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2021/8/14 角野隼斗@東京芸術劇場 チャイコフスキー ピアノ協奏曲第一番 ~葛藤を超えて羽ばたく

久しぶりにnoteを書きます。
脳ミソの容量が少ない上に、HSPなので受け取る情報量が多めなために、一度に情報が渋滞すると処理しきれなくなり、あれもこれも、素晴らしい体験を記録できずにおりますが…今回はなんとなく書けそうな気がする(笑)
なお、素人のただの感想と主観です。細かい用語の間違い等はご容赦ください。そして超長文です! お暇な方のみお付き合いください。

初めての東京芸術劇場、初めての読響

東京の新型コロナ感染者数が5000人を超え、東京芸術劇場関係者にも感染者がでるなど開催すら危ぶまれた中で、コンサートホール1999席、満員の観客で3階席まで埋まった「読売日本交響楽団サマーフェスティバル2021 《三大協奏曲》」コンサートでした。

東京芸術劇場も、読響のコンサートも、初めてでした。
まず人の流れにびっくり。入り口で消毒と検温と手荷物検査。通勤ラッシュ並みに混雑したエスカレーターで5階まで上がっていきます。


お席は本当にありがたいことに、1階の中央8列目。ソリストの息遣いまで聞こえる席でした。

一音目から、読響さんの響きが、なんと調和がとれて、ふわっと包みこまれるようなハーモニーかと、まず驚きました。
席がステージと近いこともありますが、ステージが1階席の目線とあまり高さを感じず、サントリーホールのようにステージ裏のP席がないこともあり、こんなに大きくて素晴らしいホールだけれども、なにかサロンコンサートでもあるかのような、とてもRawな雰囲気が味わえました。
ストリングスが良い意味で一人一人の奏者を感じさせないのです。それだけ音が溶け合い鍛錬された交響楽団なのだなと感動しました。お一人お一人を見ると、コンサートマスターをはじめ、若い方も多いのに! 「ハーモニー」とはこのことだなと思うくらい、音が熟練された響きでした。まるで目の前に、しっかりとした設計と端正な彫刻が施された宮殿のような美しい建造物が立ち上がり、そこに招かれたような気分でした。最高に贅沢だった!

石上真由子さんの「メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲」、北村陽さん(なんとまだ17歳!)の「ドヴォルザーク チェロ協奏曲」があまりに素晴らしくて、休憩後はいよいよ角野隼斗さんの「チャイコフスキー ピアノ協奏曲第一番」。私の脳裏には2日前の、角野さんの練習配信が浮かび、ちょっと不安になります。

(ちなみに家に帰ってからその話を夫にしたら「そんなの相手はプロなんだから、本番に照準合わせてくるに決まってるだろ」と怒られました。はい、その通りです。ごめんなさい。だけど角野さんの恩師の金子勝子先生ですら、ご自身のFacebookで「2.3日前までどうなるかヒヤヒヤのレッスンでしたが、隼斗くんは本番に強い」とおっしゃっていたくらいですから…)

蝶ネクタイ姿で登場した角野さんは、はじめから笑顔でした。3階席まで満員の素晴らしいホール、格式高い交響楽団をバックに、高揚している様子がうかがえます。

第一楽章

第一楽章は、読響の構築した素晴らしい宮殿の片隅で、まだ少しドキマギしているような雰囲気がありました。でも、ひそやかに左手で指揮をするような(角野さんはやるけど)あまり他のソリストでは見ないような動きをしていて、全身でオーケストラの響きを味わっているんだなと感じました。

オーケストラと合わせるのって難しいんでしょうね~! 読響さんのオーケストラとしての一糸乱れぬ一体感が素晴らしいだけに、少し走ってしまったりもしましたが、でもソロ部分を過ぎると、しだいに宮殿の中でプリンスとしてふるまい始めたのが伝わって、第一楽章の終わりでは、思わず拍手をしそうになってしまいました! 危なかった…
(ちなみにプリンスと呼びたいのは、この日の午前中に「題名のない音楽会」でディズニープリンセス特集に出演した角野さんが、完璧な王子様だったからです)

