国語の教科書が好きでした2:江國香織「デューク」

前回も書いたのですが、中高生のころは暇つぶしによく国語の教科書を開いて、小説部分を何度も読み返していました。

その中でも江國香織さんの「デューク」という作品は今でも良く覚えています。この作品を思い出そうとすると、まず日の光に照らされた卵料理が浮かんできます(スクランブルエッグでしょうか?そこは上手く思い出せませんが、卵料理、ということは覚えています)。蒸気の粒子までもがはっきり見える明るい明るい日差しの中で食べる、とても美味しそうな卵料理です。その次に、プールの塩素の匂い。冬なので、プールには誰もいません。でも屋内のプールなので、生ぬるく湿った空気と最初だけ冷たい水の感覚は夏のそれと同じです。水着は持っていなかったので、プールで買ったものを着ています。次は、プールから上がった後に食べるバニラアイスの味。アイスの甘さや油分が塩素の味が残る口に丁度良く、人工的なバニラの香りが鼻を抜けていきます。プールの後独特の全身の気だるい感じだって思い出すことが出来ます。そしてラストシーンの青年の行動、言葉、姿。

視覚、触覚、聴覚、味覚、嗅覚。言葉を通した情報でしかないはずなのに、何年も経った後でも自分の中に「五感」として「体験」が残っているのです。しかもその体験は、おそらく現実のそれよりもさらに圧縮された、(自分にとって)大事なものが煮詰まったものなのです。卵料理は冷めることはないし、バニラアイスが甘すぎてくどくなることもない。塩素の匂いは完璧な加減だし、生臭さも気にならない。

当たり前といえば当たり前なのかもしれませんが、やはり「教科書」だったのだな、と今になってつくづく思います。どれをとっても読み切ることができたこと、時間が経っても記憶に残ること、「この作者の他の作品が読んでみたい」という読書のとっかかりを作ってくれたこと...。国語の授業自体は得意でも特に好きでもありませんでしたが(高校時代の古典の先生、すみませんでした...)教科書には感謝しています。


追記:
書きながら、「デューク」を調べてみました。卵料理は「オムレツ」で、アイスもバニラ味とは書かれていませんでした。他にも読み直す前には思い出せていなかった部分もいくつかありました。言葉の並びも風景も感情も懐かしくなりましたが、街の風景は最初に読んだ時より鮮明に見える気がします。卒業後あちこち引っ越しているせいで街並みの素材が自分の中で増えたのでしょうか。

冷蔵庫に卵が丁度あるので、喫茶店で出てくるようなバターたっぷりのオムレツを作ってみようかなと一瞬考えましたが、バターもケチャップもパセリも、明るい日差しもありませんでした。残念。今日の昼食はカレーうどんならぬカレー素麺になりそうです。

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