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マツダのル・マン24時間レース総合優勝についてまとめた

こんにちは!れごです。

初めてのモータースポーツについての記事です。私は車が大好きで、カッコよく走るモータースポーツもF1を中心に観ています。(先週はF1日本グランプリでしたね。角田くんが母国で初めてポイントを獲ってとても嬉しいです☺️)

このnoteでは自分が学んだことも記録したい。せっかくなので車について知りたい内容を伺ったところ、1991年のマツダのル・マン24時間レース総合優勝について知りたいと答えて頂きました。なのでわかりやすく総合優勝の凄さを書きます。

それではいきましょう!


ル・マン24時間レース


そもそも、ル・マン24時間レースとは。

世界三大レースという3つの自動車レースに対する伝統的な呼称がある。

・インディ500レース
・F1モナコグランプリ
ル・マン24時間レース

これらは4輪のモータースポーツの中で誰もが憧れる有名なレースだ。

3つのレースの特徴は大きく異なる。楕円のコースを200周走り続けるインディ500。市街地を走り、F1シリーズの中で最も抜きにくく、厳しいコースと呼ばれるモナコグランプリ。

そしてル・マン24時間レースの特徴は24時間コースを走り続け、その周回数を競うこと。コースのサルト・サーキットはル・マン市郊外にある常設コースと公道区間を合わせたもので、3人のドライバーがピットで交代しながら車を走り続ける。

時間の許す限り周回を重ねるが、

・24時間走行
・変化する天候
・合計30回以上の給油
・総走行距離は数千キロ

など過酷な条件の下で走る。そのため過去に発生した事故を教訓として安全性を向上させている技術革新の最先端を担うレースだ。

参戦する自動車メーカーにとってル・マンでの勝利は非常に名誉なものとされており、最重要レースとして入念な準備をして臨む。ここから名車の名声を得たものにはポルシェの他、メルセデスやジャガーなどが挙げられる。

それだけ過酷で高い技術が求められるレースなのだ。


1991年ル・マン

マツダ787B

まずマツダ787Bは日本メーカーにとって初の総合優勝である。その時点で凄いのだが、一番の快挙はエンジンにある。

マツダ787Bはロータリーエンジンで走る。今まで優勝した車はレシプロエンジンで走っていたため、ロータリーエンジンとして初でありレシプロエンジン以外でも初の総合優勝である。

ロータリーエンジンとレシプロエンジンについて簡単に説明する。

レシプロエンジンはわかりやすい。ほぼ全ての車で採用されているものだ。燃料を燃焼させてピストンを動かし、その往復運動が動力となる。

一方ロータリーエンジンはピストンの代わりにロータリーを用いる。楕円系の容器の中で丸みを帯びた三角形(ローター)が回転して動力を得る。

レシプロよりも構造が簡単で小さく高出力なのだが、燃費性能に劣り現在は採用されていない。(水素ロータリーエンジンは研究されている)

マツダ787B・55号車のドライバー

フォルカー・バイドラー🇩🇪

1985年にドイツF3(F1の2つ下のランク)のチャンピオン→F3000(日本で開催されていた。Formula3000。)そしてF1レーサーとなる。しかし予選の成績が悪く一度も決勝に進めないままF1シートを失っている。

ジョニー・ハーバート🇬🇧
1988年、F3000時代にレースで足を複雑骨折し右足首が曲がらなくなった。その後遺症からアクセルワークを膝の屈伸で行う凄い人。成績は振るわなかったが足が完治しないまま翌年にF1デビューをしている。

ベルトラン・ガショー🇫🇷
1985年にハーバートがF3でチャンピオンを獲った年に2位に輝いている。1989年にF1に参戦するが決勝レースでは成績が振るわなかった。1992年にチームを変えて参戦。その時のチームメイトが新人の片山右京だ。

みんな山あり谷ありですね。。。

予選まで

マツダは787Bが55号車と18号車、787は56号車を登録。前年のレースで惨敗し周囲に警戒されなかったマツダはハンディキャップとなる最低重量が他者に比べて軽かった。(燃費が良くなり有利になる)
※ハンディキャップ:前戦の結果によって強いチームは車を重くしなければならない

予選(各車が一周の最速ラップを競う)では、データの収集など決勝に備えたためタイムはそこまで上がらなかったが、グループCカー(この車のカテゴリー)を乗り慣れないガショーにヴァイドラーが乗り方を教えてぐんぐん燃費が向上していた。

決勝(本番)

レースはメルセデス3台が先行し、それをジャガー3台とマツダ2台が追う展開となった。メルセデスは燃費が悪くなっても前半で大きくリードし追撃を諦めさせる作戦。ジャガーは燃費重視でペースは上がらないがペースを保って他者の失速を待つ作戦を取った。

車が重いとその分燃費は悪くなる。燃費が悪いと何度もピットに入り給油しなければならない。マツダ787Bは最低重量が軽く、ドライバーの努力もあって良好な燃費のままかなり高いペースを保つことができた。

経過時間時点での順位は
1時間:11位
2時間:9位
3時間:10位
4時間:7位

と着実に順位を上げる。

この頃ようやくマツダの速さに気がついた上位を走るメルセデスとジャガーはマツダの情報収集を始める。(速度などレースペースのデータ集めかと思われる)

6時間目にはメルセデス3台に次いで4番手となった。

ル・マンではマシンの損傷は命取りだ。メルセデスは10時間目に32号車が前部を破損しトップから10周以上遅れた。(優勝は不可能)

13時間を過ぎる辺りで2番手を走行していたメルセデスの31号車がトランスミッション(変速機)のトラブルでピットイン。ピットで時間がかかり5位に後退した。これによりメルセデス3台のうち2台をかわしマツダ55号車は2位に浮上する。

21時間目、トップを走るメルセデス1号車がオーバーヒート(熱を持ちすぎる)とトランスミッショントラブルでピットイン、マツダ55号車がトップに立った。メルセデス1号車はもう一度走ったがトラブルで再度ピットに入り、そのままリタイアした。メルセデスの脱落後はジャガーが2・3・4番手を固めマツダに続いた。

マツダ55号車の終了20分前のピットインでも想定外の危険を避けるため連続で1時間半近く走っていたハーバートを交代させなかった。この時のタイヤ交換(ずっと走ってるとタイヤが熱で溶けて速度が落ちる)はメカニックの手が震えて普段より僅かに時間がかかったが、他は特に問題なく終了した。マツダ関係者にとっては時間の経過が恐ろしく感じられたというから、相当な緊張感だったのだろう。

無事最終周回中に24時間のゴールタイムを迎え、ハーバートの運転でチェッカーフラッグ(終わりですよ〜の旗)を振られた。

周回数:362周
走行距離:4922.810km

2周差で2位に入った35号車を始め、ジャガーの3台が2・3・4位を占めた。マツダ勢は18号車が6位、56号車が8位に入っている。

最後に走行したハーバートはゴール後激しい脱水症状を起こして自力で車両から降りられず医務室に直行。1人だけ表彰式に出られなかった。限界まで走り続けたのだろう。

☆ハーバートは20年後の2011年、当時優勝した55号車の車両に乗ってその年のデモ走行として周回した後にサプライズで表彰台の中央に立つことができた。


以上が1991年のル・マン24時間レースを制覇したマツダの物語です!ル・マンは毎年夏至の日に行われていてYouTube配信もしてるので、様子が気になったら観てみてね。

モタスポ、車関連で知りたい内容があればコメントしてください!自分の学びになるからできる範囲で書いてみます。

それではまた!

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