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再びロシアへ②

ロシア欠乏症に罹患している皆様、お待たせしました。
半年ぶりのロシア記事の更新です。
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前回の記事では、ウランバートルから夜行列車に乗って、無事ロシアに入国し、ウラン・ウデ駅に到着したところまでをお伝えした。今回はその続きである。

さてさて最後に不穏な言葉を残しておばちゃんが立ち去った後、

とりあえず駅の待合室で今後の方針を考える。急遽立てた旅程なので、ホテルはモンゴル方面に戻る最終日の分しか抑えていない。現金は20000ルーブルほど持っているので4日間ほど地上をウロウロしている分には足りなくなることはないだろう。

ということで駅の切符売り場に行き列車の時刻を調べる。なんとなくイルクーツクにも行けたらいいなとは思っていたので(思っていただけ、列車の時刻すら調べていない)、窓口のおばちゃんに今晩ウラン・ウデ発、明朝イルクーツク着の列車と明日の夜イルクーツク発、2日後の朝にウラン・ウデに戻ってくる列車はあるかと聞くとちょうどお誂え向きの列車があるではないか。
やはりこのくらいの規模、距離感の都市同士を結ぶ夜行列車の需要はありそうだという筆者の勘は冴えている。

切符は感熱紙の簡易的なもの

12月24日 ウラン・ウデ22時41分発→イルクーツク翌7時49分着(361列車)
12月25日 イルクーツク19時50分発→ウラン・ウデ翌6時17分着(362列車)

という列車を往復プラッツカルト(3段開放寝台)で予約した。片道1560ルーブル(当時のレートで約2400円)で乗ることができるほど寝台列車が身近な環境には憧れる。色々と御託を並べる欧州でも結局移動はLCCやバスの方がはるかに安くて移動効率がよいわけで、当日の駅窓口で切符を買える状況かつそれが一番効率のいい移動方法というのはまた別格である。(自称でない環境先進国はロシアであったか)

今後の方針も定まったところで、ウラン・ウデ市内に出る。
この時のウラン・ウデの気温は氷点下15度、前日のウランバートルよりも10度以上も高い。これはもはや春みたいなものである。

気分は春の陽気に誘われてルンルン散歩しているつもりだが、景色はもちろん冬のロシアの地方都市そのものである。この重苦しさ陰鬱さに惹かれるのは(身勝手な旅行者としてではあるが)、やはりどこか自身の感覚がずれていると感じる。そうでなければクリスマスイブの日に一人でこんなところを歩いているような人生を送ってはいないだろう。

さてウラン・ウデといえば、ロシアにおけるチベット仏教の本拠地である。いわゆる総本山にあたる寺院がこの街の郊外にあるのだ。

このイヴォルギンスキー・ダツァン寺院へは市内から130番のマルシュルートカに乗り、終点でダツァン行きのマルシュに乗り換えれば行くことができる。

市内からはおおよそ1時間ほどで寺院前に到着である。
マルシュを降りると突然見慣れたチベットの配色が現れる。チベット仏教という宗教はチベットの山岳地帯を中心に中国の外縁部をなぞるように遊牧民を中心に伝わったため、この地に伝わることに何も不思議ではないのだが、インド北部で見たのと同じ色がこのシベリアの大地にも存在するという感覚が理屈抜きでは頭に入ってこない。

中国内地のいわゆる漢伝仏教での名のある寺院は壮麗な本殿を建てて権威性を強調するが、この地のチベット仏教の本殿は小ぶりで、宗教的権威性よりも修行の場としての静謐さのようなものを追い求めているように感じられて好感がもてる。

寺院内の小綺麗な食堂で昼食をいただく。キリル文字はいつまでたっても分かるつもりであんまり分からないぐらいのレベルから上達しない筆者であるので、メニューを見てもсупくらいしか分からず、その中から適当に選ぶ。
チャイと合わせて300ルーブルくらいであったか。

2014年の出来事をきっかけに、そして2022年の出来事で完全に国外からの評価が反転してしまった大統領であるが、地方に足を運んで地場産業にお金を出すという至極まっとうな為政者としての務めも果たしていたりするのだ。

帰りも行きと同じくマルシュでウラン・ウデ市内まで戻る。乗り換えの時に見えるどうということのない郊外風景もまた良いものである。

ウラン・ウデでは市内にあるもう一つのチベット寺院を目指す。

ダツァン・リンポチェ・バフシャはウラン・ウデ市街地の北側の山の上にある。創建自体は最近であるため、由緒があるわけではないが、市内から行きやすいことと丘の上にあり眺めがよいことから参拝客は多そうだ。

寺院の脇から市内を見下ろす。バイカル湖に注ぎ込むリカ・セレンガ川を遠目に眺めながら見下ろす景観が寒さと共に心に沁みる。夕方になりそろそろ体感温度は春から冬に逆戻りしたので、市内中心部行きのマルシュに乗り込む。

このような前衛的な形の建物や、落書きでない壁絵があるとソ連の後継者を感じる。

もちろんソ連の遺物もまだまだあちこちに残っている。

そろそろ日も暮れてきたので、夕食をとって、駅に向かう時間である。
ロシアの食堂と言えば、スタローバヤ。
そしてウラン・ウデのスタローバヤと言えば、レーニン像のお向かいにあるAppetiteである知らんけど

さてそろそろ駅に向かわなければならない時間になってしまった。ウラン・ウデにはまだ未練があるが、2日後にはまたこの街に戻ってくるので、多少の未練は未来の楽しみみたいなものである。

さぁ10カ月ぶりのシベリア鉄道へ、そして聖夜の夜行列車で次の街へ。


ではでは次回イルクーツク編はいずれまた。
読者の皆様もよき旅ライフを。


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