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間違い電話の人生模様

とある日の朝、間違い電話がかかってきた。

間違い電話なんて、ここしばらく無かった。
かつて家の電話はナンバーディスプレイ(これも死語か?)ではなかったので、電話が鳴ると取らざるを得ず、取ってみて間違い電話だったり、変な勧誘電話だったりしたものである。
今は携帯電話が普及し、着信時に番号が表示されるのは当たり前となった。電話が鳴ったら表示される番号を見るので、不要な電話は取らなくなった。番号だけ表示される電話は、フリーダイヤルも多く、ネットで調べると大体は不要な電話とわかる。番号表示される電話はまず取らなくなった。

しかし、この日の朝かかってきた電話は様子が違った。番号は一般的な固定回線だったが、他県のものだった。間違い電話だろうと思ったが、念のため電話が切れた後に番号を検索してみた。
調べてみると、ある病院だった。高齢者向けの介護施設も併設している、その町の大きな病院であるらしい。
しかも、その着信には留守電が残されていた。留守電を残すには、何かの事情があるのだろうと録音を聞くことにした。

若い男性の声で、入院している患者の家族に宛てた電話だった。入院しているのはその人の父親らしい。定期的に入院介護の状況を報告していて、次の訪問の際に薬局で買ってきて欲しいものを伝えていた。そして、今後の処置の方針を相談したいから折り返し連絡が欲しい、といって切れた。

その患者の置かれた状況や、病状はわからないものの、双方にとって重要な電話であるのは容易に判った。
その番号に折り返し、間違い電話を受けたが、留守電の内容を聞いたと伝えた。留守電の声の主ではない職員が出て、ああこの(先方の電話機に)表示された携帯番号に掛けてしまったのですね、折り返しの連絡ありがとうございますと言われて電話を置いた。

電話を切ってから、ふと本来の電話するはずだった人のことを考えた。間違い電話がかかってきて迷惑だった、というのが今までの経験だったが、この電話は違った。

本来の電話の主は、この日電話を受けて、薬局に行ったり病院へ行く支度をしたりと、もしかしたらこの日の他の予定も調整しなくてはならないかもしれない。
私の家族で、入院したり介護を受けている人はいないが、実際に親を介護する必要が出てきたら、こうした電話がいつ掛かってきてもいいように、心のどこかで注意を払うようになるのだろう。

全く勝手ながら、偶然かかってきた間違い電話で垣間見えた、電話の向こう側の人生に思いを馳せた朝だった。

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