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夫の発達障害【日常の困りごと⑦暴言暴力(2)】

1度目の暴力のあと、私が彼を以前のように信頼することは難しかった。
ああ、この人は理性が飛ぶ人だ、と知る前に戻ることはできない。

それでも、してほしいことを伝えれば、文句を言わずにしてくれる。
私が仕事で1日いないときは、娘のために自分の仕事を調整してくれる。

彼のそういうところが、歪ながらも何とか3人でいることを継続させた。
とはいえ、現在はほとんど別居状態にある。
一緒にご飯を食べるのは週に1度彼が休みの日だけだし、彼は普段別の所に寝泊まりしている。

「日付を跨いでの帰宅になりがちな仕事柄、妻子の眠りを妨げないように」
というのが表向きの理由。

私たちは現在、ほとんど会話をしない。
もめないためには、今のところこれが最良だと思っている。

そして、こうなったのは、前回の記事の後も暴力があったからに他ならない。

けれど実は、私はその1件についてはよかったと思っている。
なぜなら、
はじめて、夫をちゃんと「障害をもつ人」だと受け止めることができたからだ。

その日は、ほんとうにちょっとしたことがきっかけだった。
仕事が佳境に入っている時期で、夫はもともとイライラしていた。
その夫の方から、勤務中の緊急連絡方法に関して話を切り出してきた。
少し前に私が携帯を鳴らしたことがあって、それをやめてくれということらしい。

ところが彼の話はいつも主語がなく、私には一度で理解できないことが多い。
それでその日もいつものように、
「それって、○○ってこと?」
と聞き直した。
すると彼は、途端に怒りを爆発させ、足元にあった娘の木馬を蹴り飛ばしたのだった。

はじまった、と思った私は、
たまたま少し距離を取った場所にいたので、すかさずスマホを引き寄せて動画を撮り始めた。

カメラを構えるとほんの少しだけ口調がおさまるのは、やっぱり「悪いことをしている」という認識があるからだろう。
それでも、彼はどんどん白熱していって、しまいには私の腕をつかんで、またひねり倒した。

「いいよ、殴れば?」
と私も静かに煽る。
こうなったら、もう言い逃れできない証拠を撮ってしまいたかった。

すると彼は、私のスマホを取り上げて、またしても首に手をかけた。
スマホが彼の手に渡ったので、彼が首を絞めようとするその瞬間だけ、証拠動画は撮れていない。

殴ると痣ができるからか、彼はいつも首に手をかける。
ちゃっかり動画を避けるのも、パニック中でも理性があるということだろうか。

少しの間そうしてにらみ合ったあと、私を解放した彼は、あとはひたすら罵りながら、仕事のために玄関から出て行った。
「ねえ、警察に言うよ?」
と食い下がる私に、
「ああ言えよ。見下されてるのは俺だ。差別しているのはお前の方だ!」
と近所にも響き渡る大声で叫んで、夫は出て行った。

このとき私は、「今私が警察に言えば、きっと彼は逮捕されるだろう」と思った。
そうしたら、娘は前科者の父をもつことになる。

何が正解なのだろう。

結局私は、警察には言わなかった。
それまでに彼の暴力について警察と女性センターに相談はしていたから、
次にいうときは、ほんとうに最後の時だと思った。
まだ、私のこころは決まらなかった。

その代わり、後日行動を起こすときの助けになるように、整形外科を受診して事情を伝えておいた。
右腕は全治1週間の捻挫で、三角巾で吊っておくようにと言われたけれど、
2歳になった娘の相手がそんな状態で務まるはずもなく、湿布だけ張って過ごした。

娘は湿布を見て、
「イタイイタイなのー?」
と心配していた。

ほんの少しのすれ違いで、家族をこんな状況にしてしまう夫。
まともじゃない。
それが、このとき私はようやくよく分かった。

発達障害のある人のパートナーが陥るとされる、カサンドラ症候群。
私も最初はそうだったと思う。
カサンドラの人たちは、相手が「話の通じない障がい者」であることを
理解はしても、心がなかなか受け入れないのだと思う。

だって、結婚前は違ったじゃない。
仕事では違うじゃない。
一見「ふつう」にふるまえるじゃない。

そういう一面を知っていると、やっぱりどこかに「期待」が残ってしまう。
私の苦しみの原因が、彼の障害を受け入れられない自分自身にもあることには、薄々気が付いていた。

「自分のことでしょ。自分の障害を受け入れなさいよ」
と夫に対して思うたび、
「あれ、いや、私も夫の障害を受け入れられてないよな」
という想いは常にあったから。

それが、今回のことで、
「ああ、この人はやっぱり障がい者だ」
と、かなりすとんと腑に落ちたのだった。

そのときまでは、「どうにか彼を分かりたい、私の気持ちを分かってほしい」とずっと思っていた。
特性が強くても、彼は心がないわけじゃない。

聞いてよ、それは変だよ、私はしんどいの。
そういう気持ちを、分かってもらいたかった。

彼の話す理解困難な言語も、どうにか分かろうとしていた。
だから、「それって、○○ってこと?」
と何度も聞き返してきた。

だけど、それは彼にとっては「攻撃」なんだ。
うまく言葉で言えないことを、何度も聞かれるとパニックになってしまうのだ。

もし彼が、全然言葉を話せない人だったとしたら。目の焦点がまったく合わない人だったとしたら。
私ははじめから聞き返したりしないだろう。

私は彼に対して、「話せる夫」という認識をずっと外せなかった。
「気持ちの通じる夫」を求めることをやめられなかった。

けれど、彼には無理なのだ、ということがようやくほんとうに理解できた気がした。

それからは、日常生活で、
「え、なんでそんなことになるの⁈」
「またあれやってないの⁈」
という想いが過るたびに、
「彼は【しない】んじゃない、【できない】んだ」
と心の中で唱えるようになった。

「したい」気持ちがあって、「できない」なんてこと、
自分には考えられないから、なかなか受け止められなかった。
でも彼は、【しない】んじゃない、【できない】のだ。

そうして私が口をつぐむようになると、彼もキレることが少なくなった。
パターンとして、ずっと頭では分かっていた。
私が彼に口出しさえしなければ、彼は暴力を振るわない。

夫婦として、正しいありようかどうかは分からない。
ほんとうなら、お互いのダメなところは指摘し合って、少しずつ改めていくのがいい。

だって、そんな複雑なことじゃなくて、
「濡れたものは乾かしてからしまって」
とか
「手を洗ったらタオルで拭いて」
とか
「娘に食べさせたら口の周りをきれいにしてあげて」
とか、そんなこと。
ついうっかり、言いたくなってしまう。

だけど、今はそれを「言わない」練習をしている。
【しない】、じゃないから。
黙って私がすればいい。
「俺は人よりできてる」
という態度でいる夫に「どこがだよ」と心の中で毒づきながら、言わない。

私もちょっと普段から正直に言い過ぎる性格だから、ようやく成長できたのかもしれない。

許すとか許さないとか、もうそういうことじゃないんだよな。
かといって当たり前に腹は立つし、ポンコツだなと思うし、頼りなさ過ぎて不安にもなる。

でも、まだ心が決まらないのだから仕方がない。
とにかく今は、娘が安心していられる場所であることが一番だ。

娘は、私たちの両方を好きでいてくれる。
その気持ちを、そのまま残してやりたいと、それだけを思う。


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