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お盆を終えて | エッセイ

5月に祖父を亡くしてから3ヶ月、新盆をあらかた終えました。大変だったけれど、学びは多かったので自分の記録として残しておきます。
(祖父を亡くしたときのエッセイは以下)

とにかく、ドタバタしてたら終わりました...。事故で亡くなったこともあり、誰ひとりとして予期できなかった今回。入院経験なし、持病なし、毎日しっかりごはんを食べ(新卒社会人男性くらい)、目と耳は悪くなってきたけれど認知症の気配もなく。

私の母がずっと一緒に住んで身の回りのことをしてくれていたので、どこかで安心しきっていたのかもしれません。都内からバスで4時間半、渋滞すると7~8時間はかかる地元へ行くのは1年に2回が限度でした。

祖父に最後に会ったのは去年の9月、地元の夏祭りに合わせて帰省したとき。

爆発音がするタイプの花火

私は2階のバルコニーで母と夫と3人でいて、祖父はバルコニーの真下でタバコをふかしていました。ときどき、下にいる祖父に「よく見えるね」「いまの綺麗だったね」と話しかけて、その度に「おうおう」とどうでもよさそうに返されていました。職人気質な祖父は、おしゃべりな私の話をいつも仕方なさそうに、でもどこか嬉しそうに聞いていました。
花火なんて飽きるほど見てきた祖父と見る花火は、胸がぎゅっとなるほど鮮やかで、なんとなく『これが祖父との最後の花火かもしれない』と思ったことを覚えています。

祖父母の中でも、孫の私を1番可愛がってくれた人だったなあと思います。まだびっくりしているし、また会える気もしてしまう。そんな気持ちを抱えながら、葬儀のためのあれこれや、お盆飾りで面白かったものをまとめます。

葬儀のため帰省するとき必要なもの

今回、東京から地元に帰るにあたり、頭が真っ白だったので「あれを準備しておけば…」「これがあってよかった…」と思うものがいくつかありました。

  1. 手紙
    棺に入れる手紙を実家で書くの、意外とハードルが高かった…。紙がないペンがない場所がない、書くことが浮かばない。時間と場所があるうちに、書いておけばよかった。

  2. お礼や労りの品
    忘れがちだけれど、自分が呼ばれるということは地元で葬儀の準備を誰かがやっているということ。自分もやるべきことを親や親戚の方がやってくれたので、感謝と謝罪の気持ちを込めて菓子折りをいくつか買って行ったのが、想像以上に喜ばれてよかった。親から渡したい場合もあったので、もっと多めに買えばよかったな。

  3. ぬいぐるみ
    昼間は忙しく動いたり人と話したりしていれば大丈夫だが、夜にふとしんどくなる。これが意外と心にきたので、ちょうど抱きかかえられるものがあって本当によかった…。

  4. パンや飲み物など
    喪主やその周りの人は本当に忙しい。主戦力でない人への労力はできるだけ少ないほうがいいと思い、自分の食べるものは用意して負担を減らせたのでよかった。母が2日ほど何も食べられてなかったので、差し入れにもなってなにより。

  5. 仕事道具
    フルリモート勤務なので、パソコンを持って行った。葬儀が終わってもしばらく滞在できるし、夜に仕事の確認ができるので焦りがなくてよかった。

実家に持って行ったヌオー(あまりにも可愛い)

お盆の法要

最近は略式で行ったり、そもそも行わなかったりすることのほうが多い気もしますが、今回は新盆ということもあってちゃんとやりました。
労力はかかりましたが、ひとつひとつに意味があって改めて勉強になりました。大学で少し仏教の勉強をする機会があったので、余計に興味深かったかも。

地域によって全然違う風習があるようで。面白いな〜と思ったものをかいつまんで紹介します。

迎え火・送り火

毎年必ず行う迎え火と送り火

ご先祖様の魂を迷わずお迎え・お送りするための目印になる迎え火と送り火。
全国共通と思い込んでいましたが、夫の地域ではまったくやらないということで驚かれました(かわりにお墓まで手提灯を持って歩いていき、お墓参りをした後にみんなでそのまま歩いて連れて帰るらしい)。

