私と一緒にいらっしゃい」
和歌子「わたくし、ここで失礼いたします」

スタンドのベンチ席で雪乃は和歌子にとってあった隣の席の望月三太郎に20円を返す。だがアイスクリーム売りが来ると、雪乃は望月にアイスクリーム代金20円を払わせる。

望月「僕はもう君にお金貸すのやめた」
雪乃「まだまだ。あたし、おなかすいたわ」
望月「ご飯も僕がおごるの?」
雪乃「エヘ、行きましょう」
望月「だって君は赤石のプレー観に来たんでしょう?」
雪乃「いいのよ、あれは」

「銀座二十四帖」WM

雪乃「あたしはユキノ・ナカマチ(Yukino Nakamachi)だからYN」
望月「じゃあWMのお隣だ」
雪乃「え?」
望月「W30のM70ってところかなあ。少し男性が勝ちすぎている」
雪乃「フ、そうかしら。じゃあ、おばさまは?」
望月「うーん、W100プラスX。女性が勝ちすぎてて追いかけるには少しまぶしすぎるな、ハハハ」
雪乃「アハハハ」

1955年(昭和30年)4月19日、39歳の市川崑(いちかわ・こん、1915年11月20日~2008年2月13日)監督、45歳の山村聰、31歳の三橋達也、21歳の北原三枝主演の日活映画劇『青春怪談』(115分)が公開された。
男性的な最先端のファッションの奥村千春を演じた北原三枝が評判となり、男性的女性を表す「W+M」の新語が流行した。
「W」は"woman"、「M」は"man"の頭文字だ。

背後に南海難波駅が見える。ここの台詞は、日活映画劇『青春怪談』で21歳の北原三枝が演じた奥村千春の男性的ファッションがきっかけで新語「W+M」が流行したことを踏まえた楽屋落ち的ギャグだ。

御堂筋の南端にある高島屋(南海タカシマヤ)で人形を買った和歌子が人形売り場の若い女の店員(星野晶子)に珠代の鵠沼の住所を言うと、店員は5分前に男性客が同じ品を同じ住所に送るよう指示したと教える。

画面外の森繁が大阪の百貨店の東京進出の状況を説明する。
「さて、この大阪のデパートの数が、まあ大阪の街や周りの人間の購買力ではすでにこの飽和状態。そこで大阪のデパートの東京進出ということに相成ったもんでござりまする。まあ、モノを買いたがるお方が大阪の数より銀座が多いという。すでに東京駅八重洲口には大丸が進出し、有楽町へは「そごう」が建築中です」

「銀座二十四帖」東京駅
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有楽町駅前の読売新聞社の地下2階・地上9階建ての読売会館は1955年(昭和30年)2月21日に建築起工し、1957年(昭和32年)4月22日に竣工した。設計は村野藤吾(1891年5月15日~1984年11月26日)だ。

1955年(昭和30年)5月23日に6階までの商業区画の「そごう」3号店として有楽町そごうが開店披露し、5月25日に開店した。

「さて、わが銀座のデパート松屋、三越、松坂屋。関西デパートの有力な位置への進出に、ショッピング・センター銀座の名にかけて負けてはいられない。今や猛烈な宣伝戦にしのぎを削っているようでございます」

「銀座二十四帖」

「それでは松坂屋デパートのホールでおこなわれております秋の新型パジャマ・ショーの状況をご覧に入れましょう。パジャマ、お寝巻きです。本ファッションショー中の白眉、オルデガ・スタイルでございます。妊婦用ではありません。これはご存じプロレス・スター、オルテガのガウンからヒントを得たものと銘打っております」

メヒコ(メキシコ)系のレスラーとされるジェス・オルテガ(Jesse Ortega、1922年~1977年7月28日)は1955年(昭和30年)7月、日本プロレスに初来日した。

ショーの演出家・湯川修が合図すると、ファション・モデルになった雪乃が中国風のパジャマを着て、大げさな身ぶりで階段を降りてくる。パジャマを脱いだ雪乃は回転し続け、目を回し、背広のコニーの連れた観客のルリ子たち孤児の女の子たちに笑われる。

