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【天気の子】愛に出来る事は…【ネタバレ記事】


今更ながら話題の映画、『天気の子』を見てきた。素晴らしい描写、期待を裏切らない新海誠監督の演出。凄い作品だと思う。

何が凄いかって、ハッピーエンドに見せかけた壮大な新海誠の自慰行為な所だ。あの監督は、『君の名は。』のヒットで再び陽の目を浴びる事となった映画『秒速5センチメートル』から何も変わってなんかいなかったのだ。
初めに断っておくが、私は批判したいとか、監督が嫌いだとかそういう事を言いたい訳では無い。何かを創造する人が、やはりその人だと納得行く要素を強く持っているというのはむしろ褒め称えられるべき点だからだ。

そんな話題の作品、天気の子についての感想とかを綴っていきたいと思う。


・率直な感想とか

簡潔に言えば新海誠の得意とするボーイミーツガール。ひょんな事から晴れ女となったヒロイン陽菜に会った主人公 帆高は色々な紆余曲折を経て相思相愛となるがそこには大きな難題が待ち受けていて…と言った感じだ。

なんだ『君の名は。』と同じじゃないかと思った人も居るだろう。だがこれは二番煎じなんかじゃないのだ。煎じるどころかミキサーでドロドロにした後に2時間煮込んで出来たコゲみたいなものだ。でもそのコゲが美味いから困ったものだ。

『君の名は。』は簡単に言うと相思相愛の2人がヒロインの危機を回避する為に頑張って、結果的に互いが離れてしまうものの多くの人々が救われるお話だ。1番最後のシーンで出会っているじゃないかとかはとりあえず一旦無しで。

一方、『天気の子』では相思相愛の2人がヒロインの危機を回避する為に頑張って、結果的に互いが結ばれるが多くの人々が報われない結果に終わってしまうお話である。
煎じている様で煎じてない。要素を持って来て与り知らぬ所で投下されるむしろ闇鍋だ。

これは闇揚げ(タップでYouTube飛びます)


端的に言うなら私はこれをハッピーエンドとは言えない。何故ならハッピーになった人間は実際には世界に2人だけで、その他とてつもない人数の人間がアンハッピーに傾倒している筈なのだ。
小さな世界を救って、ハッピーエンドの様に見せた前作と違い、明確に世界は悪い方へと傾いたと言う語り部で最後は語られる。

"あの日僕達は、世界の形を、決定的に 変えてしまったんだ。"

そう、この映画は冒頭から後日談的に語られているのだ。
変えてしまった。と自覚しているのだ。周りはそんな事は無い、自然にこうなっただけだと言うがその実態は変えてしまったと言う事実に他ならない。
それに、主人公達だけに視点を向けているが周りの人達だって相応にヤバい。警官を殴りつけたりしてるのだ。ボーイミーツガールで2人だけの世界になって終わるならまだ分かるがその後の人生が普通に進んでいく中で、この様な事をしてしまった人達も居るという事実はまるでとても小さな事のように描かれている。(まぁ、会社でかくなってたり順調そうではあるのだが…。)


・見終わった後心に残った事

単純に、誰も幸せになってないんじゃ無いか?という事を思ってしまう。いや、帆高と陽菜は確かに幸せなのかもしれないが、この世界を半ば壊してしまったと言う事実に押し潰されてしまう可能性はなきにしもあらずだ。最後に瀧君のお婆ちゃんと話すシーンで帆高はこう言う。

「すいません。」

誰もがハッピーエンドだと思っている2人にすら、私は素直に拍手を送る事が出来ない。何故ならこれは新海誠という男の掌の上の物語だからだ。
私はボーイミーツガールというものがとても好きだ。『交響詩編エウレカセブン』という作品があるのだが、私は3回程見直すくらいには好きだ。(50話+1話)
その私が、この2人の周りだけを凄く良い様に捉えたボーイミーツガールを素直に喜べないのだ。その理由は後に書こうと思う。

この2人にすら幸せを感じきれないなら、間違いなく世界単位でマイナスを背負ったこの世界は救いが無いのだろう。



・新海誠の願う『君の名は。』の行方

大団円で終わりを迎え、新たなる出逢いで締めくくった『君の名は。』という作品。
だが、元々新海誠監督は最後の歩道橋ですれ違うシーンで終わりにして、最後の坂道の下りを作らずに終わる予定だったそうだ。そこをディレクターに押されて最後のシーンを付けたらしい。
その結果万人に受ける、『秒速5センチメートル』等とは比にならない程の評価を受ける結果となった。大正解の判断だったのだ。

世の中にとっては。

本当に、新海誠監督はこれを素晴らしい終わり方だと思っていたのだろうか。秒速だけじゃない、他の作品ですら離れ離れになるどうしようもない距離感を多数描いて来たあの監督が。
私個人の考えを言おう。答えはNoだ。
作中でボーナス的に出てきた立花瀧、そして宮水三葉。(その他学友や妹も居るのだが)
ファンサービスと思って喜んだ人もいるだろう。私も同じ世界線なんだとビックリしながらも喜んだ。しかし、ふと思ってしまう。
立花宮水として出て来るのだ。ネームプレートや表札からしても結婚などをしている気配は見受けられない。そしてこの物語の最後は、東京の大部分が水に飲み込まれ、雨が降り止まない土地へと変化するのだ。
作中で晴れになるシーンなど殆ど無く、あっても局所的と語られる中で晴れた階段ですれ違う2人など起こりえるのだろうか?

勿論、それ以前に会っているだとか、沈む前に晴れて出会うだとか思う人もいるかもしれないが時系列を調べてみると辻褄が合わなくなってしまう。そう、2人は恐らく出会えないまま東京は海に沈むのだ。

この世界は繋がっている様で全く別の世界線で『君の名は。』を新海誠監督の望む様に完成させたのだ。

ハッピーエンドだった物にハッピーエンドの様な物をぶち込んでグチャグチャにぶち壊したのだ。

勿論2人が出会う世界という物は描かれているのだから、この世界線は別物だと言えるだろう。だが、第三者として物語を知ってしまっている我々には対して明確に悲しい結末の2人を指し示した上であの終わり方をしたのだ。
これで帆高と陽菜が何処までも幸せに生きていけないのなら、もう救いようのない物語だ。

あの2人の幸せを願わずには居られない。だけど、あの監督が幸せを幸せのままにするのを望むのかは私には分からないのだ。

もう一度言おう。この『天気の子』は新海誠という天才が描く壮大な自慰行為だ。


・最後に

めちゃくちゃdisってんじゃん。と思った方も居ると思うが、私は好きですこの作品。最初にも言いましたが、この人の作る作品なんだって深く納得出来ることは素晴らしい事であり才能だと思うし、物語に納得は行ってるのだから。
納得した上で、私はハッピーエンドとは思えないというだけで。

何よりやっぱり描写とか作画が丁寧で綺麗なんですよね。アニメーションとしての完成度が高いから、内容があまり好きじゃ無くても映像として楽しめると思います。
その点も新海誠作品という物を表している様で良いですね。

あと、陽菜ちゃんが可愛い。どストライク。

愛情によって描かれた作品が、感情によって崩れて行く様を見て私は改めて思う。

"愛に出来る事は まだあるかい?"

おしまい。

水曜どうでしょうのBOXが欲しい貧乏です。