人生とは、<私>とは何か、と知ることである。||ヘルメス・J・シャンプ
ヘルメス・J・シャンプの「"それ"は在る。」を読んでいる。
とても哲学的で難解な本だけれども、色々考えさせられる。
人生とは、<私>とは何か、と知ることである。
その知る作業が、人生である。それ以外に、無い。
わたしはいま、人生の分岐点に立っている。
結婚をし旦那と二人生活を満喫しつつ、打ち込める趣味も見つけた。
ただ仕事については、まだしっくりきていない。
そこで見つけた、「人生とは私とは何か知ることである」という一文。
自分自身でも「私とは何か」を知りたい。
けどどんな人生を歩んだとしても、一生知ることはなく、一生探し求めながら、死んでいくのだろうと思う。
であれば、現時点で<私らしい>選択を思い切ってしていいのでは、
と最近思うようになった。
いままでは選択において、「これがいい!」ではなく、常に「◯◯した方がいい」んじゃない?「◯◯の方がメリット大きくない?」と、
そんなことばかり考えていた。
とくに仕事においては「専門性が身につくほうがいい」「給料アップが見込める方がいい」など、小心者でリスクを嫌うおばけが頭で囁いていたのだ。
判断を迫られたとき、どうしてもそのおばけを無視することはできなかった。ただ、<私>は知っているのだ。そのおばけは私の人生の責任を取ってくれないことを。
そのおばけは、わたしが死に際で「もっと色々やってみたらよかったな」とつぶやくのをみて、きっとこう言うだろう。
「そんなにやりたいことがまだあったなら、私の言うことに耳を貸さずに、自分を信じてやっておけばよかったじゃん。」と。
専門性もあればいいに越したことはないし、
給料もいい方がいいに決まっている。
ただ<私>とは何かを探し求める上で、環境要因的なものは
勇気をもって一度振りほどかなくてはいけない。
とはいえ「環境要因」を選ぶ<私>も、また<私>ではあることは間違いない。
どんな自分を受け入れて、どんな<私>を求めていくか。
さて、これから私はどんな選択をするのだろうか。
死に際でおばけがなんと囁くか、いまから少し楽しみだ。
「人生とは白紙のキャンヴァスであり、
その上に人は観念や信念という絵の具によって
好きなように絵を描くことができる。
そして、意識的であれ無意識的であれ、誰もがそうしている。
だから、自分の好きなように意味を付与するがいい。」
いままでは「無意識」でおばけの影響を大きく受けて、
好きじゃない色の絵の具をベチャベチャ塗り重ねていた。
いまは、その絵の具を少しずつ取り除いている段階。
今までは「やってみたいこと」はわんさか出てくるけど、
果たしてそれが自分に合っているか、続くかも分からない。常時不安。
ただ気づいたのだ。
それでは「自分の好きな絵の具」を塗れていないことに。
好きな色で、好きな風景を、好きな場所で、描くこと。
それがどんなに心地がよくて、素晴らしいか。
なので、まずは一つずつ絵の具を落としていき、
自分の絵の具の色を見つける旅をしよう。
何歳からでも遅くはない。気づいたときに、旅をはじめてみよう。
Kindle Unlimited で読めますので、ご興味あればぜひ。
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