「銀座二十四帖」パジャマショーの葉山良二

見物人の中に葉山良二がいる。

ジープもショーを見に来るが、孤児たちを見ると逃げ去る。

「銀座二十四帖」パジャマショーの葉山良二2
「銀座二十四帖」パジャマショーの葉山良二3

ルリ子がコニーにジープを捕まえて、また一緒に仕事をするよう頼んで、と頼む。コニーは背広の望月三太郎とぶつかる。

夜、「アンコール」に半袖のアロハシャツの桃山豪が入って来て、チャーちゃんの隣のカウンター席に座る。初枝は、初老の眼鏡に和服の男(小泉郁之助)の膝の上に抱かれ、ビールを飲んでいる。
コニーがやって来ると、チャーちゃんが、ジープは東銀座の「キャロル」という店でポン(ヒロポン)売りの手伝いをしていると教える。「銀座のGMから聞いた」と言えば中に入れてもらえるという。銀座のGMはポンや麻薬を全部押さえているのだという。

コニーは二階にあるキャロルに入る。カウンターに望月三太郎がいる。コニーはGMに聞いたと言って、立ち入り禁止の奥の1階に降りる。汚い男女で一杯の薄暗い小屋にヒロポン中毒のジープが寝ていた。

「銀座二十四帖」「地獄の銃火」

ジープの横の壁にワイルドゥ・ビル・エリオットゥ(Wild Bill Elliott、1904年10月16日~1965年11月26日)主演の総天然色のアメリカ西部映画劇『地獄の銃火』Hellfire(90分。1949年5月29日初公開。1952年11月15日日本公開)日本版のポスターが貼ってある。

「キャロル」のマスター(山田禅二)が現われ、コニーの花束をつかみ取って、札をコニーのシャツのポケットに入れ、コニーを追い返す。コニーはマスターにGMに会って話がしたいと言うが、無視され、周囲のヒロポン中毒の薄汚い男たちから笑われる。
2階のバーの望月は女給に勘定の120円を払う。
半袖シャツの「ハンモックの辰」(深江章喜)は1階のハンモックで寝ていたが、その後、2階に上がっていた。
辰が階段を上りかけるコニーの前に立ちはだかり、コニーと殴り合う。それをきっかけにほかの男たちもコニーを相手に乱闘になる。コニーは殴り倒されるが、ヘルメットをかぶった警官隊が乗り込んでくる。 

別の日の昼、築地警察署の留置所。コニーとキャロルのマスターは同じ房に入れられている。コニーは通路の警官から食事を受けとる。マスターはコニーに、GMについて「三室戸(みむろと)」という名前しか知らないと言う。それを聞いて、コニーは「三室戸五郎」の名を口にし、GMの正体がわかったらしい。
眼鏡の警官(河上信夫)が「17号」のコニーを房から出し、釈放だと告げる。

「銀座二十四帖」築地警察

警察の事務室の壁の黒板の横に1954年(昭和29年)7月のカレンダーが見える。
コニーの身元引受人は、ルリ子ら孤児の女の子たちと和歌子の代理と称する雪乃だった。和歌子は珠代の病気で鵠沼にいるという。コニーは和歌子が離婚を考えていることもすでに雪乃から聞いていた。

「銀座二十四帖」新高ドロップ

菊川の二階の窓からサブリナパンツの雪乃が采女橋で菊川の絵を描いている望月三太郎を見つけ、その日は仕事がないと言って、強引に望月を遊びに誘う。雪乃は「ドロップ食べない?」と言って、望月の口に、新高にいたか製菓のポケット用のニイタカドロップの端を突っ込む。

鵠沼海岸では、元気になった珠代が泥で遊び、その近くでコニーと和服の和歌子がボートの端に座って話している。和歌子は犯罪に関わっている夫と別れ、岩井の世話で、絵を売った資金で、西銀座にバーを開いて自立するつもりだという。
コニーは和歌子には水商売は向かないと説得する。和歌子はコニーにGMの絵を譲りたいと申し出た上、バーの経営をやめるのでコニーの店を手伝わせてほしいと頼む。

