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ジュール・ルワ、ジャン・ペレグリと1962年の映画劇『公正のオリーヴ』


1946年12月16日、パリで、フランセ人のアルジェリ移民の子である39歳のジュール・ルワ(Jules Roy、1907年10月22日~2000年6月15日)の小説『幸福の渓谷』La Vallée heureuse (Charlot)が刊行された。

「幸福の渓谷(Happy Valley、La Vallée heureuse)」は第二次大戦中のドイチュ人帝界の重工業の中心地ルア渓谷(Das Ruhrtal)を爆撃に行った連合王国の王立空軍(Royal Air Force)の爆撃機搭乗員たちが、皮肉を込めてルア渓谷につけた呼称だ。

1951年11月19日、パリで、44歳のジュール・ルワによるアントゥワヌ・ドゥ・サン・テグジュペリ(Antoine de Saint-Exupéry、1900年6月29日~1944年7月31日)についての評伝『サン・テグジュペリの情熱と死』Passion et mort de Saint-Exupéry (Gallimard)が刊行された。

1955年4月1日、パリで、47歳のジュール・ルワの小説『不貞の妻』La femme infidèle(Gallimard)が刊行された。

1955年7月30日、「新銳海外文學叢書」、ジュール・ロワ著、27歳の金子博 (1928年2月16日~)譯『幸福の谷間』(新潮社、260円、地方売価270円)が刊行された。

1957年5月25日、「ミリオン・ブックス」、48歳の大塚幸男(おおつか・ゆきお、1909年2月18日~1992年9月9日)訳『不貞の妻』(大日本雄弁会講談社、140円)が刊行された。

1959年10月13日、パリで、39歳のジャン・ペレグリ(Jean Pélégri、1920年6月20日~2003年9月24日)の自伝的小説『公正のオリーヴ』Les Oliviers de la justice(Gallimard)が刊行された。

フランセ人共和国の北アフリカの領土で、独立戦争が戦われているアルジェリ出身のフランセ人の青年ジャン(Jean)は病気の父ミシェル(Michel)を見舞うため、アルジェリの首都アルジェリを訪れる。ジャンは次第にアルジェリに愛着を覚えるようになる。

1959年12月16日、フランセ共和国で、57歳のロベール・ブレッソン(Robert Bresson、1901年9月25日~1999年12月18日)脚本・監督、24歳のマルティン・ラサル(Martin LaSalle、1935年1月19日~2018年10月17日)、16歳のマリカ・グリーヌ(Marika Green、1943年6月21日~)主演の映画劇『スリ』 Pickpocket(75分)が公開された。
撮影は1959年6月22日~9月12日におこなわれた。

39歳のジャン・ペレグリが、パリのスリ常習犯の主人公ミシェル(Michel)を取調べる刑事を演じた。

1960年8月17日、日比谷スカラ座で、映画劇『スリ』 Pickpocketの日本語字幕版が公開された。

1960年9月、パリで、52歳のジュール・ルワ(Jules Roy、1907年10月22日~ 2000年6月15日)著『アルジェリ戦争』La guerre d'Algérie (Julliard)が刊行された。

1961年6月24日、「岩波新書」、ジュール・ロワ著、32歳の鈴木道彦(1929年4月26日~)訳『アルジェリア戦争私は証言する』(岩波書店、100円)が刊行された。

1962年6月6日、フランスで、41歳のジャン・ペレグリ原作・脚本・助監督、31歳のジェイムズ・ブルー(James Blue、1930年10月10日~1980年6月14日)脚本・監督、42歳のスィルヴァン・ドム(Sylvain Dhomme、1918年11月30日~2013年3月12日)共同脚本、ピエール・プロトン(Pierre Prothon)、ジャン・ペレグリ主演の映画劇『公正のオリーヴ』Les Oliviers de la justice(81分)が公開された。

撮影は1961年9月~1962年1月に、アルジェリでおこなわれた。

音楽作曲は、37歳のモリース・ジャール(Maurice Jarre、1924年9月13日~2009年3月29日)だ。

ジャンプロトン、ジャンの父ミシェルペレグリが演じた。

ジャン
ミシェル

撮影監督は、25歳のジュリユス・ラシェフ(Julius Rascheff、1936年7月1日~2017年8月12日)だ。

1962年7月3日、アル・ジャザーイリーヤ人民民主共和国が成立した。

1962年7月4日、日本国アル・ジャザーイリーヤ人民民主共和国の独立を承認した。

1963年10月、パリで、1953年5月19日~1954年5月7日のジュール・ルワの戦記『ディエン・ビエン・フーの戦闘』La bataille de Diên Biên Phû(Julliard)が刊行された。