精霊馬

麺をかけられた精霊馬(飯田市HPより)

ご先祖さまがこちらに素早く来るためのきゅうりの馬と、ゆっくり帰ってもらうナスの馬。ここに、茹でたそうめんやうどんなどを1~2本かけます。

意味合いとしては、(1)馳走を持って帰るときの荷縄として(2)手綱として(3)道中の食料として、など様々ですが、埼玉、茨城〜長野、山梨など関東から中部にかけてこの文化が残っているそう。面白〜

余談ですが、以下の国立国会図書館が全国の図書館等と協同で構築しているレファレンス協同データベースが便利すぎて、びっくりしました…。課題でも使いたい。

水の子

餓鬼への施食・水の子(松戸 本覚寺HPより)

キュウリやナスを賽の目(四角形)に切って生米と一緒に蓮の葉の上に盛ります。餓鬼道に落ちた無縁仏のお供えだそう。

そういえば、餓鬼ってなに?

日蓮宗・本光寺によると、生前において強欲で嫉妬深く、物惜しく、常に貪りの心や行為をした罪のむくいで、餓鬼道に落ちた死者のことで、ここに落ちた者は常に飢えと乾きに苦しみ、腹は膨れあがり、のどは針のように細く、食物、飲物を手に取ると火に変わってしまうので、決して満たされる事がないそう。

怖すぎない…?

四十九日法要のときに供える団子が餓鬼に向けたものだとは知っていたけれど、食べられない供物に手を伸ばし続けるのを想像したらゾッとしました。
供養をちゃんとされなかった人もなるらしい。それは理不尽では…?

平安時代の絵巻物『餓鬼草紙』では、餓鬼道に暮らす餓鬼の様子を見ることができます。とにかく厳しい世界、こんなところに落ちたくない。現世で労りと施しの姿勢で生きます。死んだ後も美味しいもの食べたい…(それは強欲では)

ろうそう立と線香山

ものすごく熱い。当たり前に火傷した

本来は煩悩の数である108本のろうそくを一度に立てますが、そんな場所もないのでこちらで何回かに分けて行います。
燃え尽きるまで線香を立てて皆で見守りました。これは地域の伝統らしく、岐阜では庭先から坂の下の田んぼまで竹に入ったろうそく108本を並べるらしいです。凄すぎる…。

いろいろ調べたら楽しくて、お盆雑学記事になっちゃった…。

さいごに

通夜、葬儀、四十九日、新盆と3ヶ月経たないうちに終わっていきましたが、その過程でだんだんと祖父の死が受け入れられた面もあり、法要は故人のためという体をとりながら私たち遺された側のためでもあるんだなあと思いました。

やることが多く、法事ということで覚悟して行きましたが、思いのほか学ぶことの多い機会でした。仕事や学業とのバランスをとるのは大変でしたが、こればかりは仕方なし…。

今回、法事をひととおり行う中で疎遠だった方から「こんなに突然亡くなるなんて」「もう会えないなんて思わなかった」と言われることが多く。気持ちは分かるのですが、まあでも、そういうものだからなあと。仕事、学業、家族などなど、みんな忙しいと思う。地元にはいい思い出がなかったり、親戚にやいのやいの言われて嫌な気持ちになったりで、実家から足が遠のくのは自然かもしれない。その中でも、相手と二度と会えなくなっても後悔のないよう、少し無理してでも会う機会をつくって会う、話す、一緒にごはんを食べる、というのは実はとても大事なことだったのだなと思います。

祖父に会えるだけ会い、旅行の際はこまめにお土産を送り、電話をした。労力はかかったけれど、してよかったなあと思います。それでもまだ『なにかもっとできたのでは』と思ってしまうけれど。

お棺に入れた祖父への手紙には、悩みに悩んで『また、いつか』と書きました。

私が生を終えたとき、橋の向こうで会えますように。そのとき、私の話をまた、たくさん聞いてもらうのです。

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