『楽しい』と『面白い』の違い(未完)
まえおき
「『面白い』とは何か?」(前編)(後編)で
あれだけ偉そうに語っておいて
3か月前に
とんでもない気づきを
人から与えられてしまったので
ここにも書いておきます。
あとたまには
わかりやすく研究途中のものも
書いておきたかったので。
バーで言われた衝撃の一言
先に書いておくと
大前提、僕が営んでいるバーで
お客様の許可なく
「交わされた会話」や「お客様の情報」を
外に出すことはありません。
(つまり許可済みの話です)
ある日、とあるお客様Aと
何気なく会話していると
僕「いやでもそれって面白くないと思うんですよ」
A「それ!! そうなんだよね!!」
と、いきなり指をさされました。
僕「え、なに? どれですか?!」
A「クリエイターの人って、『面白いか、どうか?』で考えるんだよね!」
(あんまクリエイターと自負してはないけど…)
僕「はぁ…まぁ、そうですかね。それがどうかしました?」
A「一般の人はさ、『楽しいか、どうか?』で考えるから!!」
僕「はぁ…ほぉ…んんんっ?!!!」
Aさんが放った一言は、僕の脳に痛恨の衝撃を与えました。
さんざん『面白い』の研究をしたのに…
僕が『面白い』の研究を10年以上続けて
ある程度、言語化にできるようにした動機は
前にも書きましたが
「自分が面白いものを書きたいから」
ですが、
「多くの人に認められたいから」
というものが
「ない!」と言ったらウソになります。
そりゃ承認欲求もありますよ。
人間だもの。
でもAさんが放った
「一般の人は、『楽しいかどうか?』で考える」
という
『面白い』の世界から一歩ひいた
より広い世界を知り、ズガンとなったわけです。
思い返せば、思い当ることばかり(泣)
話の続きの前に…
言葉のズレをより少なくするため
ここからは、先ほどのAさんの台詞を
「クリエイター→作り手」「一般の人→受け手」
に変換してお送りします。
(…受け手は、『楽しいか、どうか?』だと??)
僕の脳内は急速で
「集客の多いコンテンツ」を
思い返していました。
例えば…
スポーツ観戦をした人たちが
スタジアムから駅に向かって歩きながら
談笑しているとき
「楽しかったぁ」
(言ってる! 「楽しかった」って言ってる!!)
確かに「面白いゲームだった」
みたいに評価する人もいます。
でもそれは「評価している自分」も含んでいて
純粋な感想は『楽しい』なのです。
音楽ライブの帰り道の会話もそう!
テーマパークもそう!!
逆に、いつまでたっても身内しか客がいない
「小演劇」の公演の帰り道で
そんなこと言うやつ見たことない。
むしろ
『面白かったねぇ』
は、ある。
「観る」という行動は、どれも同じ。
なのに感想は、違う!!
つまり
受け手はいつだって
何かを選ぶ時から
『面白そうか、どうか?』
じゃなくて
『楽しそうか、どうか?』
で選んでいるということです。(パタリ)
確かに僕の感性でも
「演劇」より「ミュージカル」のほうが
面白いかわかんないけど、楽しそう。
「歌舞伎」より「スーパー歌舞伎」のほうが
面白いかわかんないけど、楽しそう。
僕も作り手じゃなくて
受け手の視点になったら同じです。
いやでも「映画」は?!
「映画」は、集客が多いこともあります。
あれの感想、動機は、さすがに
『面白かった』『面白そう』のはず!!
と抵抗してみたものの
年間出ている映画の本数に比べたら
集客が多い作品は、例外とも取れるし
お子様なんかは、映画館から
『楽しかった』
って出てきてる絵も想像できます。
多くの人は『面白い』を求めてない
ちょっと待ってください。
僕はずっと、多くの人に認めてもらうために
『面白い』の研究を続けて生きたのに
「多くの人は、『面白い』を求めてない」
ってことなのでしょうか?
確かに
「演劇のチケット2000円」
より
「普通の飲み会の2000円」
のほうが集めやすい。
演劇だって
観る人口は、減っていても
やる人口は、減っていない
印象があります。
これもつまり
観るよりやるほうが楽しいから。
ぐう、余地を…
反論の余地を誰かください。
『楽しい』と『面白い』の違い
そもそも論で考えてみましょう。
そもそも『楽しい』ってなに?
楽しい…楽しい…楽しいは
「感情の一つ」ですね。
んじゃ『面白い』は…
「思考の一つ」です。
なるほど。
感情は、意識しなくても出るけど
思考は、基本、意識的な行動です。
つまり
『面白いは疲れるけど、楽しいは疲れない』
ということです。
それに感情は、
常に思考より深い部分にあります。
そりゃ多くの人は
『面白い』より『楽しい』
ほう取りますね。
いきもの全般、基本
(楽がしたい)
と無意識で思っていると思うので…。
『楽しい』とは、何か?
というわけで、僕は今
『楽しい』
の研究も色んなものと並行で行っています。
でもね、これ、3か月前の話ですよ。
『面白い』
の研究に、一区切りつけるのに
10年以上かかった人間が
いつになったら
この研究に一区切りつくんだって話です。
ちなみに完全な言語化は
初めから諦めています。
感情の全ての言語化は
「不可能」と結論付けているからです。
理由は、もうどこかに書いた気がしますが
そのうち別のテーマでも触れると思います。
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