夫の発達障害【日常の困りごと①衛生観念の欠如】
【日常の困りごと①】
夫との生活で困ることは多々あれど、私がまず驚いたのは衛生観念の欠如だった。
私はといえば、引っ越すときに管理会社の方が仰天するほど「来たときよりもうつくしく」を実行するタイプの人間で、部屋はいつもきれいに使っていた。
汚れが溜まっている状態がストレスになるので、溜まる前に掃除する、を基本としている。
そして、清潔を維持することを難しく感じたことはない。
だから、メディアで見聞きする「家事ができない」という言葉を、心底不思議に思ってきた。
「できないって何? 誰だって掃除したらきれいになるじゃん」
「やるかやらないかの違いでしょ」
と本気で思っていた。
それが、夫と暮らし始めて、「家事ができない」は実際に起こり得る現象なのだと、初めて知った。
当初、夫は私の掃除を背後からじっと観察し、「俺もやる」と自ら申し出てくれた。
(自分がいることで掃除の)負担をかけたくない、とそう言ってくれた。
ところが、いざ夫に拭き掃除を任せてみると、夫の拭いたところが何か黒く汚れている。掃除する前よりもむしろ、汚くなっていた。
「これ、どうしたの?」
「拭いたよ?」
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あまりにも不可解だったので、私は夫の手元を確認した。
それで気が付いたのは、夫が、大きく汚れたところを拭いたのと同じ面で、別のところを拭いているということだった。
「掃除はまず、自分の手元をきれいにしておくことがポイントだよ」
「汚れの軽いところから掃除して、最後にいちばん汚いところを拭いてね」
と教えはするものの、
実はこの言い方は、夫にはとても難しい表現だったらしい。
「きれい」「汚い」は、夫からすると「見えない」ので、判断がつかないのだ。
たとえば、明らかに泥で汚れていれば「汚れている」と分かるらしいのだけれど(ほんとうはこれも怪しいと思う)、
特別色が変わっていなかったり、絞れるほど濡れていなかったりすると、彼にとってはきれいも汚いもない。
だからトイレから出ても、「直接触ってないからきれい」と言うし、
外から帰ってきても手洗いをする習慣がなかった。
これは今でも、夫はきちんと理解してはいない。
それくらい、「きれい」「汚い」は抽象的で難しいのだという。
当然、感染症対策なんてできるはずもない。
それでも、たとえばシンクを洗うときは排水溝は最後に洗う、とか、
便器の中は最後に掃除する、とか、順番を強調して覚えてもらった。
家事をする気はある人だから、そのうち覚えてくれるだろうと思っていた。
まあ、記憶力が乏しいので、結局教えた通りにはできないのだけれど。
(特性上【習慣化】すればいいのは承知している。でも夫はその習慣ごとすっ飛ばすことが多々あるから難しい)
それでも、こうして家族として頑張る気持ちはあるので、そこは彼のいいところだと思う。
「できる」「できない」は別にして。
(そして「できない」ことにイラつく私の気持ちも肯定する。自分の気持ちは大事にしたい)
ともかく夫と暮らして私がまず学んだのは、
ああ、家事ができないってこういうことか。ほんとうにあるんだこんなこと、ということだった。
これは、決して馬鹿にして言っているのではない。
実は似たようなことをその少し前に職場で経験したことがあって、そのときも、私はそれまでの自分の世界や視野がとても狭かったのだということを思い知っていた。
かつての私は「家事」同様、「勉強」に対しても本気で同じように思っていたのだ。「できないって何? やればいいじゃない」と。
けれど教育機関に勤めていろいろな子どもたちを見る中で、そうか、「やれない」ということがあるのか、と初めて気が付いた。
私はその瞬間まで、「やれない」「やってもできない」ということを、まったく理解していなかった。
これは驕りで、恥ずかしいことだと今では思う。
だから夫に対しても、そうか、そういうことか、と素直に納得はした。
しかし納得はしても、このときの私の心はまだ夫の障害を受け入れていなかったから、「なぜそんな子どもでもできることをいちいち言わなければならないのか」という怒りを感じもした。
「トイレから出たら手を洗う」
「手を洗ったらタオルで拭く」
という本当に根本的なところから教え込まなければならなかったから。
それも、一度言えば伝わるわけではない。何十回何百回と言い続けなければならない。
そのたびに「こんな簡単なことを」「大人でしょう」「人として当たり前じゃない」
そんな憤怒が息巻いた。
そして自分でもずっと分かっていたことがある。
夫が夫自身の障害を受け入れないのと同様に、私も夫の障害を受け入れられないのだと。
だから腹が立って仕方がないのだということを、自覚していた。
夫は、パンの消費期限と同じく3年目になってようやく、
「最近手を洗わないと気持ち悪くなってきた」
と申告してきた。
「いまごろ????」
と、私はびっくりした。
(こうして書くと、3年、というのは1つの基準になるかもしれない)
彼の障害を受け入れている状態であれば喜ばしいことなのだろうが、
このときの私はまだ、この人と健康的に生活することの困難さに失望し、
ストレスを抱える一方だった。
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