1964年1月27日、中華人民共和国フランセ人共和国外交関係を結んだ。

1964年2月14日、日本国在アルジェリア大使館を開設した。

1964年12月末発売の『映画評論』(映画出版社)1965年1月号(200円)掲載、関口英男(1929年~)「大きく伸長するアメリカの独立映画製作者」より引用する(61頁)。

 ジェームス・ブルーの"The Olive Trees of Justica"(正義のオリーブ樹)はフランス支配下にあったアルジェリヤの独立前を描いており、主人公はフランスの植民地の農夫の息子である。ブルーは二十年前の自身の平和な幼年時代を思い出し、その記憶で描いたものらしいが、この映画を「息子の記憶に生きるオデッセイ」と呼んでいるあたり、映像化された「失わわれた時を求めて」ともいうべきものであろう。過去のアルジェリヤの姿と一九六〇年代初頭のアルジェリヤとの対比、過去と現在、原住民の生活とフランス植民地人の生活などが巧みに交錯し、見事なアラベスクを為している。カメラは人々でごったがえす昼下りの市場や、田舎の小さな流れや丘や葡萄畑など自然を描くかと思えば、また回教徒の住む茅屋と蒲[ママ]洒なフランス風な住居を対比して描く、という風に対照の妙を得ている。
 ある場面では兵隊たちが道路に埋めてあった爆薬を掘り出したりするところを捕[ママ]えており、映画は実際にアルジェリヤ戦争中に撮影され、非常な危険におかされながら続けられたという。スタジオは五回もOASの秘密警察に襲われた。ある日の如きはブルーとスタッフのメンバーが映写室に籠っているところを爆薬をしかけられ、幸いスタッフの一員が何か匂うのに気がついて調べてみたところ、爆薬への導線が燃えているところだった。爆発寸前というまさに映画のシーンを地で行くような危険な眼に遭っているのである。

1965年9月14日、「至誠堂新書」、ジュール・ロワ著、38歳の朝倉剛(あさくら・かたし、1926年9月29日~2000年5月9日)、37歳の篠田浩一郎(1928年2月18日~2022年12月25日)訳『ディエンビエンフー陥落 : ベトナムの勝者と敗者』(至誠堂、450円)が刊行された。

原著の抄訳で、翻訳は、朝倉剛、35歳の山崎庸一郎(やまさき・よういちろう、1929年10月21日~2013年7月21日)、篠田浩一郎、34歳の岩崎力(いわさき・つとむ、1931年8月12日~ 2015年4月10日)、34歳の窪川英水(くぼかわ・ひでお、1931年7月26日~)、井田進也(いだ・しんや、1938年~2016年11月27日)が分担し、朝倉と篠田が統一した。

1965年10月、パリで、57歳のジュール・ルワの1964年9月1日~10月30日の中華人民共和国見聞記『チーナ旅行』Le voyage en chine(Julliard)が刊行された。

1966年6月、パリで、1945年7月23日~8月15日の89歳のフィリップ・ペタン(Philippe Pétain、1856年4月24日~1951年7月23日)についてのジュール・ルワによる裁判記録『大崩壊』Le grand naufrage(Julliard)が刊行された。

1966年8月31日、ジュール・ロワ著、38歳の篠田浩一郎、36歳の山崎庸一郎、35歳の岩崎力訳『中国で経験したこと』(至誠堂、680円)が刊行された。

1966年9月18日~10月16日、61歳の進歩的知識人ジャン・ポール・サルトゥル(Jean-Paul Sartre、1905年6月21日~1980年4月15日)とスィモーヌ・ドゥ・ボヴワール (Simone de Beauvoir、1908年1月9日~1986年4月14日) が京都の出版社「人文じんぶん書院」と東京の慶應義塾大学の招きに応じて日本を訪問した。

1966年9月30日、東京都千代田区一ツ橋一丁目の竹橋駅前に、毎日新聞社日本リーダーズダイジェスト三和銀行の系列会社・東洋不動産が所有する、リーダーズ・ダイジェスト社の新社屋、地上9階、塔屋3階、地下6階建ての「パレスサイド・ビルディング」が竣工した。

1966年10月6日、「パレスサイド・ビルディング」9階の特設宴会場で落成披露の宴が催された。
日本リーダーズ・ダイジェスト社がアメリカ連合国から招いた、65歳のジョン・ガンサー(John Gunther、1901年8月30日~1970年5月29日)らが参会した。

1966年10月16日発売の総合週刊誌『サンデー毎日』(毎日新聞社)11月6日号(50円)の「サンデー時評」に66歳の大宅壮一(おおや・そういち、1900年9月13日~1970年11月22日)「ガンサーとサルトル」が掲載された。

1967年6月10日発行、「大宅壮一の本」(全8巻)8、『社会診断の五十年』(サンケイ新聞出版局、450円)、「ガンサーとサルトル」、「ホンモノの知識人とは」より引用する(156~158頁)。

