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つんでるシネマログ#4 人生映画 ロッキー シリーズ振り返り

原題:Rocky/RockyⅡ/ RockyⅢ/ RockyⅣ/ RockyⅤ
1976/1979/1982/1985/1990/アメリカ  
上映時間119分/119分/99分/91分/105分
監督:ジョン・G・アヴィルドセン(1作目と5作目)/シルヴェスター・スタローン(2〜4作目)
出演者:シルヴェスター・スタローン タリア・シャイア バージェス・メレディス カール・ウェザース

ロッキーは人生の映画

 超有名な『ロッキー』シリーズ。ボクシングの映画として、観たことがない人でも存在自体は何となく認知されているのではないでしょうか?生卵を飲む、階段を駆け上がって両腕を振り上げる姿、エイドリアン!と叫ぶシーンなどは映画を観てはなくとも有名なシーンとしてどこかで見た方も少なくないと思います。
特に一作目の傑作具合には素晴らしい物があります。

 シルヴェスター・スタローン本人が脚本を3日で書き上げ、売り込み、主役が自分意外の場合はこの映画は撮らせないと言い張り、勝ち取った予算でこの映画を作り上げ、一躍スターとなった、まさにアメリカンドリームの体現といった一作目。そこから続くこのシリーズ。ロッキーはスタローン本人の写し鏡でも有ります。後もスタローンが脚本を書き、監督も務める一大シリーズです。

 ボクシングの映画としてイメージを持っている方が多いかと思います(もちろんそうです)、けどこの映画を個人的に例えるならば「人生」の映画と言いたいです。それがロッキーです。

 シリーズの度に、生活のあれやこれやの葛藤があり、それを乗り越えていく話で、個人的にはボクシングよりも、登場人物達のドラマにこそ、「うま味」のあるシリーズだと感じます。もちろんそんなドラマがあるからボクシングが盛り上がります。ドラマあってのボクシング、ボクシングあってのドラマ。

人生というリフレイン

 基本的に映画内で起こる事件の違いはありますが、人生に迷い、葛藤し、それを振り払い、そして最後はボクシングでも勝つ(試合には負けることもあります)。これが全シリーズの共通点です。毎回がこの繰り返しです。これは後に作られた『ロッキー ザ・ファイナル』と『クリード』二作品(これも秀作です!)も同じです。

 世界チャンプとなるロッキーというある種の才人の物語ですが、訪れる問題は我々と変わりません、人間関係、結婚、出産、親(的存在)の死、友人(先駆者)の死、引退、家族関係、ミドルエイジクライシスなど、ごく普通で、誰にでもあり得る問題が描かれます。そしてロッキーは我々と同じく、時には不安に飲み込まれ、時にはおごり、失敗し、深い後悔に苛まれます。唯一突出した点があるのなら、不屈の精神力ですが、それも周りの人物がいるからこそ奮い立つ事も多く、極めて人間的な主人公の、人間的な物語が展開されていきます。

 人生は何かで落ち込み、這い上がるこの繰り返しと言えるでしょう。愚直なまでにそれを描いた映画群が『ロッキー』シリーズなのです。

 第一作目『ロッキー』の冒頭で最初に映るものはキリストの絵です。そこに書かれていた言葉が全てを意味しています「Resurrection」、意味は「復活」です。何度も復活する物語、何度も繰り返す人の様が『ロッキー』シリーズの本質だと言えるのではないでしょうか。

 全作品なんとなく振り返ってみたいと思います。映画自体の出来不出来はあるかもしれませんが、どれも大好きな映画達です。あとボクシングのリアルさとかについては門外漢なので、僕は全く気にしていません、お断りしておきます。

↓以降ロッキー1〜5までのネタバレを含みます。

復活の物語『ロッキー』

 ロッキーを通した、全ての人の復活のドラマ。第一作目、ロッキーは上記しましたが復活の物語です。当時、ベトナム戦争、ウォーターゲート事件などでどん底だったアメリカ国民の心に突き刺さったワンス・アゲインの物語。誰が観ても奮い立つような映画です。

 ロッキー含め全ての登場人物がどん底で、フィラデルフィアの街もどん底にあります。ですがロッキーは一人で夢を叶えて行くのではなく、恋人のエイドリアンや、その兄のポーリー、トレーナーとなるミッキー達、「みんなと」この勝負に挑んでいきます。