数寄屋橋の鐘が鳴る銀座教会の1階の平和相互銀行から、鞄をもった三ツ星伍郎が出てくる。背広の望月三太郎と帽子をかぶった半袖シャツの男(峰三平)が三ツ星を尾行していたが、望月は同僚に尾行を任せ、その場を去る。

「銀座二十四帖」みゆき通り

銀座風月堂のある俗に「銀座パリー」と呼ばれる「みゆき通り」。

「銀座二十四帖」ジュリアン・ソレル

並木通りとみゆき通りの角の「洋品店ジュリアン・ソレル」からサングラスの雪乃が出てくる。桃山豪が雪乃に挨拶する。

ジュリアン・ソレル(Julien Sorel)はスタンダル(Stendhal、1783年1月23日~1842年3月23日)の長篇小説『赤と黒』Le Rouge et le Noir(1830年)の主人公の名前だ。
1954年12月25日、みゆき通りの東宝直営の日比谷スカラ座で、この小説を映画化した、31歳のジェラール・フィリップ(Gérard Philipe、1922年12月4日~1959年11月25日)主演、フランスとイターリア合作の総天然色の映画劇『赤と黒』Le Rouge et le Noir(185分。1954年10月29日初公開)の短縮版(144分)の日本語字幕版が公開された。

銀座の路地で和服のチャーちゃんが半袖シャツのジープを見つけ、呼び止めるが、ジープは走って逃げる。
コニーの店ではジープに代って、それまでと違うノースリーブの洋装にエプロン姿の和歌子が働いている。
ルリ子がよそのおじさんから預かった手紙を和歌子に渡す。和歌子はコニーに、夫が会って話したいと言ってきていると教える。
コニーは和歌子をビルの屋上に連れ出し、実はGMは自分の兄「三室戸五郎」だと打ち明ける。兄は社会主義運動家で内地を追われ、奉天に逃げたという。
コニーは和歌子に夫と会うよう勧めるが、和歌子はもう夫との関係は修復できないと言う。

「銀座二十四帖」銀座の川

前方に東銀座の歌舞伎座の屋根が見える。
和歌子「ご覧なさい。銀座の周りの川も、段々埋められていきますわ。外堀も、京橋川も、汐留川も。この建物の下も以前は三十間堀が流れておりました。あなたのお好きな銀座も段々変わっていきます。人間だって同しこと。一度変わってしまえば、元へ戻ることは容易ではありません。あたくしをこのままにしておいてください」

和歌子が夫と別れる決意を固めているのを知ったコニーは、和歌子の替わりに京極克巳に会うと申し出て、京極克巳はキャバレー「オペラ」で会えると聞くと、一人で出かける。

夜の「オペラ」。背広のコニーがバーテン(白井鋭)に「京極さんに会いに来たんだが」と言うと、バーテンが円卓の反対側に行く。コニーがバーテンを追いかけると、前と同じ場所に望月三太郎がいる。コニーが「京極さんの奥さんの代理で来たんだ」と言うと、バーテンは無言で奥のカーテンを目くばせする。

コニーが奥のカーテンの向こうに入ると、階段の下に顔見知りのアロハシャツの男(青木富夫)が立っている。コニーが「京極さんに会いにきたんだ」と言うと、男は奥の階段を目くばせし、「行ってみな。面白いのやってるぞ。銀座マシン・サプライの事務所だ」と言う。
2階に上がると、「銀座マシン・サプライ(Ginza Machine Supply)」の事務所があるが、コニーは用心棒(水谷謙次)にはばまれ、「京極の奥さんの代理だ」と言う。
用心棒がドアを開け、コニーが中に入ると、真っ暗で映写機の音がする。明かりがつくと、三ツ星と仲間の映写機係の男、その前の座席に2人の白いスーツの外国人客がいる。
三ツ星にコニーは「京極和歌子さんの代理で来ました」と言う。映写幕の前に三ツ星の部下もいる。