 ところで、ガンサーのこんどの訪日は、日本の知識人のあいだに、何の波紋をもまきおこさなかったけれど、サルトル夫妻が日本の知識大衆に与えたショックは相当大きかった。その講演記録は多くの新聞雑誌に掲載され、夫妻が日本を去った後でも、あれこれと議論の的になっている。一つはその内容が観念的、思弁的で、日本の知的上層の好みにあう適度の〝甘さ〟をふくみ、そのサロン的なエリート意識に訴える点があったからであろう。
 サルトルの講演はいろいろな問題をとりあげているが、重点は知識人のありかたにおかれている。もっと具体的にいえば、インテリというのは、〝実践的知識の技術者〟のことで、これをホンモノとニセモノにはっきりわけて、その中間を認めないのである。では、ホンモノの知識人とは何か。かいつまんでいうと、
「支配階級によって与えられた資本としての資本を使って、被搾取階級の内部に、普遍化の専門家を創造する」
 もっと具体的にいえば、支配階級のつくった大学で身につけた知識を武器にして、被搾取階級のためにたたかう闘士を養成する、つまり反体制運動に挺身することである。それをしないで、その知識によって支配階級に奉仕したり、それで生活を支え宇ことに甘んじたりしているものは〝ニセ知識人〟ということになる。
 だが、この知識階級論は、古風なマルクス主義の公式論から出ないことは明らかである。
 それはさておいて、こういう考えをもっているサルトルがボーボアール女史同伴で「文化大革命」と紅衛兵騒ぎの中国を訪れたとしたら、果してどういうことになるだろうか。
 その回答は、ジュール・ロワの『中国で経験したこと』を読めば与えられそうである。ロワは『アルジェリア戦争』『ディエンビエンフー陥落』といったような著作で、反植民地主義的、反体制的立場を明確に示した〝進歩的〟知識人だが、一昨年、中国の「対外文化協会」の招待でボーボアール女史に似た女性とともに中国を訪れ、毛沢東の神格化と人民の人格無視にあいそをつかし
「魯迅がもし革命に生きのこっていたなら、反革命派にならなかったろうか」
という断定を下している。

1967年7月31日、「ハヤカワ・ノンフィクション」、ジュール・ルワ著、37歳の三輪秀彦(みわ・ひでひこ、1930年2月10日~2018年12月15日)訳『大いなる失墜甦る悲劇の人、ペタン元帥』(早川書房、450円)が刊行された。

1969年7月20日、ジュール・ロワ著、39歳の山崎庸一郎訳『サン=テグジュペリ 愛と死』(晶文社、800円)が刊行された。
装幀は平野甲賀(ひらの・こうが、1938年~2021年3月22日)だ。

1975年1月6日、フランセ共和国で、国営全国放送局「アンテーヌ2(Antenne 2)」が開局した。

1975年6月7日、アンテーヌ2で、20時35分、パリ14区の「プレザンス地区(Quartier de Plaisance)」の破壊と高齢者住民の困窮を題材とする、54歳のジャン・ペレグリ脚本、55歳のピエール・ゴトゥラン(Pierre Gautherin、1919年7月16日~2001年9月11日)監督、82歳のシャルル・ヴァネル(Charles Vanel、1892年8月21日~1989年4月15日)、67歳のレモン・ビュスィエール(Raymond Bussières、1907年11月3日~1982年4月29日)、65歳のジェルメーヌ・モンテロ(Germaine Montero、1909年10月22日~2000年6月29日)主演のテレビ映画劇『たのしい(プレザンスの)暮らし』La vie de plaisance(91分)が放映された。

パリのプレザンス地区の老朽化したアパートで老後の年金生活を送るマルセル(Marcel)(ヴァネル)、レモンドゥ(Raymonde)(モンテロ)の老夫婦は結婚40周年記念日を迎えたある日、都市再開発のため、今住んでいるアパートが取り壊されるとの通知を受け、困惑する。

1979年3月14日、NHKの「海外ドラマシリーズ」で、テレビ映画劇『パリの孤独』La vie de plaisanceの日本語字幕版が放映された。

ヴァネルの声を74歳の竜岡晋(たつおか・しん、1904年12月16日~1983年10月15日)、ビュスィエールの声を76歳の三津田健(みつだ・けん、1902年4月29日~1997年11月28日)、モンテロの声を44歳の松下砂稚子(まつした・さちこ、1934年10月16日~2008年11月22日)が吹き替えた。

2009年12月、フランセ語のテレビ放送局「TV5MONDE」が日本語字幕版の番組の放映を始めた。

2024年5月15日、17時25分、「TV5MONDE」の「カンヌ映画祭特集2024」で、映画劇『オリーヴの樹』Les Oliviers de la justiceの日本語字幕版が放映された。


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