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中編小説「Thirteen」第四話 アリバイ作り

 一人きりだとどこへ行けば良いのかわからない。話し相手もなく目的もなく、何をしたら良いのだろうかと、琴音は途方に暮れた。衰えた暑さは風に散らされ、空の色は薄かった。エアコンが効いた部屋から出るのが苦でなくなったことに琴音は気づいた。ついこの間入学したばかりだと思っていたのに中学生活も半分過ぎたのだ。どうして季節はこんなに早く過ぎてゆくのだろう。私はまだ楽しいことを何一つできていないのに。
 今頃麻理恵は白田先生とドライブしているはずだ。ドライブというイベントが具体的にどういうものなのか、琴音には分からなかった。長時間車に乗って楽しいのだろうか。二人の様子を想像しようとしたがうまくできなかった。
 駅の入り口から真っ直ぐ伸びる幹線道路の両脇には多くの店が並んでいた。ファミリーレストラン、居酒屋、カラオケボックス、パチンコ屋、蕎麦屋、洋服店。琴音は洋服店の入り口から見える見事な装いのマネキンに視線を取られて中へと入った。
 
 どの服ならば着ても豊子に怒られないだろうかと考えながら一着一着眺めた。琴音が着る服の一部は豊子にとってありえないセンスらしく、私服で会うと開口一番怒鳴りつけられることがしばしばあった。しかし豊子のお眼鏡にかなう服の基準は分からず、その理由は当然琴音が豊子ではないからである。しかし豊子にそんな言い訳は通用せず、琴音は豊子の服の好みを察知して遵守しなければならないのであった。
 どの服も気に入られそうになかった。大きなロゴがついているのは下品だと言われそうで、パーカーは生意気だと、無地のワンピースは地味だと、チェックのシャツは悪趣味だと言われそうな気がした。服を手に取る度に豊子のダメ出しが耳に聞こえた。結局彼女は一着も買わなかった。加えて不機嫌になった。唇を固く結び少し突き出して店を出た。
 どうして私は休日を一日潰して麻理恵のために一人で歩いているのだろうか。あんな約束さえしなければもっと他に素晴らしい過ごし方が出来たはずだ。友だちとカラオケに行く、テレビを見ながらだらだらする、母親に大型スーパーへ連れて行ってもらうなど、次々頭に思い浮かぶ行動は普段と変わらないはずなのにずいぶん魅力的に思えた。それらを今日は何一つ出来ないことがひどく不自由に感じられた。胸の内で、麻理恵のわがままのために私は犠牲になったのだとさえ言いながら琴音は悔しさのような優越感のような感情に浸った。それは苦いのにもかかわらず気持ちが良かった。
 ここまでしてあげたのだから、麻理恵はしばらく私に頭が上がらないだろう。ちっとも迷惑じゃない、麻理恵のためならいつでも協力するよと親切な顔で接すれば、あの子はどこまでも私に気を遣うだろう。貸しができた。琴音はそんな都合の良い算段をした。

 通りに出て、琴音はまた手持ち無沙汰になった。スマートフォンで時刻を確認するとまだ二時であった。やることがない。ふと、カラオケボックスに行きたいという気持ちになった。
 彼女は少なくとも二週に一回は友だちとカラオケに行く。カラオケボックスに響く大きな低音に身体が慣れていた。あの振動が恋しくなった。歌うときはボーカルになりきる。派手でかわいい衣装を身につけて髪型を舞台用に整えた女性ボーカルになったつもりで熱唱するのが琴音にとってのカラオケであった。
 手前に見慣れたカラオケボックスの看板を見つけ、行こうかな、と考えた。ヒトカラ、どうだろう。他の子が歌い終わるのを待たないで良いから快適かもしれない。時間も潰すことが出来る。
 だが、琴音は断念した。ヒトカラなんてするところを同級生に見られたら友だちがいない可哀想な奴だと笑われるし、皆に言いふらされるかもしれない。そうしたら、立場がなくなる。
 日常のあちこちに行き止まりの札が貼ってあって、進みたくても引き返すしかない。直面する度になぜか身体が動かなくなる。
 寂しいような気分になって琴音は空を見上げた。いくつかの薄い雲が棚引いていて涼しげだった。色合いが淡泊な秋らしい爽やかな空だった。
 
 完全に目的を失った琴音は、周りの人の流れに合わせてしばらくぼんやりと足を進めた。頭が怠かった。何も考えられなかった。ところが歩いているうちに、まるで毒が回ってくるかのようにだんだんと不安が立ちこめた。
 昨日麻理恵は
「実は寿馬に部屋来なよって言われてるんだけど、でもやっぱ、部屋行くのはやばい気がして迷ってるんだ」
と相談してきたのだ。琴音はそれに対して
「いいじゃん、行きなよ。先生来なって言ってるんだから行けばいいじゃん」
と返したのだ。
「でもちょっと心配じゃん」
「何が?」
「だって、部屋で二人きりになったら、あれするかもしれないじゃん」
「してもいいじゃん。男女の仲なんでしょ」
「そうだけどさ……一応まだ中学生だし」
「中学生でも愛しているんでしょ? 先生を。大丈夫。バレないって」
 しばらく返信がなかった。琴音は固唾を飲んでスマートフォンの画面を注視していた。やがて
「そうだよね。部屋行くって寿馬に言う」
という答えが返ってきた。
 琴音は浮き足立ち、はしゃいだ。完全勝利だ。あの子はこの歳で処女を喪う。その価値も分からないうちに。何て悪い子。非行少女も同然だ。それに対して私は相変わらず優等生。何て気持ちが良いのだろう。この先親戚で集まるようなことがあっても、麻理恵にだけは勝っている。私は勝ち誇っていられる。一生ものの立ち位置が決まったんだ。

 ところが今更になって不安になってきた。やりすぎた気がする。私は麻理恵にとんでもないことをそそのかしたのではないだろうか。もしそういう状況になっていたとして、あの子がトラウマでも負っていたらどうしようか。そもそも中学生の性行為が許されるとは思えない。琴音は胸の内に灰色の雲が充満していくのを見つめ、立ち尽くした。通行人たちは立ち止まったまま動かない琴音を邪魔そうに睨みながら横を通り過ぎていった。
 
 皆に内緒で二人高い山に登って、笑いながら崖の下を覗いているとき、急に私はあの子を後ろから押して突き落とした。麻理恵はまさかたった一人秘密を共有していた私に裏切られるなんて思いもしなかっただろう。
 いつか怖ろしいしっぺ返しが来る気がする。

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