第二楽章

第二楽章は、とにかく美しかった! こういうのをカンタービレというのでしょうか? 角野さんの優しい歌が、キラキラとノスタルジックに響きます。

角野さんはインスタグラムで、この第二楽章とビル・エバンスの”Peace piece”をマッシュアップしたリール動画をあげています。UPされたのは8月6日、広島原爆の日。わずか30秒ながら、真夜中に世界の平和(Peace)を願う、心の奥底をそっと抱きしめてくれるような暖かな作品(piece)になっています。チャイコフスキーの協奏曲の一部とジャズの作品を即興的に、これだけ美しくマッシュアップできるアーティストなんて、世界中に一人しかいません。「角野隼斗」というフィルターを通したからこそ生まれた、かけがえのない30秒だと思いました。

チャイコフスキーが第二楽章にどんな想いをこめて描いたのかは知らないけれど、角野隼斗さんの奏でる第二楽章は「ひとりひとりの優しさが世界の平和につながるよ、だからこそ自分自身を大切にして」という、メッセージですらない、純粋でひたむきな”想い”そのものでした。心にじんわりと美しく沁みて、涙をこらえるのが必死でした。角野さんの音楽は、世界平和をもたらすことができる、と本気で思っています、私。

第三楽章

第三楽章は、もはやプリンスが宮殿を我が家として飾り付け、ゲストをもてなし始めた! 職人が手織りした豪華絢爛な絹織物のようなピアノの響き。煌めくシャンデリアが磨かれ、パーティーがはじまります。ウクライナの民謡をモチーフにしたダンサブルなリズムは、やっぱり角野さんの真骨頂(真骨頂がたくさんあって困る)。体が自然に動いてしまいます。続くオクターブ連続の迫力たるや、まじヤバい。そして圧巻のフィナーレ!!

前から8列目だった私でさえ、3階まで満席の客席から、万雷の拍手が降ってくるのを鳥肌立ちながら感じたので、ステージ上ではいかばかりだったでしょうか…! それもスタオベと、カーテンコールを4回も! この時の角野さんのやりきった表情、本当に惚れ惚れしました(石上さんを先に促す、レディーファーストなプリンスぶりにもね)。一緒に行った友人は、興奮のあまり腰が抜けちゃった感じ? 手足が冷たくなってしまって、なかなか立ち上がれないくらいでした。それだけ素晴らしい演奏でした。

参考までに、「チャイコフスキー ピアノ協奏曲第一番」はウィキペディアによると「ビルボードのポップアルバムチャートで1位(7週連続)を獲得した唯一のクラシック作品である」そうです。

コンサート後の突発インスタライブ

帰宅して、余韻に浸りながら夕飯作って食べ終わると、インスタライブの通知が。やっぱり~~予想通りっ! お待ちしておりました(笑) やり切って感動して、アドレナリンが収まらないと、吞みながら話したくなっちゃう人ですよね。もう大好き。感動を共有してくれてうれしい。

直前に食べる栄養補給としてバナナをすすめられると「おさーるさーんだよーー♪」と ”アイアイ” を弾きだすし(笑)、その”アイアイ”がおしゃれなジャズアレンジになっていくし。アラジンの”ホールニューワールド”と、第三楽章のウクライナの民謡モチーフのマッシュアップも凄かった。インスタライブなのに、いつものYoutubeのCateen′s Liveにも勝るとも劣らないほど、ご機嫌に、ジャンルを超えて自由自在に駆け回るピアノ。

ディズニーの音楽にもロマン派のフィーリング、ソウルを感じるという角野さんの話に対して「チャイコフスキーは「眠れる森の美女」の作曲者でもあるから、ディズニーとの親和性は高い」と友人がコメントしてたけど、なるほどと思いました。

でも何より印象深かったのは、今回は自分の個性を出そうと意識していた訳でもないのに、オケメンバーやいろんな人に「即興性があって角野さんらしさが出ていた」と言われたという話でした。

「再現芸術」と「自分らしい表現」との葛藤を超えて

角野さんは、上原ひろみさんの”Tom and Jerry show”を弾きながら、次のように言っていました。

全然違う音楽だけど自分の中にあるものだから、出そうとしている訳じゃないけれど、自然と(演奏に)入ってくる。(クラシック音楽でも)練習はしっかりやって、本番では自分がやりたいものをそのまま出す。それを面白いと思ってくれるならいいかな。それが一番いい状態だから、そんなに考える必要ないんだなと思った