 そして重要なのは試合の勝ち負けがこの映画の終着点ではないと言う事です。ロッキーは自分がゴロツキで無いことを証明すると何度も言います。そして自分の信念を貫いて最後まで戦い抜く事を目的としています。ちなみ「信念」は英語で「creed」。本作の対戦相手は「アポロ・クリード」とのダブルミーニングです。そこでロッキーはこう言います「最後までクリードとリングに立っていられたら…ゴロツキじゃないことを証明できる」信念と共にリングに立っていられたら…

 この映画の素晴らしいところはそこです。何度殴られても、倒れても、信念と共に立ち上がる。試合の勝ち負けも、敵も味方もありません。全ての人間達のドラマが最後のボクシングに集約されていきます。傑作です。

 そしてこの映画の人物たちと共にこの映画を見た観客をも奮い立たせます。
ここからお前らもがんばれ、立ち上がれ、復活しろ!
だからロッキーはいつ観ても最高なんです。

人生は続く『ロッキー2』

 前回の直後から始まる「ロッキー2」。

 俳優スタローンと同様にスターダムにのし上がったロッキーを描く今作。前作でどん底だったロッキーたちの生活も軌道に乗り始め、ロッキーとエイドリアン結婚と出産、スターになっての自身のおごり(めちゃくちゃ調子に乗っているロッキーの人間臭さったら無いです)と次々にやってくる人生の荒波。けど、お金はあってもその生き方は次第に虚飾だと言うことが見えてきます。結局どん底にいるロッキーは「ボクシングしかない」と奮い立ちますが、ちょうどエイドリアンが出産のために伏せってしまい、ロッキーは迷います。その為にボクシングを諦めてもいいと決断するロッキーの優しさが滲みますね。ですがエイドリアンに「勝って」と言われてアポロとの再戦に臨んでいきます。

 前作はアヴィルドセン監督の手腕の元、細やかで人の機微を見事に捉えた演出でどのシーンも行間を読む様な大人な魅力がありましたが、今回はスタローンが監督で比較的全編が大味ですが、スポ根と人情劇な要素が増し、足し算の演出が炸裂しています、特にロッキーステップ(この文章の冒頭で書いた、階段を駆け上がる名場面)のシーンは、どこからそんなに子どもが現れたのかと、思わずツッコミたくなるくらいロッキーの後に続いて子どもたちが走ります。前作から大きな飛躍がありますね。でも最高です。多いことは良いことです。

 前作はある意味完璧な映画でしたが、その結末に疑問を投げかけ、ラストシーンの向こう側を見せ、そして物量アップと、非常に正しい続編だと思います。

さらなる成長『ロッキー3』

 前作でアポロに勝利を収め、世界ヘビー級チャンピオンとなったロッキー。まさに2にもまして有名となり、幸せの絶頂を謳歌する彼。まさに人生の春。

 そんなロッキーの前に立ちはだかる新たなる対戦相手はクラバー・ラングはボクシングで成り上がろうとする野獣の様な男で、ロッキーのチャンピオンの座を虎視眈々と狙っています。彼はかつてのロッキーのようなハングリー精神の体現者であり、今、幸せの絶頂にあったロッキーが失った闘志を持った強敵です。そしてロッキーはクラバーとの対戦で大敗を喫します。ですがライバルであったアポロの協力や、エイドリアンの言葉を受け、ハングリー精神を復活させ、新たな強さでクラバーを倒し、雪辱を晴らします。

 この映画の中でロッキーは1と2でライバルであるアポロが通ったような境遇を経験する事となります。調子に乗って一度は負け(ロッキー1でアポロは試合には勝ちましたが勝負には負けました)、そして闘争本能を蘇らせ死闘を演じる(これはまさにロッキー2のアポロと同じです)という具合です。ロッキーの窮地を助けるのは先駆者のアポロ本人です。そんな展開が単純に熱いですが。ボクシングでも、その他のどんな仕事や、趣味でも、そして最初に書きましたが「人生」でも、ある道を行けばその道の中で必ず誰もが通りかかる失敗や、挫折、苦悩が有ると思います。ロッキー3ははそんな場所に差し掛かったロッキーを先達が助けてくれるという話でもあります、そして先達として誰かを導くという要素は後の「ロッキー5」や「クリード」シリーズのテーマとも重なってきますね。

