【私の履歴書】Fラン卒&ブラック企業
ブラック企業大賞にいつエントリーされてもおかしくない会社で激務に耐え、その後ホワイト企業に転職した連野元治(レンノガンジ)です。
今日は驚くべき低スペックの私のプロフィールをお話します。
「こんなヤバい奴がなぜホワイト企業を目指したのか?」そう思い始めたきっかけが分かります。
家庭環境、大学時代
私はまわりに信号1つない田舎の出身で、高卒の両親のもとに生まれました。
偏差値35のFランク大学卒業。通称「Fラン」と呼ばれる地方のアホ大学卒です。高校3年の時に「就職するの嫌だし大学でも受けようかな」というノリで無勉強で入学しました。進学することさえイメージできなかった本当のバカでした。
大学では卒論もゼミも専攻もないどころか出席をとられた記憶はありませんし、試験の記憶もほとんどありません。
就活は何も考えず3社だけ受けて1社だけ受かった老舗の製薬企業へに入ります。(他に受けた2社も中央出版と富士薬品という当時評判の悪い企業でした)1社目 創業100年の製薬会社 ブラック度20/100
学会展示や病院への営業にかり出されるため土日の出勤が多く、代休は買い上げのシステムがあったので振替休日はなし。
年間休日は100日程度と少ないわりに年収は300万でした。
とはいえ新卒としては平均年収程度。
年功序列がきっちり存在していて、社長は創業者一族のため、頑張っても20年後に課長になるのが精一杯。
「役職がつくまでエレベーターに乗っていはいけない」という老舗企業ならではのお固い社風でした。
医療業界という不況にも強い業界だったため退職が少なく、適正次第では良い会社なのでしょう。老舗企業であれば間違いない、と私も疑いを持ちませんでした。
名前は基本的に呼び捨て。育児休暇もなく年功序列。
ブラック度は20点/100点。
この会社では老舗企業ならではの根回しの方法や医者など社会的地位の高い方々との接しかたを学ぶことができました。
しかしながら3年もたず退社。知人の紹介でお固い会社とは真逆のベンチャー企業へ転職しました。
2社目 ITベンチャー企業 ブラック度50/100
お固い老舗の製薬会社からか派手な職種に憧れがあり、六本木にオフィスを構える創業半年のITベンチャー企業に参画。社員は3名しかおらず年収はなんと180万でした。
社長からは「上場したらストックオプション(自社株を購入できる権利)を上げるから」と約束されていたので、4畳半の家に住み、ランチも会社で自炊してしのぎます。
勤務時間は23時が平均。土日の出勤もありました。
しかし入社後に嘘をつかれたわけでもなく、私も夢を持って入社したこともあり納得済み、ブラック度は50点/100点とします。
ちなみに後々、本当に上場することができて一時の夢を見ることができました。このベンチャーでの経験は本当に役に立ちました。
夢は簡単には叶わない、と覚悟を決めて泥水をすすり、地獄を見てきた社長が報われていたところを見て私も嬉しくなったことを覚えています。
ところが激務に疲れたことと、会社上場の一区切りに燃え尽きてしまい、次の仕事も決めずに退職してしまいました。
半年ほど無職になり失業保険を受給しながら将来について考え始めます。
次の仕事では必要以上にお固くもなく、ベンチャーほど不安定でもなく、一生勤められる仕事にしよう。
だったら人と関わることもスキなので人材の企業に転職しよう、と思いました。「スキなことを仕事にする」ことに迷いもなく、むしろ正しいことだと思ったのです。
3社目 人材企業 ブラック度70/100
そして無職期間も半年過ぎたころ、焦ってとんでもない会社に入ってしまいます。
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