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あしたはいよいよお別れ


今日は朝からとんでもない晴れ。

今朝は霜が降りていて、世界は白く、木々も凍っていた。

日が昇る前の空はうっすら青、白、そして赤のグラデーションだった。

わたしは、ここの静かな朝が大好きだった。

朝起きて、窓から見えるのは木々と空だけ。

ほんとうに大好きな景色だった。

あしたがここで朝を迎えられる最後の日。

もう、ここの朝のようすを描写することはできないんだな。

これからは、遠く離れた、まったくちがう街の新しい風景を描くことになるんだ。

今という時間は、両手ですくった水が、
指の隙間から流れ落ちていってしまうのを
ただただ眺めているみたいだ。

ほんとうは、一滴もこぼしたくないのに。




わたしたちは、時間という、単なる数字で表せるようなもの以上の存在を生きている。

まさに奇跡というもののなかを生きているのだ。


今、わたしがここにいる奇跡。

今、彼といっしょにいられる奇跡。

わたしにいのちがあって、彼にもいのちがあって、そうしてこうして出愛えた奇跡。

今、わたしたちがそれぞれの肉体をもってこうして存在し、お互いを認識できる奇跡。

今、この地上でこの肉体をもって世界を見て、世界に触れられるこの奇跡。

わたしたちのまわりには、奇跡しかない。

今ここにこうしていること、
今ここでこうして呼吸をしていること、
そのことそのものがいかに貴重で、
毎瞬がお祝いなんだ。

彼といっしょに生きた時間は、どれをとっても、いつもお祝いだった。

それまでもずっとそうだったし、これからもずっとそう。

それを忘れて生きるというのも、また人間の性なのだろう。

でもこれからは、思い出してね。

人生は、生きている間は、いつだってこの世界は奇跡の連続だということ。

それをひとは、いい出愛とか、運がよかったとか言うけれど、でもそれだけを見るのではなくて、そのあとも人生はつづいていくから。

人生はあらゆる奇跡を起こしながら、わたしたちを導いている。

魂のmission、魂が決めてきた目的を果たすために。




ここで暮らした街の風景は、変わらずにいつまでもわたしの想い出のカケラとなって大切に残っていくのだろう。

ひとはみんな、そうやって土地と結ばれて、小さな日々の生活のカケラを、
一日また一日と送るなかで見つけてはお土産に受けとっていく。

それは、今を生きている間には、見えない光をまとって、
そのときにしか見えない光でいつもいつまでも輝きつづける。

ありふれた今日という風景は、いつだっていつの間にかかけがえのない光となって、
唯一無二の存在になってわたしのこころの大事なピースとなる。

だから今、わたしのなかでは、ここで過ごしたすべての瞬間が、
ありがとうという光につつまれて、きれいにクルクルと天へ昇っていくみたいだ。

今となっては、今ここにあるすべての景色も、生命も、ものごとも、どれもが尊く、神聖で、わたしは離れたくないと手を伸ばしたくなる。

でももう、そこへは戻れない。

今をいっぽ踏み出せば、それはもうわたしたちの頭のなかへとしまわれて、今には存在しないんだ。

だからこれからは、少し思い出の引き出しを開けて懐かしんでは、ただひたすらにありがとうと感謝してまた戻す。

そうして生きていくのだろう。

わたしのなかで、ここでの暮らし、彼と過ごした時間、そしてここで生きたわたしのこころは、
なによりも、なにものにも替えられない、一生の宝もの。

あなたに出愛えてほんとうに、ほんとうに、よかった。

そうこころから言えるひとに出愛えた幸せ。




ここに来て、1番最初に撮った写真。

今日と同じ、上弦の月だった。

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