「銀座二十四帖」映写室

部屋の壁に1954年(昭和29年)8月のカレンダーが貼られている。

三ツ星はコニーに「和歌子さんは銀座のGMの奥さんなんだ」と教える。コニーはGMは自分の兄に違いないと言うが、三ツ星は銀座のGMに会ってみろと言い、裏の階段を上れと指示する。
コニーが階段を上って屋上に出ると、和光の時計台が見え、8時30分の時報が鳴る。屋上のさらに上の階段のあるネオンサイン台の前に、ソフト帽の男「銀座のGM」(河津清三郎)が立っている、GMはコニーを知っていた。
京極は「三室戸五郎」と名乗り、それを聞いたコニーはネオンサイン台の階段を上って、GMに近づく。向かいの時計の針は8時40分を指している(時計の時刻は映画撮影にかかった時間を反映していると思われる)。
コニーは「兄さん、兄さんだね、僕だよ」と言いながら京極に近づく。

「銀座二十四帖」森永

オペラのビルの屋上の上のネオンサイン台のすぐ向かいに森永製菓の地球儀広告塔の「森永キャラメル」のネオンサインが見える。
コニーは「弟のカンだよ。三室戸カンだよ」と言う。銀座のGMが振り向いて、コニーの顔を見る。

コニー「違う。あなたは僕の兄じゃない」
銀座のGM「お前が五郎の弟?」
コニー「銀座のGMは兄さんじゃなかったのか」
銀座のGM「ハッハハ、花売りコニーが三室戸五郎の弟。三室戸五郎はとうの昔に死んでしまったよ」
コニー「死んだ?」
銀座のGM「コニー、お前、和歌子の使いでここへ来たんじゃないのか?」
コニー「和歌子? じゃあ、あなたは」
銀座のGM「そうだ。和歌子の亭主、そして三室戸五郎の昔の親友、京極克巳。フフ。和歌子は今でも三室戸五郎に夢のような憧れをもち続けているらしい。しかし、そのGMを俺が名乗っていることはまるっきり知らないらしい」
コニー「京極さん、あなたはどんな理由があって兄の名を勝手に使ったんです?」
京極「五郎は俺の同志だったからな」
コニー「同志だったら麻薬の密売なんかに勝手に名前を使ったりして、もう死んでしまった人間の名を汚して、それで、それで済むと思ってるんですか。京極克己という名を隠すために、そんな卑劣なことをして」
京極「済まん、許してくれ。お前の兄の名を変名に使ったのは悪かった。まさかその弟が現われようとは、流石の俺も気が付かなかったんだ。しかし、その変名も使う必要はなかったようだな。今では京極克己の名はその筋に知れ渡ってる。ご存じのように逃げ回ってる。俺は女房子供に会うこともできない」
コニー「和歌子さんは会う必要はないと言っている」
京極「しかし、俺は和歌子の亭主だ」
コニー「和歌子さんはヒロポン密売者なんかの妻でいたくないと言っている。あなたに名前を汚された三室戸五郎のようには、自分の名を汚されたくないんでしょう」
9時の時報が鳴る。
京極「コニー、まあ一杯やらんか」
京極は屈んでグラスに氷を入れる。
京極「五郎と俺とはな、一緒に学生運動に飛び込んで、ニッポンを飛び出した仲間だった」
京極「(酒瓶をもち)大陸に渡って、奉天ほうてんで小栗領事の世話になったんだ。仲のいい同志だったが。それから」
コニー「それから? (屈んで)兄貴はどうしたんです?」
京極「奥地で死んだ。いや、殺された」
コニー「誰に? 誰に殺されたんです?」
京極「わからん。(画面外の酒をグラスに注ぎ)とにかく五郎は死んで、俺は生き残った。お前には悪いがな、五郎が殺され、俺が助かった時、密かに祝杯を上げたよ。今のようにな」
コニー「何?」
京極「俺は人に負けるのが嫌いな男だ。三室戸五郎の初恋の女、小栗和歌子も、今は俺の女房だ」
京極が酒を飲み始める。
コニー「しかしその和歌子さんも今ではあなたに絶望して、あなたから離れようとしている」
京極「そうはさせん。和歌子は俺の妻だ」
京極は手すりにもたれ、向かいの松下電器の広告塔の「ナショナル・テレビ」のネオンサインを見ている。
