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【連続小説】『2025クライシスの向こう側』5話

連続小説 on note 『2025クライシスの向こう側』
第1部 愛尊と楓麗亜の七日間

第5話  予感する少女

樹 楓麗亜  イントロダクション

二重の防音ドアをパパが閉めてくれる。
ガスボッ。間。ガスボッ。
この気圧が変わる瞬間が好き。
宇宙的な真空感。
今日もいいことが起きる予感。

パパが弾く歪んだギターの音が
アンプから大音量で聴こえる。
ワタシは膝を抱えて
パパの傍に座って音の中を浮遊する。
沢山の音が溢れている。
意図的に鳴らされた音とそうでない音。
すべての振動がスタジオに漂う。
その中の
好きな音だけをワタシは拾い集めていく。
心の中でイメージする。
パステルグリーンの布を広げて
風をあつめるようにして音を集める。
パパは歪んだ音で弦をはじく。
アルペジオ。
イメージの中で、
ワタシは膨らんだパステルグリーンの布を
抱きしめながら、
左足の爪先立ちで身体を回転させる。
音を中心に
ワタシもスカートの裾もくるくると回転する。
くるくるくるくる。
コードが転調していく。
アルペジオからストロークになる。
歪みながらも乾いた
パパのカッティングが好きだ。
ワタシは心のままに
めちゃくちゃな言葉で歌う。
パパは
ワタシが行きたい方向のコードを展開する。
どうしようもないほどのシアワセ。
6歳のワタシ。
パパが家にいる時間は
飽きることなくこの遊びをした。
耳にパパのギターの音が残っている。
蜃気楼のような耳鳴り。
パパはワタシに
色んな音楽を聴かせてくれた。
ロック。ポップス。ジャズ。
クラシック。邦楽。洋楽。
最初に気に入った曲は、
バッハの『無伴奏チェロ』だった。
色んな感情が引き出される曲だった。
ざわざわとふんわりときゅん。
次のお気に入りは、
はっぴいえんどの『風をあつめて』。
『風をあつめて』は
"耳鳴り蜃気楼"の中で聴くと特に心地よかった。
オルガンが、こっそりとどこまでも
あとをついて来る子猫のようで可愛かった。
ボーカルの低い声にガットギターの響き、
ベースラインと跳ねるようなドラム。
それから言葉の音と響きもとっても心地よかった。

パパはギタリストだった。
1980年に4人組のロックバンドでデビュー。
パパは二十歳。バンドは3年で解散。
だからパパはアレンジャー、作曲家、
スタジオミュージシャンになった。
色々なアーティストに楽曲を提供したり、
アルバムをプロデュースしたり、
アレンジャーとして活躍し、
売れっ子のスタジオギタリストになった。
様々なアーティストの
レコーディング、ツアーに参加した。
そして1995年に
アブソリュートスペースを設立した。
多くのヒットアルバムや
ミリオンセラーシングルを世に出し、
自社レーベルをも立ち上げた。
2001年に
前の奥さんと離婚してママと結婚した。
ママはハウス系ユニットでボーカルをやったり、
CMソングを歌ったり、バックコーラスをしていた。

ママはパパより16歳年下だった。
アメリカで生まれて
18歳で日本に単身やってきた。
お爺ちゃんはスペイン系のアメリカ人で
お婆ちゃんは日本人。
ニューヨークのブルックリンで生まれて育った。
ウイリアムズバーグというとてもホットな街。
ママは4歳から教会で歌を歌い始めた。
お婆ちゃんは、
ママと二人の時は日本語で会話した。
だからママは、英語とスペイン語と日本語が話せる。
高校を卒業すると日本の大学に留学した。
理由は、
アートスクールに通う友だちのアパートで
観た塚本晋也の『鉄男』と大友克洋の『アキラ』が
えらく気に入ったことと、
お婆ちゃんから聞く
東京のプレイスポットの話や
お婆ちゃんのコレクションである
日本のニューミュージックのLPを聴き、
一度日本で暮らしてみたいと思ったらしい。
それらがCD化されたものは、
パパから聴かせてもらった。
その中でワタシが好きだったのは、
山下達郎、サディスティックス、
松原みき、矢野顕子、大貫妙子とYMOだ。
東京のお婆ちゃんの妹の家で
暮らし始めたママは、ろくすっぽ大学には通わずに、
六本木の外人クラブでファンクバンドのボーカルをやった。
パパはその店で偶然ママの歌を聴いてすぐに気に入って、
レコーディングやツアーに参加させた。
そのうちに二人は付き合うようになった。
まあ色々と大変だったみたい。
パパはまだ奥さんがいたし、ママはまだ子供だったし。
今も子供だけど……。

