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産後記録(6)| 0才で2度入院した次男

こんにちは。リーコです。
最後の産後記録です。前回はこちら。


2023年6月30日。私は人生最後になるであろう授乳を終えた。そして翌日から抗うつ剤、睡眠薬、漢方の服用を始めた。

詳しくはこちら。


私が狂い始めた6月末から、夫が育児休暇を半年取ってくれた。長男は一時保育(週5)、次男は夫と私とで自宅保育。“子どもと私っきり”にならない環境を整えてくれた。

自罰的な自分は「休むことは悪」のようにどこかで思っていたんだと思う。でもここまできてしまったからには「疲れた」と思ったら休む。寝る。それをしなければいけないんだ今は、自分に言い聞かせた。そして休んだ。寝た。罪悪感もあったけど、休んだ。そしたら少しずつ脳内の霧が晴れていくのを深い睡眠と共に感じていた。抗うつ剤も効果覿面で目に見えて明るく振舞える自分がいた(これは躁状態だった)。子どもたちと歌ったり、踊ったり。つい数週間前までは考えられなかったことができるようになった。その分強い眠気を感じたり、思考がまとまらない感覚はやはりあった。ベランダを見る回数は減っていった。


再び、緊急入院


深夜に40℃近く発熱し、明らかに様子がおかしい次男。生後3か月。前回のRSウイルスのようなゼコゼコした咳ではなく、ベッドに寝かせると火が付いたようにギャーーと叫び、こんな泣き方は今まで見たことがない。救急車を呼び搬送された病院で血液検査・髄液検査を行った結果、髄液からエンテロウイルスが検出され「ウイルス性髄膜炎」と診断された。


再び、付き添い入院


「細菌性髄膜炎」ではないと確定されるまでは抗生剤の点滴、入院となった。「ウイルス性」は1週間で治癒するケースが多いが「細菌性」になると知的障害などの後遺症や死亡例がある。ネットで検索して、手が震えた。何も考えられなかった。

今回は救急車に夫が同行してくれたため、夫が2泊したのち私と交代した。しかし夫と交代した夜、今度は長男が39.2℃の発熱。「ママ、ママって号泣してる」と聞いて居ても立っても居られなくなった。長男のそばにいてあげたい、甘えたいのに我慢して、慣れない保育園もがんばってるのに、何もしてやれない。長男には本当に寂しい思いをさせてしまったと反省しています。

次男はというと熱の上がり下がりを繰り返してはいたものの、ミルクをしっかり飲み排泄も問題なく、容体は安定していた。前回の入院は別の病院で、相部屋に運よく我が家だけというほぼ個室だったが、今回は6名相部屋で3名埋まっている状態。夜泣きには神経をすり減らし、できるだけ泣かせないでいることが本当に大変だった。

徐々に発熱も落ち着き、解熱後問題がないのを確認できたため、入院6日目で退院が可能になった。「念のため、定期的に発達検査してもらうけど、風邪をこじらせた時もエンテロウイルスは髄液に滲出することもあるから、そこまで気にしないでね」と主治医の先生から言われて心底ほっとしたのを覚えている。

その後、数か月に1度発達を診てもらっているが、10か月で歩き出したくらい問題なく育っています。本当に、本当に、良かった。



産後記録、いかがだったでしょうか。自分で振り返ってみても、ちょっとウッとするというか、まだ生傷っていうか、いやあ、きつかった…。この記録は写真やLINEを参考にしながら綴ったのですが、もう次男出産直後~3か月はどうやって生きていたかほぼ記憶にない。二度目の付き添い入院中なんかどうやって過ごしてたんか…度重なる病院通い、ふたりの病気、緊急入院、ワンオペ育児、産後うつ、授乳、断乳、また入院…もう痛くて辛くてしんどくて、人生で一番辛かった。

子どもたち。こんなに色々あっても、健やかに元気に育ってくれて。ほんまに可愛い愛おしい大切な兄弟のおかげで私は生きてます。ほんっとーーーーーーにありがとう。夫がいなければ、私はとうにどうにかなっていた。とんでもない姿も見せたけど受け入れてくれて、そばにいてくれてほんっとーーーーーーにありがとう。これから色んなことがあると思うけど、もうあんな思いはしたくないなと正直思います。

ここで端折った話などはまた別の記事に記します。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

以上、リーコでした。

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