これね、聴きながらちょっと泣きそうになりました。

角野隼斗というアーティストは、2018年にPTNA特級グランプリを獲得し、2021年ショパン国際ピアノコンクールは予備予選を無事通過、10月の本大会出場をも決めた、名実ともに立派なクラシックピアニストなのですが、ご本人は「クラシックピアニストであること」と「ジャンルレスに自由に音楽を奏でる喜び」とのはざまで、ずっと悩み続けているんですよね。

自分はクラシックをやりながらも新しいことがしたいと思う人間だけれども、それってどうなんだろうと考える中で見つけた希望が、200年前のリストやショパンの生き方に近いと感じたことでした

ほとんど悲壮感すら漂わせながら、その葛藤を初めて公にしたのが、上記の2020年12月13日に行われたサントリーホールでのソロリサイタルのMCだったと思います。そしてその答えとして世に送り出したのが、彼のオリジナル曲である「ピアノソナタ 0番 ”奏鳴"」と、1st フルアルバム「HAYATOSM」でした。

その後、2021年上半期の彼は、5月にJAZZ AUDITORIA 2021に出演したり、6月にブルーノート東京ソロライブを行ったり、ポップスデュオ "ゆず"のバックを務めるなど、クラシックとは真逆の方向に振り切った活動を精力的に行った後、7月、ショパン国際ピアノコンクールに挑みます。

そこで改めてクラシックに向き合い、またクラシック一筋に人生を捧げてきた他の出場者を目の当たりにして、一度、答えを出したこの問題に、再び悩みはじめたように見えました。

ピティナ広報部さんのNoteにあるインタビューで、角野さんは次のように語っています。

クラシックは再現芸術であり、その究極の目的は、作曲家の意思の伝達者・解釈者になること。一方で、クラシック以外のほぼすべてのジャンルの(ジャズとかポップスとかヒップホップとかなんでも)アーティストと呼ばれる人は、自分をとにかく表現して、他の人にない自分にしかないものを追求する。そもそもスタンスとして(両者が)相入れないために、それがずっと活動している上での悩みでもあります。

インタビューの中頃に「自分の演奏が世の中にあるどの演奏解釈とも被らない新しさ、素晴らしさがあると言い切ることは、僕にはできない。でも言い切ろうとしている他の出場者の姿を見て、再現芸術に取り組むことへの不安や絶望感が勇気に変わった」と言いつつも、やはり自己の表現を追求するアーティストに強い憧れを抱くために「突き詰めたときの考え方の違いにどう向き合っていくか」が課題だと締めくくられています。

今回の「チャイコフスキー ピアノ協奏曲第一番」の大成功は、もしかしたらこの悩みに、頭ではなく「ストンと腑に落ちる」感覚で、また一つ先の答えをもたらしたのでは?

すべてにおいて冷静に俯瞰し自分で考え抜き、判断し実行できる頭脳と行動力を持つ角野さんだからこそ、「そんなに考える必要はないんだな」という発言は、深い意味を持つように思います。

ご本人は「クラシックピアニスト」として「作曲家の意思の伝達者・解釈者」として、再現芸術に取り組んだつもりだったのに、はからずも「即興的で角野さんらしさが出ていた」と、オケメンバーも一緒に演奏することを面白がってくれた。

「自分の演奏が世の中にあるどの演奏解釈とも被らない新しさ、素晴らしさがあると言い切ることは、僕にはできない」と思っていたのに、そこには自然と自分の中にある、ジャンルを超えた音楽の喜びがあふれ出ていて、それは間違いなくアーティスト角野隼斗が「自分にしかない表現を追求」した結果そのものだった。

悩みであった両者のスタンスの乖離を埋めたのは、あの約2000人の鳴りやまない拍手…! それを全身で受け止めたことによって、突き詰めた先の目的地は同じだと、なにか腑に落ちるものがあったのではないでしょうか?

一週間後の8月22日には京都の城陽で関西フィルと、25日には東京フィルハーモニー交響楽団と、「ショパン ピアノ協奏曲第一番」を演奏される角野さん。そして10月にはショパン国際ピアノコンクール本大会が待っていますが、予備予選でショパン先生に丁重なあいさつを済ませ、長らく抱えていた葛藤まで乗り超えたなら、あとは角野さんらしい音楽の喜びとともに、ショパン先生の懐に思いっきり飛び込むだけですね。

これからも全力で応援しつづけます!

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