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[1分小説]深海魚

「おい、深海魚ー。」
 
 ヒロトは、クラスメイトに後ろからそう呼ばれて、「またか」と思った。

「なんだよ、お前らだるいって。」
 
 そう答えると、クラスメイトは爆笑していた。
 
 最近クラス替えがあった。もともと仲のいい友達も何人かいて、そこそこ楽しい。だけど、最近は容姿へのいじりが増えてたきたように思う。まあ、別にいいんだけど、そこまで気にしてないし、周りが笑ってると、なんだか悪い気はしない。でも、時々、なんだか胸がゾワゾワする。僕はクラスの生活委員になった。生活委員の仕事は、毎朝クラスにプリントを配ったり、あとは整列時に指示を出したりすることだ。僕は身長が低いが、生活委員だと、背の順の一番後ろに並べるので、自分の役職をとても気に入っている。
 
 その日も、いつも通り少し朝早く登校して、職員室の前にある棚から、配布物を手に取った。そして、教室に行って、みんなが登校してくるのを待った。しばらく待っていると、すぐにクラスメイトがぞろぞろと教室に入ってきた。そして、みんなが揃ったタイミングで、先生が入ってきて、朝の会を始めた。その日の連絡事項を手短に話し、先生はすぐに教室を去っていった。先生が去っていったタイミングで、僕は立ち上がり、配布物を列ごとの先頭の人に配り始めた。すると、クラスメイトの多くは、

「ヒロト頼んだわー、机の上置いといてー」

と言って、僕が配布物を渡す前に、廊下に出て行ってしまった。僕はニヤニヤしながら、

「お前らだるいってー」

と言いながら、一人一人の机に自分で配布物を配った。ようやく、全員分を配り終わったと思い、余りを戻しに行こうと思ったら。後ろから、強めの口調で誰かに、「ねえ」と言われた。

 僕が振り向くと、クラスメイトの池田雛子がムスッとした顔で立って、こちらに手を差し伸べていた。

「ねえ、私の分ないんだけど」

 池田は、少しイライラしている様子だった。

「あ、ごめん、気づかなかったわ」

僕はそう言って、余っていた配布物を渡した。僕は内心、「そんなに強く言わなくても」と少し腹が立ったが、授業が始まるとそんな思いは忘れてしまった。
 
 一時間目の授業は、数学だった。先生が、図形を黒板に書いてるのをぼんやり眺めながら、ふと、視線を落とすと、斜め前に座っているクラスメイトの女の子の後ろ姿に目が止まった。ショートカットの黒髪が、朝の陽光に照らされて輝いていた。僕は、無性に彼女の後ろ姿に目を奪われた。しかし、よく見ていると、彼女が池田であることに気づいた。

(池田、ショートカット似合ってんな)

ヒロトはそんなことを考えながら、池田のことをぼんやり見つめていた。
 
 それからというもの、僕はなんとなく、池田を意識するようになった。授業中や休み時間、掃除の時間などに、何度か話しかけようと試みたが、何かが僕を引き止めた。それが、何かは僕には分からなかったが、少なくとも、私の内面に存在するなにかであると感じていた。
 
 2ヶ月ほどすると、席替えの時期になった。放課後、学級委員の、池田と学年一のイケメンである石橋蓮が教卓の前に立った。

「今から、学級委員で決めた席に移動してもらいます」

 石橋はそう言って、黒板に全員の新しい席を書いた紙を貼りつけた。僕は自分の席を確認して、移動した。すると、隣には池田が座っていた。

「おお、田中じゃん、よろしく」

 池田は笑顔でそう言った。僕はつい目をそらしてしまった。そして、小さな声で「よろしく」とつぶやいた。しかし、その後は、隣に座っていてもほとんど会話はしなかった。正直、話しかけるチャンスはいくらでもあったが、話すことはなかった。
 
 しかし、そのときは突然訪れた。ある掃除当番の日、僕が雑巾で蛇口を吹いていると、隣にいた池田に水滴がかかってしまった。僕が、「あ、ごめん」と言うと、彼女は「大丈夫」と言って、引き続き、蛇口を拭いていた。今日の池田は、ショートカットの髪を、ゴムで結んでいた。いつもと違う髪型に僕はしばらく見とれた。
 
 その日の放課後、僕はあるアイディアを思い付いた。それは、今日の掃除当番の時に水滴をかけてしまったことについて、ちゃんと謝りたいという体で、池田にラインを送ることである。謝った後も、ラインで彼女とやり取りを継続的に行えれば、距離が今よりもうんと近づくと考えたのである。僕は、すでにラインを持っていた、クラスの女友達である宮田ほのかに、池田に掃除当番でのことについて謝りたいから、池田のラインが欲しいと頼んだ。宮田は察しがいいから、僕の目的がなんとなく分かったようで、池田のラインアカウントとともに、『がんばりな』というメッセージが送られてきた。僕が宮田に、池田は何か言っていたかと聞くと、『めっちゃいい人だねって言ってたよ』と返ってきた。僕は、わずかにだが自信が湧いてきた。僕は、その日のうちにさっそくメッセージを送った。

『今日の掃除のときのことなんだけど、マジでごめん、俺の不注意で迷惑かけた』

 僕はメッセージを送った後、インスタを開いて、ストーリーを眺めていた。すると、意外にもすぐに返信が来た。

『全然気にしてないよ笑』
『ほんと? ならよかった笑 ちなみになんだけどさ―』

 その調子で、僕と池田は一時間ほどメッセージのやり取りをした。くだらない内容だったが、盛り上がったからうれしかった。意外だったのは、メッセージのやりとりがその後1週間くらい続いたことだった。ただ、時が経つにつれて、やり取りの頻度は減っていった。そして、オンラインで会話することがあっても、対面で話すことは相変わらずほとんどなかった。

 ある日、クラスメイトの塚本がにやにやしながら話しかけてきた。塚本は、石橋と池田がいい感じらしいという話をしてきた。どうやら、二人は、何度かデートにも行っているそうだ。僕は無表情でその話を聞いて、『へーそうなんだ』と乾いた返事をした。その日の夜、僕は、池田にいつも通りの時間にラインを送った。

『気になったんだけどさ、池田っていつもどうやって勉強してるの? 俺成績悪いから参考にしたい笑』

 いつも通り、池田の返信は早かった。

『え、別に大したことしてないよ笑』
『え、でもさ、池田テストの点とかめっちゃ高くない? まじ尊敬してるんだけど笑』
『そんなことないよ笑』

 その日は、あまり会話が弾まず、僕は早めに切り上げるしかなかった。僕はベッドに横になって、ある一つのアイディアについて考え込んだ。しばらくして、僕はあることを決意し、目を瞑った。
 
 次の日の放課後、僕は、校門の前で池田に告白した。なんと言ったかは自分でも覚えていない。僕の後ろに、にやにやしている塚本が立っていたことは覚えている。池田の返事は、非常に端的だった。

「うーん、きつい」

と一言だけ。

 気がついたら、僕は、家のベッドで横になっていた。窓の外は大雨だった。雨水のゴーという音があたりに響き渡っていた。その日、僕が心の中で信じていた何かが崩れ去ったという感覚があった。そして、すべてがどうでもよくなった。

「深海魚ねえ―」

僕はそうつぶやいて、静かに目を瞑った。

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