映画『ラストマイル』を観て深夜にモヤッとした話
映画『ラストマイル』を見ました。
アンナチュラルとMIU404の脚本家・監督がタッグを組み、それぞれの世界線が交差する作品。私はどちらも詳しくないのですが、十分楽しめました!
面白かった。間違いなく、面白かった。
アンナチュラルとMIU404大好き人間に連れていかれたので、特に前情報もなく。でも、倉庫の規模の大きさ、エンドユーザーの手に渡るまでの道のりと関わる人の多さに圧倒され、それぞれの信念や強迫観念、葛藤に胸が潰れそうになった2時間でした。
いやあ面白かったね〜と言って帰り、さて寝ようかというところで、急にもやっとした気持ちに。面白かったし楽しかった、初めて知れたことも考えることもあった。いやでも、なにかものすごくひっかかる!!!
この記事では、よかったな〜と思った部分の感想の後、「結局あれはなぜ?」「なんか納得いかないな?」「それでよかったの?」と消化不良になったポイントを書いていきます。もし公開情報やみなさんの解釈があったら教えてください。
面白かった!!!
めくるめく伏線、そして回収。いつどこで起こるか分からない爆発、並行して進む別の家族のストーリーもきちんと意味がある構成、すごいのひと言です。
顔を合わせて話をしよう。
大変な時こそ一旦立ち止まろう。
そして、しっかり寝よう。
そんな物語でした。
ひとつ私がミスしたのは、主人公の所作がめちゃくちゃ外資の人だったので『アメリカ帰りの外資の人だ〜福岡の実家寄ってきたんかな』という盛大な思い込みから始まってしまったこと。途中なにがなんだかでした。人の話ちゃんと聞きましょう案件。私が悪い。
見えない被害者たち
主人公たちデリファス側の人間から、基本的にエンドユーザーの姿は見えません。前半は亡くなった被害者や怪我人から遠く離れた倉庫の部屋で話すシーンがほとんど。事件の渦中にいるのに、不自然なほど『人の命』に対してどこか他人事。
それが、主人公エレナがスイッチを押してから認識がひっくり返り、会社の一員としての責務の上に『人間としての倫理』を載せ、自分事としてひとつひとつをクリアしていく。
この構成、観客側もエレナ側に引っ張られるのが面白いですよね。宅配ドライバーや営業所のシーンもあるのに、被害者たちの深堀りが一切ないので、痛ましさだけがあるものの彼らが何人で何歳でどんな顔で怪我の程度がどうなのか全くわからない(それも伏線なわけですが)。
いつどこで爆発するか分からない荷物をどう探すか、ベルトコンベアを止めないようどう工夫するか、犯人は誰なのか、エレナは何者なのか。そちらにばかり引き付けられてしまう。
これ、デリファスの倉庫で飛び降りた山崎に対する上層部と同じなんですよね。急に飛び降りた。頭部からは流れ続ける血。植物状態になって目を覚まさない。痛ましい、でもただそれだけ。どうやって稼働率を戻すか、『止めない』ようにするかを最優先にする。管理職の宿命だ、いや本当にそうなのか。一度立ち止まるべきじゃなかったのか。つい考えてしまう。
顔を見る、ということ
最終盤、犯人の顔が初めて真正面からはっきりと分かり、母子家庭の親子が爆弾の入った箱を手にしたあたりで被害者や犯人の解像度がぐっと引き上げられました。この構成が、本当に面白かった…!
小さな部屋での会話からぐるりと状況が変わったのは、羊急便の八木さん(ヤギはスケープゴート・生贄の象徴だそう。うへえ…)に「じゃあ、あんたがやってくれ」と電話を切られたエレナが営業所まで赴いてから。
直接会いに行って、話をすること。
現場を見て、実際を理解すること。
そこで初めて、物語が前へ動き始めます。
仕事相手のやっていることや状況って、自分が思っているよりも意外と理解できていないもの。顔を見て話す、これは4年前のアメリカでの会話が皮切りなので、やはりこの作品でも大事にしているところなのかな、と思いました。解像度を上げること、なかなか、難しい…。
「孔の番が来たってこと」からの孔の顔色で、ひとりの傍観者から主役に引きずり出されたことが分かるシーンもよかった。探し続けなきゃいけない爆弾は「まだある」、物流でもそれ以外でもいつ爆発するか分からないギリギリの爆弾が潜んでいる、さあどうする? という問いをストレートに画面のこちら側に投げられたような気がしました。岡田将生さん、1122でも思いましたが存在感が抜群で、更に更に素敵な俳優になっていくなあ…。
ドライバーの息子の「誰も父さんのこと大切にしてないよ」と終盤の父親のセリフ「ドライバーの命なんだと思ってんだこのやろう!」、そしてその後の3人で抱き合うシーン、泣いてしまった…。
ちなみに、トラック運転手不足が深刻化する「物流2024年問題」を受けて、楽天では急がず受け取ることを希望できるようになったそう。こういうサービス、増えて欲しいですね。
もやっとした…
犯人へのミスリードは必要?
