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書いて作って考える鳥

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最近の記事

作詞の策士、ワードヒーロー

私が一生付いていく覚悟のあるギターヒーローならぬワードヒーローは、山田亮一と田淵智也である。 山田亮一は書いて弾いて歌う捻くれミュージシャンとしての畏敬であり、 田淵智也は作詞作曲マンに加えてプロデュースマンとしての才気に慄く。 田淵自身がプレイするバンドでありながら、同時にプロデュースドバイ田淵なバンドであるのがUNISONだ。ギターボーカルの彼に歌わせる音域とメロディと言葉のパズルの妙は、演奏者の特徴を最も近くで理解する彼が、第三者の眼差しを持って最良の演出を計算する

    • 食べる私は人質

      考える私は、食べる私を人質に取っている。逆もまた然りである。 『家庭料理という戦場』の中で、「暮らす私」と「(暮らしを)研究する私」は相互に影響を及ぼしあうために完全に切り離すことができないことを認識する必要がある、という件があった。家で料理をする時、脳裏に染み付いた一汁三菜の像から完全に切り離せないのもそうだし、研究者も研究に精を出すために食事を摂らなければいけない。研究対象が食である著者のケースはなおさら密接でややこしい。 『おいハンサム』という大好きなドラマのシーズ

      • 大都会を生きたビル、東京建築祭

        土曜日、東京建築祭に出かけた。倉方先生の公開建築解説動画を見てから有楽町の街を歩く。国際ビルディング、新東京ビルディング。オフィスビル内部のエレベーターホールや階段室や壁画、随所にこんなに素敵な意匠。並びの新有楽町ビルディングもやっぱり好き。 なにも知らずに通過している人からしたら、みんなして建物の壁とかパシャパシャ撮って何!?だっただろう。そう、何?と言われたらなんでもないのだ。今日たまたま誰でも入れるだけで、このビルはここにずっと変わらずある。変わらずある街の一部を、眺

        • 家庭料理という虚像

          家庭料理って何なのか割とずっと考えてきた。誰しもの中にぼんやりとイメージがあり、それらしい献立をありがたく感じたり、自ら再現できるよう努力したりギャップに違和感を抱いたりする。 絡まったイメージを解きほぐすと それみんな、どうやって作りあげてきたの? 『家庭料理という戦場』を読んでようやく理解したのは「家庭料理とは虚像」である。 家庭料理戦線 昭和to平成 本書による昭和〜平成の家庭料理の変遷(ざっくり)。 「手作りが愛情だよね」から出発する家庭料理像、だけどその「手

        作詞の策士、ワードヒーロー

          形になる前のものたち

          足りないのはプロセスを認める覚悟だ。 推敲し尽くした文章に、成果物に、結論にだけ価値があるわけじゃない。その思考の途中経過を自分の中にしまい込まず、外に出して眺めてみること。どこでにもあるよね、ありふれてるよねと縮こまらず、自分がそう感じたんだと気負わず残すこと。 それが自分を助けてくれる気がする。

          形になる前のものたち