京極「俺は子供の頃から誰にも愛されたことのない男だ。お袋は大事にしてくれたが、それも京極家という家名のためだ。
その俺に友情らしいものをもってくれたのは、(コニーの方を振り向き)お前の兄貴一人さ。
しかし可哀そうに俺みたいな男を同志と思い込んで、主義のため、理想のためという、きれいな名前で、無駄な死に方をしてしまった。
なぜだ? 力だ。力の裏付けがないからだ。
あいつはいい奴だったが、力がなかった。ただそれだけだ。
三室戸五郎はこの世の中に何を残したというんだ?」
コニー「じゃあ、あなたはどうなんだ? 生き残ったあなたはこの世に何を残してるんだ? ヒロポン中毒、犯罪、人間の破壊。
こんな明るい銀座を闇にしようというだけじゃないか」
京極「バカなことを言うな。俺が銀座のポン(ヒロポンの略)やペイ(ヘロインの隠語)を押さえなかったら、どうなってたと思うんだ? 
俺は俺の力で誰も彼も追い出してしまった。三国人も一歩も踏み込ませはしない。
俺がもし手を引いていたら、今よりもっとひどい勢いで麻薬が氾濫して、銀座の夜は真っ暗闇になってたはずだ」
コニー「そんな理由であなたの悪行が正当化されてたまるもんか。あなたには人間の善意というものが信じられないんですか?」
京極「善意?」
コニー「おんなじ努力で銀座の夜を、いや、この世の中をもっと明るいもんに、いや、もっと平和なもんにできるはずじゃありませんか」
京極「平和? ハハハ。青臭いことを言うな。
人類の歴史は闘争の歴史だってことを知らないのか? 弱肉強食、ケダモノの世界とちっとも違いはしない。
いや、もっと始末が悪い。今は原子力の時代だ。原爆や水爆。こんな時代に自分の力以外に何が頼れる? 
俺は自分の力以外信じない。いや、信じちゃいない」
コニー「あなたは自分とまったく反対の考えをもった、善意の人たちが大勢いることを忘れています」
京極「忘れてはいない。たとえば、お前の兄、三室戸五郎もその一人さ。ところが彼の善意がこの世の中へ残したものは何だ? 
初恋の乙女を描いたたった一枚の油絵だけではなかったかね」
コニー「その絵に描かれた和歌子さんは、あなたのような考え方には反対しています」
京極「そうだろう。あてつけがましく。
今になって、あの絵を画廊に飾らすくらいだから。
京極はグラスを手に取り酒を注ぐ。
京極「結婚以来、和歌子はあの絵を隠して、いっぺんもこの俺には見せなかった。
(酒を飲み)コニー。和歌子はどうしても俺に会いたくないと言うのか? どうしても別れると言うのか?」
コニー「そうです。そう言ってます」
京極「(一度口に近づけたグラスの酒を背後に投げ捨て)生意気な! 
俺はあいつのために何でもしてやった。俺はあいつの幸せのためには手段を選ばず、身を粉にして働いて、ついにはこんなことにまでなってしまったんだ。
俺はあの女を苦しめたことがあるというのか? 悲しましたことがあるというのか? 
俺はもうこのニッポンに身の置き所がない体だ。この銀座とも今夜でお別れなんだ。
チキショウ。会いに来たくなければ来なくってもいい。俺は一人でもいい。(突然絶叫し早口で)XXXXXXてもいい!
(冷静な声に戻り)帰れ、コニー。帰って和歌子にそう言え。
俺は京極和歌子の夫だ。俺は絶対にあいつを放しはしない。
あいつが離れようとしても俺は、俺は俺のやり方で、死ぬまであいつを可愛がってやるんだ! (グラスを投げ捨て)帰れ!」
コニー「京極さん、あなたがこれ以上、和歌子さんを放さないんなら、あの人を不幸せにするばかりです。
あなたがあの人の不幸せを願うなら、コニーは体を張ってもあの人を守ってみせます」
コニーが屋上に降りて行くと、望月三太郎と出くわし、肩を叩かれる。望月は、こちらを見ている京極を見上げる。あとから警官隊が駆けつける。

