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大都会を生きたビル、東京建築祭

土曜日、東京建築祭に出かけた。倉方先生の公開建築解説動画を見てから有楽町の街を歩く。国際ビルディング、新東京ビルディング。オフィスビル内部のエレベーターホールや階段室や壁画、随所にこんなに素敵な意匠。並びの新有楽町ビルディングもやっぱり好き。

なにも知らずに通過している人からしたら、みんなして建物の壁とかパシャパシャ撮って何!?だっただろう。そう、何?と言われたらなんでもないのだ。今日たまたま誰でも入れるだけで、このビルはここにずっと変わらずある。変わらずある街の一部を、眺める視点を持ち寄った人たちが嬉しそうに街を散策している日。私は建物よりもその人たちを観に行きたかったのかもしれない。

解説されていたポイントに目を向けると、自分では着目しなかったであろう素敵さをキャッチできて面白い。だけど自分はやっぱりいつものようにまずは直感で建物を愛でていくのが性に合うなと思う。このエリアの最愛は内実ともに交通会館ビル。何度来ても初めてのようにときめくってつまりはタイプ。そんな仲でも屋上庭園に出られることを初めて知る。

普段入れない建物の特別公開、ガイドツアー。来年もあったら、ツアーにぜひ参加してみたいと思った。倉方さんが仰っていた通り、この催しは建物たちのオーナーの「粋」によって成立している。誰でも入れるように公開することはリスクしかない。建物の保存維持には手間もお金もかかるし使い続けていないとダメになる。今ある景色が未来に残り続ける訳ではない儚さはかなり理解しているつもりだ。でもだからこそ、今この瞬間ここに在る建物の物語を知りながら愛でること。知ることで新たな視点と感謝が生まれること。それって公開してくれたオーナーにとってもきっと保存のモチベーションに繋がることだろう。

施主、設計者、大工や施工会社、補修者、現オーナー、と続いてきたヒストリーが市井の人に開かれる。これまでまるで関係なかった建物の、街の見方が少し変わる。(一方的にだけど)知り合いのような感情が生まれる。建物への愛着は街への愛着。なんだろう、生きた建物は、都市でただ借り暮らしをしている一生活者が街と主体的に関わるきっかけになれる気がする。街って漠然としているけど、この東京という大都市を記号的な場所ではなくひとまとまりの「地域」として捉え直す。せわしなく通過するだけだった場所を、まずは立ち止まって眺める、味わう、そして知ることが街との関係性の第一歩なのだと思う。

それと倉方さんの語りの中で印象的だったのが「名建築」「傑作」という言葉をあまり使いたくない(キャッチフレーズとしては有効に使うけれど)という話。格付けの価値観になってしまうと。名作だからすごい、は他人の眼鏡でものを見ること。ディベロッパーの巨大施設も名もなき街場のビルも優劣はなく、自分がいいなと思うかどうか。初心者向けも玄人向けも本来はない。あるとすれば玄人は知識で補強して立体的な鑑賞をするから、そのバックボーンに学び甲斐やロマンがあるかどうかだろうか。

街並みを味わうことは、生活者が自分の感性をもって面白く暮らすための一つの手段なんだなとあらためて思う。

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