 もうひとつはロッキーのトレーナーである、「ミッキーの死」も語らぬ訳には生きません。ミッキーはいうなれば「親」です。尊敬する存在です。今作でミッキーはある嘘をロッキーについていました。それはタイトル防衛の度に落ち目の選手をマッチングしていたという事です。それはロッキーが長く戦えるように、守るための嘘だったのですがそれがロッキーを深く傷つけます。親と子の立場の違うがゆえに相容れぬ関係が描かれています。そして彼の死、親の死というのは人生においても、物語的にも古今東西大きな意味を持つ出来事です。親と子の見える世界の違いはロッキー5で、もう一度自身の身に降りかかることとなります。

 そしてそれらを乗り越え新たに成長するロッキー。ロッキーの本当の一人立ちはここからだと感じます。

 大枠の流れは同じですが、ロッキー1とロッキー2の出来事を見事に取り入れた続編と言えるでしょう。

失敗と繰り返しの『ロッキー4』

 さてロッキー4作目。それぞれ安定したロッキーやアポロの前に今回はソ連より科学技術で鍛え抜かれたドラゴという冷徹なボクサーが立ちふさがります。

 そして今回触れなければいけないのは。アポロという親友であり、ロッキーを導いた人物の一人でもある男の死でしょう。この時のアポロの死に方は色々と語り草で、何というか盛大に調子に乗ってるんですよね。ロッキー2やロッキー3の時の事はどうなったんだと文句を言いたくなるほどに舞い上がっています。ちょっと違和感を覚えますが、前作で友情を深め、先達としてロッキーを導いた彼の死はドラマチックです。

 とはいえやっぱり本作はかなり問題のある一作に思えます。いままで丁寧に紡いできた人間ドラマはどこにいってしまったのか、ソ連とアメリカの対戦、平和の為の大演説と地に足のついた印象のロッキーシリーズはあきらかに姿を変えています。

 ですが、ロッキー4もやっぱり好きです。ロッキー4は失敗と、まさに人生の繰り返しの物語です。

 正直、アポロだけではなく本作のロッキーはすこし別人なのでは?思うような人物になっていたり、またしても浪費癖のセレブ街道を歩んでいたり(このロッキーの買物下手さ2から変わってないですが)今までの激闘と成長はどうした!と言いたいのですが、この人としてのブレが妙に人間臭いと感じるのです。あれだけの事をしてきたロッキーが、またしても幼稚に失敗をしているというこの事実が、人生の映画としての所以が有るような気がしています。

 もうひとつ、今回の対戦相手ドラゴのことは語っておかねばなりません。彼はソ連の国策で生み出されたボクサーで、薬物投与、最新鋭トレーニングで生み出された存在です。まさにサイボーグという出で立ちで、人間味のなさが不気味な強敵感を醸し出しています。彼は自分を持たない存在ですが終盤のロッキーとの試合の中で次第に人間らしさをむき出しにして、国やプロパガンダを超えて自分の為に戦いだします。ロッキー4で一番好きな部分はこれです。ドラゴはいわば何もなくゴロゴロ暮らしていた一作目のロッキーの様な存在でもあるのです。もちろんアメリカのボンクラとソ連の国策ボクサーとでは状況は違いますが、自分を持たずに生きているという点では二人は重なり合います。そんなドラゴが試合の最中に目覚め、結果試合にはドラゴは負けるのですが自分を勝ち取るわけです、彼は奇しくも「ロッキー」と同じような存在として覚醒を果たしていると思うと、感動です。
(そんなドラゴがその後ロッキーと同じでは居られなかったということで苦渋を飲まされるのですがそれはクリード2で語られるんですが)

人生というリング『ロッキー5』

 黒歴史的にスタローン本人からも葬られている感じのある5作目ですが、個人的にはこれも私は嫌いになれない一作です。

 栄華を極めたロッキーですが、色々あってまた貧乏な暮らしに転落してしまいます。お金を持っているとろくなことにならないのが、ロッキーの魅力でもあるとお思います。原点回帰と(当時は)シリーズのフィナーレを飾ろうとしていたので
、貧乏に戻り、かつての下町に戻ってくるのは一作目から見て必然がある気がします。

 肝心のボクシングでは度重なる激戦でリングに立つのは危険な状態になっているロッキー。そこで彼は自分の弟子となる存在の育成にやっきになっていくのです。
ここで感動をさそうのは自分の師であり父でもあるようなミッキーのような存在へ踏み込んでいくということです。ミッキーも回想で登場します。

