就労支援の海外トレンドーアメリカで発案されたIPSモデルとは?その歴史を少し紹介

Ledesoneのしんちゃんです。
前回はちょっとダークな重いネタでした。
反省…いえ...

今回からは、具体的なトピックに移ります。
最近、作業時間を決めて記事の資料を読むなどの準備と執筆をできるだけ毎日やって少しでも問題に取り組もうと決めたしんちゃんです。

それは、別として...
記念すべき初めてのお題目として、働くことへのアクセスをテーマから書いてみます。

障害者が働くことへのアクセスに重要な役割を果たしている就労支援。
でも、その歴史は案外日本でも知られていないように思います。

実際、海外が起源だからなんです。

特に私はアメリカ初の就労支援のやり方を以前から見ていましたので、それをネタにしたいと思います。

では、アメリカの就労支援の歴史から紐解いていくことにしましょう!

①アメリカの就労支援の起源

アメリカの障害者就労支援の歴史はベトナム戦争に遡ります。
当時のアメリカは、徴兵制でした。その一般人からの兵士が熾烈な戦争から帰ってくると仕事がありませんでした。
戦地のトラウマで精神障害になる人も、また身体を負傷して身体障害者になる人もいました。

アメリカ国内での批判もあったため、政府としてはベトナム戦争の帰還兵への補償が重大な課題となりました。

そう、就労支援の起源は、ベトナム戦争の帰還兵のためのもの。

戦争で障害者に!中にはしかも帰ってきたら仕事がない!という人もいる悲惨な状況に、政府としても対処しなければなりません。

社会問題はそれだけはありません。

アメリカは移民の国です。
ヒスパニック系移民の就労困難者もいました。
彼らはスペイン語を話し、英語を十分に話せない人も多くいたのです。
そして、ヒスパニック系の人々はアメリカ国内で年々増加しています。
そう、言語マイノリティの就労支援が課題になっていたのです。

そして、障害者もそのいくつかあるマイノリティの一つのカテゴリーとして認知されていきました。
では、障害者も含めた就労支援の必要性が高まっていったのです。
こうして、就労支援という、就労困難者の就職を支援してうまく働いてもらうための支援サービスが生まれました。

②当初は日本と同じくTrain→Place―訓練した後、現場へ就職!

日本ではA型作業所やB型作業所があるように
ヨーロッパでも障害者を隔離した施設で働かせるファーム形式や障害者専門に雇う企業もあります。

そして、アメリカでも訓練を重視した就労支援で障害者を隔離して働かせる状態が1960年代から70年代までありました。

1980年代から90年代にかけてジョブコーチが誕生しましたが、まだ、この時点でも職場に就職する前にどこかで訓練を積むということで体調を整えたり、働くこと自体に慣れたりしてから本格的に就職するという考え方が主流のようでした。

例えば、イメージしやすいのが、今でいう日本のA型作業所やB型作業所。
就職する先とは全く関係のない内職仕事をして働くための訓練が主旨ですが、就職先で求められるスキルを磨くという期待はほとんどありません。

それと同じような状況が、ひと昔前のアメリカなど海外の先進地域でも存在していたのです。隔離した労働環境のため、海外では障害者のファーム形式と言われていました。

③Train and Place...それでは効率が悪い!なぜ!

例えば、フラワーショップの花売りになりたい人が全く関係のない内職をして訓練するとします。
「仕事」に慣れるために継続して働いてもらうのは正解かもしれません。

でも、なりたい職業のために必要なスキルが身に着けられないということから、以下のような弊害が指摘されていました。

目指す仕事と関係のない作業を続けることで仕事をしたいというモチベーション自体も低下してしまうということが度々おこってしまったのです。

ただでさえ難しい雇用と労働の問題...健常者でもなお難しい問題を、障害者雇用で取り組むのは、工夫と粘り強い努力が必要なのは言うまでもありません。

しかし、なぜか障害者雇用では特に関係ない作業や内職仕事を通じて仕事をすることを「学ぶ」というプロセスを経てしまっています。

それは、障害者には複雑な仕事は無理なのでは?という障害への無理解があるように思います。
実際に障害の特性で、単純作業が適していてそれを好む方たちではそうかもしれません。