「銀座マシン・サプライ」にも警官隊が駆け込み、三ツ星らは逮捕され、違法のブルーフィルムが押収される。

和光の時計台の時計は9時40分前を指している。追いつめられた京極が屋上の警官隊に向けて拳銃を発砲する。警官隊とコニーはネオンサイン台に上り、さらに京極を追いつめる。
京極は背広の内ポケットから封筒を取り出し、コニーに向って投げ、「コニー、和歌子に渡してくれ」と言う。コニーが封筒を拾い上げると、京極は「離婚手続きの書類だ」と言う。
京極「コニー。どうやら俺の負けのようだ」
京極は拳銃で自分の頭を撃つ。

「銀座二十四帖」ナショナル
「銀座二十四帖」銀座の柳

銀座柳の碑」。背後にアメリカの犯罪映画劇『Gメン対間諜』The House on 92nd Street(88分。1945年9月10日初公開。1951年3月27日日本公開)のポスターの立て看板が見える。

「銀座二十四帖」スカート


銀座の柳の映像に画面外の森繁の説明「古来美人のウエストラインと比較されたしだれ柳」
銀座の柳の通りをハンドバッグをもってハイヒールで歩くスカートの女性(明美京子)が歩道の通風孔の上に立つと金網から吹く風でスカートがまくれ上がる。
この場面は、アメリカ映画劇『七年目の浮気』The Seven Year Itch(105分。1955年6月3日初公開。1955年11月1日日本公開)のモンロウの有名な場面のパロディだ。

森繁「現代的ヘップバーン・スタイルの立柳」
1954年(昭和29年)9月17日、日比谷映画劇場で本国に先駆け日本語字幕版が先行公開された、アメリカ映画劇『麗しのサブリナ』Sabrina(112分)の24歳のオードゥリ・ヘップバーン(Audrey Hepburn、1929年5月4日~1993年1月20日)の体型が、それまでのグラマー女優と対照的に、ほっそりしていることを踏まえている。

汐留川の新橋と難波橋の間、浜離宮、浅草行き水上バスの発着場で、ノースリーブの雪乃が誰かを待っている。背広に首からカメラをぶら下げた湯川修が「雪乃ちゃん」と声をかけ、彼女の写真を撮る。
石垣の上の映画館「銀座全線座」では、1955年(昭和30年)6月18日、フランスに先駆け、日比谷映画劇場で日本語字幕版が先行公開された、エミル・ゾラ(Emile Zola、1840年4月2日~1902年9月29日)の長篇小説『ナナ』Nana(1880年)原作、34歳のマルティーヌ・キャロル(Martine Carol、1920年5月16日~1967年2月6日)主演、フランスとイターリアの合作、総天然色の映画劇『女優ナナ』Nana(120分)を上映中だ。

「銀座二十四帖」全線座

銀座全線座の前に、雪乃と待ち合わせていた警官の制服の警視庁の警部・望月三太郎が現われる。雪乃から望月を警部と紹介された湯川修はあわてて逃げ去る。
望月の台詞によると、和歌子は鵠沼の京極の実家に帰ることにしたという。
望月は絵が展覧会で第一位に選ばれ、警視総監賞をもらう式に出て、すぐ駆けつけたという。

コニーの店では、ルリ子、八重子、みさちゃんが見守る中、暗い顔のコニーが和歌子に貰ったGMの絵を壁に掛ける。和服の和歌子は暗い顔で鵠沼に出かけようとしている。

店を出た和歌子を追って新橋駅に向かうコニーに、ルリ子が花束を渡す。

「銀座二十四帖」銀座全線座

銀座全線座の前を花束をもつコニーが通り、難波橋を渡る。

画面外の森繁「今日午後2時30分、中央気象台発表の気象速報によれば、小笠原沖に停滞していた台風第21号は俄然勢力を増大、時速50キロの猛スピードで、進路を北北西に転じ、今夜半ニッポン列島に上陸の見込み。甚大なる被害が予想されております。皆さん、台風の用意はよろしいですかな。雨漏りはバケツ、洗面器、ロウソク、つっかえ棒、おにぎり、沢庵、屋根の重し、 おっと、そういう間にもはや怪しい風が吹いてくる。そろそろ、わたくしも、ここらで退散。しかし、わが子コニーの運命やいかに? さらば諸君よ、さよならだけが人生というものでありましょうか」

