美学だった。
愛する人間が増えるほどに、何も言えなくなるし
愛する人間と共に生きる責任感がのしかかるほど、表現だって控えなければいけない。
若いころは、好きなこと、好きな時に、好きなだけ言ってきましたけど。
2020年も6月になって日常に戻りつつある。
非日常がつらくなかったといえば嘘になる。
外に出れないこと、人に会えないことなんかは、みんな同じ。
特に何も感じていませんでしたが。
人のはしたなさや、汚さ。
簡単な悪口じゃ済まされない気持ちに、
心が支配されたことがとても苦しかった。
たくさんのひどい言葉や表現を見ました。
私だって直接的にひどい言葉を浴びました。
心が瞬時に真っ暗になりました。
自粛が緩和されたからって、さあ明日から忘れましょうなんて言われても無理です。
私は言われたこと、一生忘れません。
感染力の高いウイルスと共に、私の心が死んだことは、セットで一生覚えているでしょう。
自粛が緩和されると、次は反レイシズムだなんだと騒がしい。
そんなことを強要されなくても、人間を差別しないことなんて当たり前だし、
言われなくても、私はそんな感情を持ったことも、そんな行動をしたことなんてない。
私の友人や、私の愛する人も、そんなことをする人間は誰もいません。
美学を持った人間は、日常的にそんな会話しないし、
人が殺されたから、差別をしないでおきましょう、じゃなくて
常にそんなことはするべきではない。
私には愛する人がたくさんいるし、
私の愛する人は誇り高く、美しい人ばかり。
私には自覚している肩書や、無自覚の肩書があるので、
とにかく何も言わないように、書かないようにしてきましたけど、ちょっと。
何も言わないこと、やらないこと、書かないこと。
※この未曾有の事態の昨今に於いての話ですが※
これらは私の美学だったし、愛する人を守るための好意だと信じてきました。
私は美しいものが好きだし
美しい心を持った人や、美しい表現や、美しい所作が好き。
なのに、これらの行動をスカしてるとか、
無視してる(無視された)と捉える価値観の人間に、
ここ数か月は思った言葉をそのまんまにぶつけられてきました。
彼らも余裕がなかったのだろうというのは承知です。
私の美学だけのために無視してきました。
私の美学と、
私を愛してくれる心の美しい人達のためだけに私は知らない顔をしてきました。
誰かを見下げて、無理やり敵にでもせえへんかったら、
声も上げられないような弱い人間に、私は利用されたのだなと思っています。
誰かを下げないと、愛すべき人間が誰かすらわからない、
大切なものすらわからない。
そんな生命力のない人間に、私の美意識は汚されたのだな。と。
私は強くて優しくて美しい人のために生きています。
弱くてずるい人間のためにしてやることは何もありません。
彼らが私にぶつけてきた言葉や行為は
甘えでもなんでもなく、ただのイジメではないでしょうか。
私がされたことや言われたことも、ヘイトクライムだと思うし
心無い差別意識と暴力に値すると思っています。
一人じゃ何もできない、何が正しいかもはっきりわかってない人間の
未曾有の経験したことがない事態だからこその、
自信のない発言や行動に、とても傷つけられました。
ナイフの切れ味を人の体を使って試すような人間、多かったです。
以前も書きましたが、いつこんなはしたないことが許されるようになったんですか。
何も言わないこと、やらないこと、書かないこと。
と、いう、美学を持っている人間がいること、わかってほしいです。
何も言わないから、意思がないわけじゃない。
もっと強く、美しくならないと。
この未曾有の事態で、私は自分の弱さを知りました。
生命体としてとても弱く、誰かを見下さないと生きていけないような
腐った根性の人間に精神を奪われるほど、私という人間は弱かった。
そして、どんな事態でも誇り高く、美しい意識を持った
強く優しい、私の愛してる人たち。
感謝しています。心から。
何が起こっても、ずっと変わらないでいてくれてありがとう。
ああ、でもイヤだったなあ。
本当に疲れた。
この先も、このことは続いていくじゃない。
私の弱ったときの宝物は、マリウス葉くんの言葉です。
Deutscherは本当に強くて美しく誇り高いですね。
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