しかし、障害の特性を考慮せずに一括りにして考えることはで、その人の伸ばすべき才能や本当にできる潜在能力を殺してしまいかねません。

効率が悪いというその理由は、個性や特性を無視した一律同じの訓練が、就労に結びつかないから、と言えます。
それは、障害への無理解もありますが、障害者は一律同じ労働スキルを持ち、同じような労働をする、という奇妙な発想がどこかにあるように思えてなりません。

そもそも、実はそうした障害への無理解も障害者雇用をさらに困難にしているといえるかもしれませんね。

しかし、アメリカでは1990年代以降に、障害者の個性も重視する就労支援のアイデアが生まれ始めて、実践されるようになってきました。

それは、就労支援分野で立ち遅れている精神障害者の支援をどうすればいいのか、という問題意識から発案されたのです。

④特に精神障害者は環境の変化に弱い!捨ストレスに弱いから...では

精神障害者が就労する際に、職能よりも大変な課題があります。
それは、障害を負ったことでストレスに弱くなっていることから、環境の変化に通常よりも弱くなっているということです。

就労して定着率が低い傾向があるのも、これが要因だとも言われています。

しかし、アメリカでは、精神障害者は現場にまず慣れて、ストレス負荷に慣れるか、対処していった方が就労した際に起こるストレス負荷が逆に少ないという研究がなされています。

その発想から生まれたのが、Place and Train、つまり、現場(Place)に行って研修や訓練(Train)をしてその職場の文化や環境に慣れることで就労効率と定着率を上げる形のサポートをする(Support)というIPSモデル(Individual Placement and Support model )でした。

このIPSモデルを障害者雇用全般に採用していこうという動きから、アメリカで実験と研究が行われています。

日本でもこの支援の形は取り入れられ始めていますが、まだ動きとしては小さいです。
アメリのIPSモデルでの就労スペシャリストは、「ジョブコーチ」という名前で呼ばれることもあります。
日本でも特にこのジョブコーチ制度はIPSモデルという形よりも先に取り入れられていてますが(http://jipsa.jp/ips/about-ips-5)、人材を充実させるための予算が配分されないなどの多くの課題があります。

そして、就労してからのアフターケアとして、定着支援があります。
現場で実際に実務をやることを通じてその仕事が定着できるか検討するというこの定着支援も、アメリカのIPSモデルが元なのです。

⑤支援は個人をチーム体制で支える!

特にストレス負荷に耐性が無くなっている精神障害者を支えるのは、個人を現場慣れするようトレーニングすることだけではありません。

つまり、ジョブコーチなどの就労支援のスペシャリストだけでは支援は成り立ちません。
主治医など医療知識のある関係者、地域の精神保健サービス関係者や行政の関係者、当事者の家族、そして、当事者が住む地域のコミュニティの協力や理解の重要性も指摘されています。
これらは、よく日本でも「社会資源」と呼び、福祉関係者には耳慣れた言葉です。

働くことだけではなく、ライフスタイルの支援、つまり、生活全般を支える。
その方が働くことにより有益に作用するということなのです。

アメリカでの研究発表でもこの指摘は度々なされているのです。
一人をチーム体制で支えていき、そのチームのメンバーや構成員がまた他のメンバーや構成員とも組んで他の一人を支えているというシステムが組まれていくのです。

⑥就労支援発展の歴史は各国にある..課題として

就労支援の発展の歴史は各国にあるでしょう。
それは、その国ごとの労働に対する考え方や、文化によっても違いますし、障害に対する理解や解釈の仕方でも違います。

タンザニアでは、障害者の人権について国の政府レベルの宣言では先進的ですが、実際の現場では、身体に障害を負うだけで仕事からも社会からもつまはじきにされるという現状も報告されています。

国などが指針として法制化や障害者への権利、人権宣言などの類を整えることも大切なことですが、人の意識を変えることが容易ではないことがこの一例からもうかがい知れます。

具体的な支援制度の実務レベルでの整備や社会のインフラが整備、各種障害への理解が深まること、が大切だと思います。

しかし、今の社会のシステムが、そもそも利己的なのか利他的なのか、個人はその中で本当に利他的に生きることができるのか...などといった根本的な社会の課題や問題点がこの障害の問題に凝縮されているのではないか、そう思えるのです。

皆さんは、どう思われますか?


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