Salesforceを卒業し、独立します。
このnoteについて
2023年2月28日を最終出社とし、約7年間お世話になったSalesforceを卒業、独立するに至りました。
この機会にこれまでを振り返り、今後の決意を言語化し、多くの皆さまと繋がっていくことを目的に書いています。
これまでnoteは見る専門で、書くのは初めてです。
拙い文章ですが、お付き合いいただけると嬉しいです。
自己紹介
改めて、玉置博記(たまおきひろき)と申します。
こんな感じの人間です。
2010年楽天株式会社へ新卒入社。
2016年5月に株式会社セールスフォース・ドットコムへ転職。
2023年1月に株式会社Legacy'll(レガシル)を創業しました。
これまでの2社のキャリアを振り返り、独立に至った経緯を記載していきます。
キャリア振り返り① 楽天時代
だいぶ思い出が濃いので、ここでは3つに分けて振り返ってみます。
■1年目 (2010年)
2010年に楽天株式会社へ新卒で入社しました。同期は400名。男女関係なくギラついているメンバーが多かったです(笑)。
大学時代にリクルートの派遣部門で契約社員として足掛け3年ほど営業をやらせてもらいました。なので就活時は「絶対リクルートに行くんだ!」と意気込んでいたものの、リーマンショックの煽り(という名の実力不足)を受け、あえなく撃沈。元リクの人が多く雰囲気も似ていると言われ受けた楽天にご縁をいただき入社します。
最初の衝撃は入社式でした。
「来年から社内公用語を英語にします」
「んん、えっ?」
入る会社間違えたな…と絶望感に浸ったのを今でも覚えています。
入社1ヶ月目は当時恒例だった楽天カード獲得営業(今は楽天モバイルですね)をひたすらやりました。嬉しいのは、当時加入してくれた友達がいまだに使ってるよ!と言ってくれることですね。友達なくす、とか言われますけど、それは違うかなと個人的に思います。ビジネスは繋がりこそ大切、ということを最初に教えてもらった研修でした。
約200名の方に加入いただき、確か全体20位くらいでした。Topは700枚オーバーでオバケでした。とんでもないやついるな…と奮い立ったのを覚えています。
その後、楽天市場事業へ配属され、さらに1ヶ月くらい研修。終盤に実施されたリンモチさん主催の1泊2日の激アツ研修(いろいろ凄まじかった!)を経て、店舗開発部へ配属となりました。
店舗開発部は楽天市場への新規出店店舗を獲得する営業部隊です。楽天創業時のストーリーで三木谷さんも電話をかけまくって、汗だく・ボロボロスーツで地方を駆けずり回って営業していたという有名な話もあります。
同期の配属は40名。
「ここでは絶対に1位にやってやる!」
と意気込むも、現場配属のための目標がなかなか達成出来ず、もがき苦しみました。
ようやく配属されたものの、やはり思うように結果が出ず、なかなかにハードな女性マネージャーの元(Hさん、むちゃくちゃ感謝しています)、1日100件以上の電話と、20時以降のロープレを繰り返して半年くらいが過ぎました。
不器用な性格が仇となり、ロクな結果も出せず、そろそろ1年目も終わりを迎えようとしていたタイミングで「3・11」が起こります。当時はオフィスの20階にいたので、ありえないくらい揺れました。ジェットコースターに乗っているかと思うくらい左右に振られて、窓から見える千葉の海岸沿いの工場から火が上がっているのが見えて恐怖に怯えました。
その後1ヶ月ほど自宅勤務が続き、当時部署がなかった大阪支社の立ち上げメンバーとして異動を命じられます。来週から行ってこい!と言われ、めちゃくちゃやん…と思いつつも、この異動が人生の転機となりました。
■2年目〜4年目 (2011~2013年前半)
大阪支社は本社とは全く違う雰囲気で、出社初日に執務室のドアを開けた瞬間の凍てついた空気に「ヤバいとこ来たな…」と思いました。僕たちは電話をかけまくる部隊ですが、既に部署があったECC(出店店舗さんをサポートする部隊)は電話もかけずにシンとしている。ここでは語れない様々な恐怖シーンも段々慣れていきました(配属後1年くらいで良い空気にガラッと変わりました)。
そんな中で、関西のモノをはっきり言う文化に圧倒されました。自分の至らなさでたくさんクレームもいただきました。配属後3ヶ月くらいは血を吐くような思いで駆けずり周り、ようやく入社後初めて月間目標達成をします。
毎日深夜まで働いていましたが、同じタイミングで大阪異動となった同期が10名ほどいたことも心の支えになり、1時くらいまで仕事→3時まで飲み→8時半出社という生活リズムが心地よくなっていきました(笑)。