観ていて『情報過多だな…ドラマでやってほしい…』と思う場面が少しあったのですが、中でも主人公エレナを犯人と思わせるようなミスリードは、どこまで効果的だったのだろう…と思いました。
エレナは外資系の距離の近さやはっきりとした物言い、仕事に対しての力み方が出ていて解像度高いなぁという印象でしたが、個性的な主人公に爆弾魔の可能性を掛け合わせるのは要素が多すぎて混乱する!
特に、伏線にしては大袈裟な犯人仕草がちらつくこと、ミステリのタブー・探偵自身が犯人であってはならない(ミステリ小説でないのでこの通りではないですが)が引っかかり。
エレナが吐露するまで『ミスリードだな…じゃあなぜ? もしや外資仕草にも意味が?』とエレナの属性に対して二重三重で思考を巡らせることになり、ストーリーのスパイスとしては少しごちゃごちゃした印象を受けました。
膨大な人が関与する世界線の中で、第一線で活躍する女性に爆弾魔という悪役の顔を持たせるというのは面白かったですが、今回それ以外の情報のほうが映画としてのメッセージ性が強かったと思うので、そちらがブレるくらいならなくてよかったかもなあと。
なので、エレナを「第一線で活躍するかっこいい女性」と認識して「犯人!?」とひっかかるのであれば問題ないのかも。
そして、エレナの高圧的なキャラクターは日本企業に慣れた人(特に男性)にはアクが強すぎる気もする。前半で主人公に惹かれず、泣き出して人間味が出るころには「なに今更…」となってしまうのではなかろうか(観客側のこういった属性の人への解像度の問題)。
長くなりましたが、エレナの正体がこの映画の本題ではなく、ほかの人や立場のシーンもたくさん差し込まれるならば、犯人へのミスリードは主題をブレさせる要素になりうるのでは…というのが引っかかりました。
個人的に、大きなスケールの中で女性の多面性を効果的に描いたのは映画『ソルト』だと思っていて、CIAの優秀なエージェント・二重スパイ容疑者・幸せな妻という3つの顔を持つ美女の逃亡劇の中で、彼女の大切なものや信念が見え隠れします。余談でした。
犯人にとってそれでよかったの?
私が1番もやっとしたのが、「筧さんはそれでよかったの?」でした。言い換えると、犯人像にいまいち納得がいかなかった。
犯人の動機って最後まで語られることはなく、映像とエレナの行動だけで察するかたちになるじゃないですか。
なので考えてみると、おそらく犯人は「婚約者の飛び降りの原因は筧だと断定した会社」に対して「婚約者を追い詰めたのであろう止められない物流を止める」ために「あってはならない宅配物の爆発」を起こすことで「企業の信頼を失墜させる」のかなと。
母親の葬式代含む300万以上と命をかけてまで…? 自分だったら、過去の関係者を集めて爆発させると思う。無関係の人を大勢巻き込む、というのがあまり納得できなかった(次のテロの話にも続く)。大きな会社ほど、トカゲの尻尾切りをする未来しか見えない。実際に羊急便がプレスリリースに載ったし。
婚約者を追い込んだ人や会社が罪を贖う=再起不能になるためには犠牲もやむを得ない、という考えだったのかな。自分と婚約者以外はもうすべて「世界」に含まれてしまったんだろうか。無邪気に早く安い配達を望み続ける一般の人の罪を贖うためには、爆発も必要だという計算だったのかな。かな。かなばかり。そう、とにかく犯人である女性の人物像や思考、明確な動機が最後まで提示されない。自死の中で一番辛いという焼死のシーンを細部までスローで見せるのに、心の内は分からない。
どうして爆弾テロを選んだんだろう。どんな気持ちだったんだろう。誰になにに、どうなって欲しかったんだろう。もし実行後に山崎が目覚めたら、と想像しただろうか。そんな余裕もなかっただろうか。どうだったんだろう。
きっと答えはないのだろうけど、そんなことばかり考えてしまいました。
余談ですが、友人が似ていると言っていた実際の事件、「冷凍餃子事件」では6年かけた捜査により、中国の会社の当時臨時従業員が職場での待遇に不満を持って実行したと認めています。日本で販売していた生協のイメージが低下し、冷凍食品全体への忌避感も蔓延しました。映画中ではみな他人事でしたが、実際に起こったら宅急便がトラウマになる気もしますね…。