新橋駅前では学生服の高校生の男女により「終戦十年原子力平和利用賛成署名運動」がおこなわれている。コニーも署名する。

「銀座二十四帖」チャーちゃん2

その横で「銀座職業婦人連合会」のチャーちゃんたち、若い職業女性が集めている売春禁止法支持の署名簿にもチャーちゃんに呼び止められたコニーが署名する。
銀座職業婦人連合会」署名台の新日新聞特報の張り紙に「泥川基地接収問題交渉決裂」「原爆弾頭持込み承認?」「オネスト・ジョーンの脅威!」「銀座のポン窟続々摘撥!!」とある。

泥川基地」は「砂川基地」のパロディだ。
1955年(昭和30年)5月4日、アメリカ軍の立川基地拡張計画が砂川町長に通告され、5月8日、砂川町基地拡張反対同盟が結成された。

1955年(昭和30年)5月28日、福岡県の築城基地T-33練習機操縦学生5人が卒業、日本初のジェット機パイロット5人が生まれた。

1955年(昭和30年)7月27日から29日にかけて開かれた第6回全国協議会(六全協)で日本共産党は方針転換し、所感派による武装闘争路線が「極左冒険主義」として総括され、査問の後、事実上除名処分となっていた国際派が復権した。

1955年(昭和30年)8月8日から20日まで、国連の主催で、ジュネーヴで第1回原子力平和利用国際会議が開かれた。

1955年(昭和30年)10月13日、左派と右派に分裂していた日本社会党が4年ぶりの再統一に合意した。

1955年(昭和30年)11月15日、日本社会党に対抗するため、自由民主党が結党された。衆議院議員299人、参議院議員118人が結集した戦後最大の政党となった。
72歳の鳩山一郎(1883年1月1日~1959年3月7日)、59歳の岸信介(1896年11月13日~1987年8月7日)は日本國憲法の制定がアメリカ主導だったことを問題視し、これに代わる国民の総意による自主憲法の制定を政治目標とした。

1955年(昭和30年)11月7日、富士山ろくで、極東米陸軍第5野戦ロケット部隊がアメリカ初の核弾頭搭載の地対地ミサイル「オネスト・ジョン (Honest John)」の試射をおこなった。

1955年(昭和30年)11月14日、ワシントゥンDCで、アメリカから日本濃縮ウランを貸与するための日米原子力研究協定が正式調印され、同年12月27日発効した。

売春防止法の議員立法の「売春等処罰法案」は1956年(昭和31年)5月3日に衆議院法務委員会に提出され、同月21日に可決、24日に公布され、1957年(昭和32年)4月1日に施行された。

午後3時50分(物語内時間の連続する次のカットでは4時6分)、新橋駅のホームでは、 1954年(昭和29年)7月1日に設置された海上自衛隊の制服の若者たちが発足時から歌い継がれた行進歌「海をゆく」を合唱している。

揺るがぬ旗じるし
おお選ばれた自衛隊 海を守るわれら

暗い顔のコニーが暗い顔の和歌子に花束を渡す。

「銀座二十四帖」銀座の雀

森繁久彌「銀座の雀」

すてばちになるには 余りにもあかるすぎる
この街の夜 この街の朝にも
赤いネオンの灯さえ
明日の望みにまたたくのさ

昨日別れて 今日は今日なのさ
惚れて好かれて さようなら
後にゃなんにも残らない

春から夏 夏から秋
木枯らしだって知っている
みぞれの辛さも 知っている

おいらは銀座の雀なのさ
赤いネオンによいながら
明日の望みは風まかせ
今日の生命に生きるのさ
それでおいらは うれしいのさ

 コニーが銀座四丁目の交差点を渡るとき、撮影機が和光ビルの時計台をとらえる。午後1時5分だ。




























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