そこから関西の企業様と馬があったのか、これまた当時のハード女性マネージャーと馬があったのか(Tさん、むちゃくちゃ感謝しています)、徐々に目標達成もできるようになり、ユニットリーダーという3~4名のチームをマネジメントする立場になりました。これが2年目の終わりの頃です。
3年目は見よう見まねでマネジメントをしながら、高い個人目標も追いかけていました。当時のメンバーの皆さんにはだいぶ苦しい思いをさせてしまったな…と反省しています。「何で自分ができるのにできないんだ!」と思って、上から豪速球を投げ込む最悪な上司でした。
その年といえば、何より楽天イーグルスの日本一ですね。楽天市場の売上も右肩上がりで、もうむちゃくちゃ盛り上がりました(私は巨人ファンなので心境複雑でしたが…)。
直後に社内でいろいろな問題も起こりました(詳細は楽天関連の書籍で言及されているので省略します)が、勢いある雰囲気の中に身を置けたことは幸運でした。
おかげさまである程度の結果も残すことでき、組織も成熟してきた4年目の5月に東京へ異動が言い渡され、約3年ぶりに戻ることになりました。
■5年目〜ラスト (2013後半~2016年4月)
入社1年目に過ごした東京本社の雰囲気とはだいぶ変わっていました。なんか全体的に沈んでいる…。「なるほど、俺はこの立て直しのために呼ばれたんだな」と勝手に解釈し、大阪時代のノリのまま豪速球を投げ込んでいたら、完全に部外者扱いでした。
そんな中、同期で上司のMくんがうまく立ち回ってくれたおかげで、何とかチームの調和が取れました。彼が終電で帰ろうとしていると「お、早帰り?」とお決まりのコミュニケーションも懐かしいです。
新卒秋入社の後輩Kくんをはじめ、男臭い最高のチームメンバーに恵まれ、チームに加わって3ヶ月目にチームとして約2年ぶりの月間達成を成し遂げることができました(祝勝会を何度もやりすぎて、翌月は50%以下の達成率だったのは今や良いネタです)。
新卒研修のリーダーやECCとの連携施策など、さまざま経験させてもらっていましたが、2015年10月に千葉支社へ異動となりました。
ちょうどオフィスが品川シーサイドから二子玉川に移動するタイミングで、クリムゾンハウスでの勤務は奇跡の「1週間」でした。おそらく最短で異動になった自負があります。
当時は田園都市沿線に住んでいたので、毎日クリムゾンハウスを通過し、千葉駅まで片道1時間半かけて通うという、フィジカル的には辛い勤務でしたが、、
初めて小さなチームを担当させてもらい、千葉県をどうしたら盛り上げていけるか?を部署横断で考えて施策を実行できたことが、とても良い経験になりました。
■転職のキッカケ
2015年の終わりに、これまで自分が獲得してきた店舗さん一覧をSalesforceで引っ張ってみたところ、結構な率で退店されている事実に驚愕しました。
前述したECCに出店後はサポートを一任する訳ですが、店舗運営は私たち営業が想像している以上にハードです。楽天市場内に約4万店(当時)も犇く中で、自分たちを見つけてもらうことも難しいですし、お客様に買ってもらうメリットを訴求することも、初めてEC運営する店舗さんにとっては大変です。
ましてや、地方の中小企業さんがほとんどで、退店理由の多くが「人手不足で店舗運営がままならない」というものでした。
「せっかく素晴らしい商品を持っているのに、社内リソースが足りなくて満足に運営できないのはもったいない…」
そんな思いが募っていた中で、入社以来ずっと使っているSalesforceに入社した後輩に話を聞く機会がありました。
「Salesforceを使えば、すべての営業組織を変えられますよ!」
そんな彼のアツい話を聞いて、確かに自分もSalesforceをフル活用したことで、成果を上げてきたな、と気づきました。ことあるごとに「Salesforceをこう使えば成果を残せる」とチームメンバーにも伝えていました。
彼に繋いでもらい、「より多くの企業にSalesforceを使ってもらうことで組織を強くしたい」という想いを持ち、Salesforceへの転職を決意します。
キャリア振り返り② Salesforce時代
ここも大きく2つに分けて振り返ってみます。
■東京時代 (SDR・BDR)
外資系企業ってドライなのかな。
やっぱりクビ切りとか普通にあるのかな。
上司も絶対冷たいよな。。
そんな想像を全てかき消すくらい、素晴らしいカルチャー(何よりオフィスが良い匂いすぎる)にまず面食らいました。