テロ行為をこの映画でどう捉えるか
※『テロリズム』の明確な定義は存在しませんが、基本的には人や物の殺傷や破壊によって恐怖を与えることで、特定の主義主張を相手に飲ませることを指します。今回は制作陣が『連続爆弾テロ』と言い切っているのでここでもそう断定します。
テロの話だった、ね〜……。
そう。テロの話だったんですよ。これは、無関係な一般の人をたくさん巻き込んでけが人を出し、力ずくでなにかを変えようとしたテロの話。結果として現実はほんのちょっとよくなったけれど、でもそれはテロのおかげではなくて、エレナたちが動いたから。ここを切り離して考えなきゃだめだなと。
なんでだめかというと、テロを肯定することはできないからです。テロがあったから見直されてましになったよね、大変だったけどよかったよかった、にしてはいけない。問題があるたびにテロを起こして改善するようなら、それは法治国家ではなく暴力が社会を支配しているだけなので。
というのを前提に考えると、犯人の行った爆弾テロ行為自体になんの意味もないんじゃないかな、と思います。というより、なんの意味合いも価値もつけてはいけないと。そう、山崎が飛び降りてベルトコンベアを一瞬止めたように。
この事件で社会をほんの少しだけましにしたのは、エレナの判断力と対話と決断です。羊急便の連帯です。20円、ほんの少しというけれど、大企業にとって1円の値上げでも積み上げれば相当なマイナスになる。交渉のテーブルについて合意をした、そのこと自体が大きな快挙であり歴史。必要なのはその部分であって、テロではない。きっかけだとしても。私たちはテロが起こらなくても社会がましになっていく仕組み作りをしていくことが大切(という意味では、現実で起こせないテロを映画という作品の中で起こしたことに擬似現実的な意味があるのかも)。
もちろんこの映画がテロ讃歌とは思わない。それでも、事情やつらさがあっても、自死がどんなに恐ろしい瞬間でも、関係ない人を巻き込んで暴力で世界を変えようとした姿勢があったことは確かだ。
死亡者が犯人だけだとしても、けが人は人数も被害も明らかにされなかった。爆弾による死なない程度のけが…顔を半分吹き飛ばされても腕や足を持っていかれても、二度と歩けなくなってもそれは同じく犯人以外の死亡者ゼロ。被疑者死亡で慰謝料も貰えない、罪を償ってもらえない。デリファスが補償することもないだろう。その人たちの、映画が終わったあとも続いていく人生を思うと苦しい。
加害側の視点では、いつも被害者は見えない。特殊詐欺を題材にした川上未映子さんの『黄色い家』でも、詐欺被害者は一度も出てこない。加害者への寄り添いだって必要に決まっている。加害者やその根本原因の解像度を上げる、それは貴重な経験だからこそ、そこで止まってしまうのはもったいないと思う。
私たち鑑賞者の特権は、いろんな角度からストーリーを眺めることだと私は思う。筧はなぜ、自分のしたことを最後まで見届けずに、一番最初に死んだのだろう。
遺体が女性だって分からなかった?
これは完全に重箱の隅つつきですが、炭化したご遺体の婚約指輪をつけた指がぽろりと落ちたとき、なんてつらい……という気持ちと共に『えっっっ婚約指輪をつけた指が見つかった時点で、40代男性ではない可能性発生するよね!?』という驚きが湧き上がり、めちゃくちゃな感情になりました。以上です。
まとめ
以上、もやもや多めでしたが、正直これも計算のうちなのかなあと。
加害者だって被害者で、でもきっとほかの選択肢を選ぶのが正解だったはずで、けれどそうなってしまうだけの理由と環境と精神状態があって。肯定するべきではない部分と、それでも寄り添いたい部分がある。もやもやする。はっきりとした答えのない、正解なんてない物語。
きっと、こんなふうに深夜にごちゃごちゃと考えて欲しかったんだろうな、空白をわざと作ったんだろうな。そう思える、よい映画でした。
私たちに必要なのは、1ダースの爆弾でも焼け死ぬ覚悟でも飛び降りる勇気でもなく、人と直接対話することと睡眠なんじゃないのかな。
What do you want?
本当に欲しいもの、なんでしょうね。