 けどおもしろいのはここからで、ロッキーの弟子となる若者トミー・ガンは着実に強くなっていくのですが、師弟物としての熱い展開には映画は行きません。

 ロッキーはトミーに入れ込み、息子ジュニアとの関係をおろそかにしてしまい家庭事情にも暗雲が立ち込めます。同時にトミー・ガンにロッキーの精神は受け継がれず、野心だけで目立ちたがりの若者である彼は、悪徳プロモーターにそそのかされ、ロッキーを裏切っていきます。

 ロッキーはトミー・ガンに自分を重ねています。エイドリアンからもグサリと刺されますが、トミーが勝ち上がることで、自分がボクシングで勝っているとロッキーも感じているのです。自分の息子・ジュニアにもお前の成長が自分の事のように嬉しいとロッキーは語っていますが、それとトミーの成長を嬉しく思うことは実は少し違っています。自分の快楽の為にトミーを育てるのと、ジュニアの為を思って育っていく事を嬉しく思う事は似ていますが、違うことです。

 そんなロッキーの失敗の極めつけは、トミーの世界タイトルマッチを(この時のトミーはロッキーの手を離れているため)テレビで観戦している際に、トミーとロッキーを重ねるように何度も交互に映し出されるシーンです。トミーがパンチを打つと、ロッキーもサンドバックに興奮してパンチを打ちます。ロッキーがどれだけトミーに自分を重ねていたかが分かるシーンです。打ち込む度にちょっと引いているポーリーやエイドリアンがすこし笑えます。

 トミーはそうしてその試合を制してチャンプとなるのですが、ロッキーではなく悪徳プロモーターに感謝を述べます。ロッキーはそれを観て強く落胆します。そして自分の為だけに弟子を育てる行いの虚しさに気づいたのではないかと思います。

 そして終盤、世間の評価がついてこず、ロッキーの影からの脱却を狙うトミーからロッキーは試合を申し込まれますがロッキーはそれを拒否、酒場で言い争いとなりポーリーを殴られたロッキーは激昂。ロッキーとトミーはまさかの路上ゲンカでぶつかり合います。ここがかなり物議を醸した部分ですね。
リングの上ではなくストリートファイトでトミーと悪徳プロモーターをボコボコにしてしまうのです。おそらく明らかに観客が求めた試合で何かを勝ち取るロッキーの姿とは違うものがあり、これは確かに小首をかしげたくなりますが、
ですがロッキーは言います「ここがリングだ!」この言葉に全てが集約されている気がしてなりません。家族を持ち、息子を持ち、自分はボクシングを引退し、新たな道を行く、ボクシングでの戦いは終わりかもしれないが人生という戦いは続く。そんな力強さが感動を誘います。

 補足ですが、ここでちゃんと試合をしていれば、ここまで世間の不評を得ずに、それなりの作品になったのではないだろうか?とは思わないことも有りませんが、試合は絶対にしてはならないというこの映画の筋は通っています。なぜならこの本作の最大の悪は人の人生を食い物にする悪徳プロモーターのデュークだからです。試合をしてしまったら潤うのは勝っても負けても仕掛け人のデュークなのです。そんな悪を最後にはぶん殴るのですからは痛快と言わざるをえません。

まだまだ続くロッキー

 まだロッキーには続きがありますが、一旦ここで区切ます。後のシリーズはこれらのシリーズを観て居なくても全然いい作品ではありますが、網羅してから見ると一塩です。例えばですが世間的に失敗作とされるロッキー5の弟子の育成に失敗した事を踏まえて『クリード』を見るとより感動出来ると思っています。

 最初にも書きましたがロッキーは人生というリフレインの映画です。月並みですが人生は繰り返すものだと私は思います。ときに韻を踏んだり、踏み外したりしながら進むのが人生だと思うと、このシリーズごとに言動の辻褄が合わなかったり、退行しているような、ゴツゴツしたロッキーの物語は、折に触れて繰り返し見直して感動出来るものだと感じます。

 一度何かを成し遂げたら、ずっと正しくいなければいけないという、世の中の見方もあるかもしれませんが、ロッキーは違います、なんども失敗したり、傲りますが、何度も立ち直ります。

 ということで一作目に少し戻りまして、「信念とともに立っていられたら」と言ったロッキーの事を思い出します。そしてロッキ−5で「ここがリングだ!」と路上での喧嘩をしたことを思い出します。そして以降もロッキーのドラマは続きます。それは彼が人生というリングで立ち続けているという証左です。

 










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