「Customer Success」が根付いた社内のチームワークには驚きの連続で、初めてシステムを売る立場になって分からないことだらけでしたが、丁寧に教えてくれた最初の上司であるSさん、トレーニング担当のSさん(ISなら知らない人はいないレジェンド)には頭が上がりません。良い意味でボコボコにしてもらって、本当に感謝しています。
インサイドセールスとしてキャリアをスタートしましたが、前職時代と比べると日々のコール件数は半分以下。Salesforceの使い方もある程度慣れていたので、ストレスなく業務に打ち込めました。
タイミングにも恵まれ、最短記録(当時)での昇進を果たすことができ、同じインサイドセールスでも役割が少し違う「BDR」として8ヶ月稼働した後に、AE(外勤営業)として大阪へ異動することになりました。
■大阪時代 (AE・SDR/BDRマネージャー)
正直大きな挫折もなくインサイドセールス時代を過ごしたことが完全に裏目に出ました。
全く売れない…
「本当にお客様の業務にインパクトする提案になっているのか?」
今考えられば当たり前のことですが、当時は全くできていなかったです。いわゆる「製品営業」に成り下がっていました。
当時の上司であるKさんには手取り足取り教えていただき、関西トップのUさんには直々のトレーニングもしてもらい(これがきつかった)、1年かけてようやく営業と呼べるくらいになりました。
AE2年目はまさかの担当テリトリーが四国…。
当時の上司Oさんには「私を達成させたくないってことですよね?」と悪態ついていたのがとても恥ずかしいですが(笑)、いざお客様と会話すると関西とはまた違った考え方・文化があって楽しむことができました。
週3-4日はホテル暮らしで、高知→香川に移動する際に高速でスピード違反で捕まったのも良い思い出です(SEのAさん、本当にすいませんでした…)。
四国は半年間のみの担当でしたが、ローカルキングな企業様も担当させてもらい、苦労しながらも成果に繋がったことが少しずつ自信になっていきました。
「よし、AE3年目はもっとやったるぞ!」と意気込んでいたタイミングで、IS時代にお世話になったIさん・Sさんから「大阪のインサイドを立て直してくれないか?」とまさかのお声がけをいただきました。
かなり迷いましたが、「せっかくのご縁に逆らうべきではないのでは?むしろ自分がやってきたことを少しでも恩返しできて、自分一人でやるよりもお客様の成功・組織の拡大に貢献できるのでは?」と考え、マネージャーとして着任することになります。
ただ待ち受けていたのが、、まさかの「コロナ」でした。
フルリモートマネジメントを余儀なくされ、悪戦苦闘の日々。
試行錯誤を重ね、これまで「あうん」で行っていたものを形式知し、メンバーがどうやったら動くか?を考えました。
SDRを1年、BDRを2年見させてもらいましたが、自分が経験したインサイドセールス時代とは市場環境や市況が全く違います。自分のやり方を押しつけるのではなく、お客様にどうなってもらうことが良いかを常に考えよう!とコミュニケーションできたのは、楽天時代の学びが活きたかなと(笑)。その経験を語ったセミナーも実施させてもらいました。
チームメンバーも当初は6-7名ほどでしたが、多い時は15名以上の所帯となり、優秀で好奇心旺盛なメンバーから学ばせてもらうことばかりでした。自分が20代の時に彼ら彼女らには到底叶わないな…と思います。
関西支社としても、着任時は30名ほどの小さな組織でしたが、卒業時は250名以上に拡大し、日本でも有数の成長組織の中に身を置けたのは本当に幸運でした。
また関西地域との密接な関わりを築くために、テレビ出演の企画や、大学さんとの連携授業を実施できたことも、マネージャーという道を選んだからこそだと思います。
関西をいかに盛り上げられるか?という広い視点から、社内外の様々な関係者の皆さんとご一緒できたことが自分の仕事の幅や見識を広げることに繋がり、これからの人生の財産となりました。
■起業のキッカケ
だいぶ長くなってしまいましたが、ようやく本題です。
結論から記載すると、以下2点です。
1点目については、2022年に入ってから相談を受けることが多くなりました。Salesforceでどのように行っているか?をプレゼンはしていましたが、じゃあ自分たち(=お客様)の組織に置き換えた時にどうしたらよいの?何を手伝ってくれるの?に対してまで、ガッツリ入り込めないことにもどかしさも感じていました。
自分がSalesforceで学んだことをベースに、多くのお客様に入り込むことができれば、もっと貢献できるのではないか?
