見出し画像

世界を感じる

小さな頃から、本はよく読みました。本を読んで身についたことそれは、知る、ことだけでなく、他者、を感じること、他者になること、自分の視点で考える動くと同時に、他者の視点も常に自分の中で稼働しているようになること、だったのかと思います。

俳優さんが役になりきるとよく言いますが、読書とは、1人全役のお芝居をしているようなものなのかもしれません。

いつもいつも全体を見、感じ、行動するということはできませんが、行動しながら少しだけ感じている、はっと後から気づいたりする、ということは、まったく自分1つの視点だけで行動しているのとは、全然ちがうと思います。

画像1

この数ヶ月、仕事でも家のことでもなく、困っていることが1つあります。数日に一度それが起こるたびに思うのは、この人たちはほんとうに、自分だけの世界に住んでいるのだろう、ということです。

自分がしたいからする、これくらいかまわない、だってめんどくさいし、自分ひとりくらい。
自分ひとりくらい。それを度重なり受けている側のことを思う人はいません。思わないのではなく、思うことができないのです、たぶん。悪意ではなく、ない、のです。

ああ、もう1つ思い出しました。こないだ、自転車をとられそうになったのです。卒業前の最後の集まり、のようなグループでした。

そこに自転車があるから・・・?

誰もいない。てきとうにナンバーを押してみる。わいわい騒ぎながら。
かるい気持なのでしょう。中にはやめた方がと思った子もいたでしょう。

画像2

それは、こわいことだと思います。私もそれにハラをたててもしかたがない、ということもわかります。


世界はいつの間に、ここまで個々別に切りはなされてしまっていたのだったのだろうかと考えます。みんな、自分1人だけの世界に住んでいる。いや、自分と、画面。
自分(または自分たち)以外は画面。


一週間ほど、久しぶりに実用書系の本をまとめ読みしました。今の世界に関する本です。

それは私には、画面の外側にあるものと感じられます。画面は世界ではない。世界のように見える画面は、画面であり、世界ではありません。

このカスカスと乾いた硬い空気は、私の思うかぎり、私の子ども時代はありませんでした。画面自体は、別の形でずっと長い間、あったのだろうと思います。何千年。

私は今、家でも仕事場でも、きっと、小さく世界を創っているのだろうと思います。


#読書 #視点 #ほんとう #想像力 #共感 #生

たくさんの物語を作っていこうと思っています🙂💖電子書籍販売準備中。大切に使わせていただきます🌐🎀