そして2003年7月5日。
ワタシは誕生した。
パパ43歳。ママ27歳。……の3人家族。
ママはワタシがお腹にいる時に歌を辞めた。
そしてワタシが5歳になる頃には家事も辞めた。
朝からお酒を飲むようになった。
朝、目を覚ますと
その日のママの状態が
なんとなくワタシには分かった。
悪い予感の日とそうでもない予感の日。
あとで知ったのだが、
ママは少し精神を病んでいたらしい。
原因ははっきりしない。
食事はお手伝いさんが作ってくれるようになった。
ママは幼かったワタシには
何も話してくれなかった。
ママは部屋に閉じこもることも多くなり、
泣きながらよくお婆ちゃんに
国際電話をしていた。
何を話していたかは聞き取れなかった。
ただママのすすり泣く声だけは
途切れ途切れに聞こえた。
一日中部屋に閉じこもり、
何かを飲むために台所に出てきても
私の目を見ない日もあった。
それでもあくる日、
目覚めたワタシはママの笑顔を予感する。
ママはワタシの部屋に入ってきて、
抱きしめてくれる。
ふたりで
ままごとキッチンで遊ぶこともあった。
ごくごくたまに。

だから、ほとんどはパパに遊んでもらった。
ドラム、ベース、ピアノ、ギター。
全部パパから教わった。
レコーディング終わりに、
スタジオで打ち上げをする
パパの音楽仲間たちとセッションもした。
ある時いつものようにパパの仲間達と演奏していると、
珍しく上機嫌なママがスタジオに入ってきて歌を歌った。
ブルース・スプリングスティーンの
『My hometown』を三連のバラードにして。
パパのギターやその他のメンバーの演奏もカッコ良かった。
でもこの時のママの切なくて痛くて
それでいて艶があるヴォーカルが最高にクールだった。
いつになくママの顔ははっきりしていた。
とても寂しい予感。
そう。
ママはこの一ヶ月後にアメリカへ戻った。
ワタシは小学校2年生だった。

今でもママは頻繁に電話をくれる。
一緒に暮らしていた頃より仲良しかも。

それからパパとふたりで暮らした。
身の回りのことはすべて
お手伝いさんである今井のおばちゃんがやってくれた。
ワタシは幼稚園から大学まで
エスカレーター式の渋谷区にある
ミッション系の小学校に通っていた。
たぶんみんなから見たら"特別な家庭"に
育っていたワタシは
全く学校には馴染めなかった。
クォーターのはっきりした顔。無口な子供。
それだけで浮く要素は十分なのに、
趣味趣向も合わさるともう
クラスメイトの方もワタシも戯れる理由がない。
周りの子たちは、 AKBと嵐に熱狂して、
山Pとガッキーの救急ドラマの話で盛り上がる。
ワタシはパパから渡されたiPodで、
レディオヘッド、オアシス、U2、
ブルーノ・マーズ、アデルにガガ、ビョークなどなどを
イヤホンをして窓際で一人聴いてる。
家に帰れば、パパとポップコーン食べながら
『エターナルサンシャイン』とか、
パパなりにちょっとワタシに寄せてくれた
『かいじゅうたちのいるところ』を観たりしてる。
今思うと、ちょっとイヤな子供よね。
完全にいじめで排除される対象だったけど、
しゃべらない女子の威圧感なのか、
クラスメイトは適切な距離をワタシととり、
"窓際のフレア"は日常の光景になった。
教室で集団の中、一人自分にフォーカスする。
徐々に予感の精度は高まっていった。
廊下を歩くワタシ。
前から男の子が歩いてくる。
ワタシは予感する
”危ない!
左手の階段から来た別の男の子と
前からくる男の子がぶつかる”と。
ワタシは歩みを止める。
前方で二人の男の子が
ものすごい勢いで衝突してお互いに尻餅をつく。
予感したまんまの光景。
予感というか、
映像のようにワタシの中に投影されるのだ。
そんなこんなで人混みは苦手だった。
家がいい。パパがいい。

あの頃のワタシは
心底パパが教えてくれる音楽や映画に
ただただ夢中だった。
パパは父親でもあり親友だった。
おやすみのハグをする時
いつも思いっきりパパの匂いを吸い込んだ。
パパはカブトムシの匂いがする。
香ばしい夏の匂い。
パパはあの頃の私のすべてだった。

小4の時には、
ほぼ一通り楽器は弾けるようになっていた。
ちょこちょこと曲を書いて、
ドラム、ベース、ギター、キーボードを
それぞれ録って重ねたりして
デモを作ってパパに聴かせた。
パパは「ここはめちゃくちゃいいね」とか
「気持ちいいね〜」とか褒めてくれたり、
「ここはこうしてみれば」とか言って
ギターで複雑なコードをのせてくれたりした。
どんどん曲を作りだめしていった。
いい曲ができるとパパは喜んでくれた。
パパを喜ばすことに夢中になった。
パパが喜ぶことがワタシの喜びだった。
パパのために曲を作った。

意味はわからなくてもいいから、言葉が必要だった。
ワタシのボキャブラリーは圧倒的に少なかった。
11歳の少女のボキャブラリーは
悲しいほどに少なかった。
パパの本棚から本を引っ張り出して言葉を漁った。
サリンジャー、村上春樹、ボブ・ディラン、
ジョン・レノン、井上陽水、ガガ、
ヴァージニア・ウルフ……。
読めない漢字は、今井のおばちゃんに教えてもらった。
意味は国語辞典で調べた。
載って無い言葉は、パパか今井のおばちゃんに聞いた。

そんなある日、
出会ったふたつがワタシの世界を広げてくれた。
小5の夏休みだった。
ベッドに入ったワタシは予感する。
パパの机の上に何かある。
パパがリビングで何かを聴いている。
明日が楽しみだ。
そう思ってワタシはタオルケットにくるまった。




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