その文脈で、2点目のSalesforce活用についても促進できるし、AEがなかなか手が届かない部分まで自分が入り込めれば、Win-Win(お客様-Salesforce)をもっと築けるでは?と思い始めました。
同時に昨今、国産の優秀なCRM/SFAツールも多くリリースされ「打倒Salesforce!」で向かってきていることも、この想いに拍車をかけました。
Salesforceへの入社当時の想いである「より多くの企業にSalesforceを使ってもらうことで組織を強くしたい」を実現するためには、外からご支援することの方が自分のValueを発揮できるのでは?と考えました。
ただすぐに決断できたわけもなく、半年ほど悩みに悩みました。
最終的には「30代後半をこのまま過ごして良いのか?お客様の現場に降りて、もっとチャレンジすべきでは?」という想いが自分を突き動かしました。
これからについて
2023年1月に「株式会社Legacy'll」(レガシルと読みます)という法人を立ち上げました。
社名の由来は「意志の力(Will)で選択肢を増やし、自分が生きてきた証を後世に遺していく(Legacy)」この英語2つをくっつけました。これが会社のコアバリューです。
人生とは「未来に遺す何かを作るゲーム」と尊敬する書評家・土井英司さんに教わりました。これを体現すべく、これまでお世話になってきた「インサイドセールス」領域でチャレンジをしていきます。
HubSpotさんの直近調査ではインサイドセールス導入率は全体の42%もあるそうなので、何かしらのお悩みをお持ちの企業様は多いはずです。
いわゆる「営業コンサル」の領域ですが、私も現場に入って共にインサイドセールスメンバーとして架電も行うつもりです。
企業の皆さんと現場で一緒に汗を流して、GOALを達成できるようにご支援に入らせていただきます。
また、インサイドセールスは女性にとってもキャリアの幅を広げることができる職種だと思っています。産休明けの外勤営業ポジションはキツいけど、インサイドセールスとして在宅勤務しながら営業ができる!となれば、企業側にもメリットは大きいはずです。
Salesforceでは社会貢献の一環でボランティア活動を推奨しています。
直近3年間は社内の「社会貢献委員会」に所属し、「子どもの貧困」問題にも携わらせてもらいました。
※下部にある「ボランティアストーリー」の3番目に名前を載せてもらっています。
SDGsでも1番目に掲げられている「貧困をなくそう」、日本国内では特に子どもの貧困問題が根深いことを、この活動をキッカケに知りました。
子どもがいる身としては見過ごせないこの問題を、インサイドセールス起点でも解決に導けないか、少しずつチャレンジしていきたいと考えています。
最後に
今回のチャレンジを全面的に支援いただいたSalesforceの皆さま
関西を共に盛り上げていくにあたり、知見をいただいた皆さま
独立にあたり相談に乗っていただいた楽天の先輩・同僚の皆さま
数えきれないくらいの方々に支えられているんだな、と決断してから日々実感しています。いただきすぎたご恩を返せるか分からないですが、私なりに精一杯やっていきます。本当にありがとうございます。
そして何より、今回の決断を疑うことなく背中を押してくれた妻には感謝してもしきれません。結婚して8年半、幸せな日々を過ごせているのはいつも支えてくれているおかげです。自分のわがままに付き合わせてしまいますが、3人の子どもたちのためにも頑張っていきます。
最後に、2019年9月に楽天時代の親しかった同期ががんで亡くなりました。
あれ以来、「死」というものが本当に身近にあるんだ、と思わされています。
辛い出来事が続く世の中で、特にこれからの日本を支えていく若手や子どもたちが希望に満ちて活き活きした世の中を作りたい、そんな壮大な想いも胸に秘めながら、事業をしていきたいと思います。
今後どんな困難が待っているか分かりませんが「自分の選択が間違っていたかどうかと悩むのではなく、自分の選択を正解にする」を常に言い聞かせて、お客様と向き合っていきます。
ご連絡はこちらまで
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最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!!