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It's Not Unusual(よくあることさ)

題名は、ウェールズの大スター
トムジョーンズの歌から。
というのも、大学時代の友人ショーケンが経営している
(株式会社)MATSUBUNさんは刺繍屋さんで、
素敵な今治タオルに刺繍をして商品化しているのだけど、、
なんと!わたしの運営しているLearnJapan刺繍をしてくれた!!
いつもの調子で
「プレゼントしてやるからLearnJapanのロゴの写真送ってよ」
と言ってからすぐにつくってくれて、インスタグラムのリールに
トムジョーンズのこの音楽と制作過程を共にのせてくれた。
すごい、ショーケン。

ということで、題名とは関係ない、
ショーケンとの思い出を書いてみる。

わたしの大学時代は、バブルの真っ盛り。
わたしは附属高校だったので、外部受験よりは楽だったかもしれないけれど、一応、統一テストというのがあってそれに合格点がなければ推薦をしてもらえなかった。高校の時にはミュージカル女優を目指していたので当然、大学にある唯一の学部、芸術学部に入ることを決めていた。
ただ、統一試験が終わって先生と面談をした時に、
「まあなあーお前の点数だと、推薦はできるけど、芸術学部はもっと点をとっている子がたくさんいるから落とされるかもしれないなあー」
と言われ、家族会議をして
「芸術学部に行かなくてもミュージカル女優を目指すことはできるじゃん。
それに経営とか勉強したら面白そうだしな。」
とそうやって決めて、入ったのが商学部の経営学科だった。


そんなこんなで、入った商学部で、
最初のコンパで出会ったのがショーケンだった。

コンパの時の自己紹介で、女の子が少なく、経営学科
2クラスで八十人中女の子十人のみんなの前で、

「俺さーーしょーけん(萩原健一)が好きだから
ショーケンと呼んでくれよ。」

と、ちゃらい調子でいったのが彼だった。

女子の笑いを取るために言ったのが当たったのか、
他の女の子はくすくす笑っているだけだったのだけど、
隣にいたわたしの親友りかとわたしは目を見合わせて、
ずっこけて、大笑いしただけではなく、、

「ショーケン? ショーケン?そういえば似てるかもー(爆)。
似てるから(似てないけどと言っている)あだ名はしょーけんに決定!
ワハハー
みんなも、しょーけんって呼んであげてね。」

今まで話したこともない、
しかも可愛くもないわたしに、そんなことを言われたのに腹を立てたのか、

「なんだよお前は。
それより、お前の頭はなんだよ。
お前の場合はスポがりだろ」
「スポガリって呼んでやるよ。
お前のあだ名はスポガリに決定。」

そう、、ワンレン
(ワンレングスと言って片方だけ長くする髪型、80年代に大流行)
真っ盛りの世の中、
わたしはフランスの映画、
ゴダールの「勝手にしやがれ」のジーンセパーグに憧れていて、
さらに当時大人気モデルだった
甲田みやこさんのように
ベリーショートにしたら、
剛毛のわたしは
キュートなベリーショートではなく、
なんと、スポーツ刈りのようになっていたからだ。

それ以来
彼の「ショーケン」というあだ名とともに、
その後4年間(厳密には5年間)大学でのわたしのあだ名は
「スポがり」になってしまった。(男子のみ)

そんなこんなで始まった
わたしとショーケンの交流だけど、
あだ名事件以来、
お互い嫌味攻撃で
挨拶を交わすようになった。

そのうちに、中高と男子校で
「お嬢様学校の女の子としか付き合ったことがなかったからよー
お前らみたく、バンカラな女子と話すのは初めてだから面白いぜ。」
と言って、色々と話すようになっていった。
(他の女子にはキザに紳士的に振る舞っていたけど)


話しているうちに、かなり正義感のある熱血男子だと、
わたしもわたしの親友りかも知るようになり、
「結構、いいやつじゃんね。」
と仲良くなっていった。

わたしが
「劇団に入って公演に出るんだー。だからこれから稽古ー」
というと
「おおーすげえなあー
そんなことやってるのかよ。
俺さーー自分の好きなことで頑張っているやつ
好きなんだよなー。彼女と行くからチケット買うぜ。」と、
何かわたしの催し物(爆)があるたびに必ず来てくれるようになった。
彼女を連れてきてくれた後、
同じ公演に友達を連れて来てくれたこともある。

学食で
「お金がないから白ごはんに納豆!」とそれだけ頼んで
食べていると、
「お前さー今度焼肉奢ってやるよ。りかとな。」
と、言って、多分わたしの親友の可愛いりかが目当てだったのだろうけど、
二人でよく奢ってもらった。

音楽も好きで、

『おう!りかちゃん(りかだけ可愛いからちゃん付けだった。)
とお前にテープ作ってやったぞ。いい音楽だから聞いとけよ!」
と言って、よく音楽のテープも作ってくれた。
わたしが最初の海外旅行の飛行機で離陸する時に聞いていたテープも
ショーケンが作ってくれたやつだったわ。(遠い目)

でも、こういう思い出は全て前座。

一番の思い出はなんと言っても、
「スペイン」

わたしの最初の海外旅行はイギリス、フランス経由でのスペインだった。
もう一人の、またまた強烈な大学時代の友達に
「イギリスに短期留学したら、めっちゃ楽しかったから、のりちゃんも行きなさい。(彼女は一浪して年上だった。)」
と言われたのがきっかけだったのだけど、
わたしはイギリスに行くのは興味なくて、
「地球の歩き方」を見て一人でスペインに短期滞在を決めたのだった。

それで、案の定、学校でばったりあったショーケンに
「スペインのバルセロナに行くことに決めたわ。」と行ったら
ショーケンが
「おおおなんと偶然!俺も同じ時期に、留学先で友達になったスペイン人がいるバレンシアに行くんだぜ。
お、そうだ!紹介してやるからよ、お前もバレンシアにこいよ。」

「バレンシア?どこ?あースペインの街なんだ。じゃあ会おうぜ。
ほんじゃどうするー」

「万が一のために俺の友達の家の電話番号を教えておくから、公衆電話から会えなかったら電話しろ。
そんで、バレンシアの一番大きい教会の前に午後4時でいいな。」

と、「新宿のアルタの前で待ち合わせね。」

みたいな感覚で約束して、わたしはスペインに旅立ったのであった。

初めての一人旅。イギリスーフランス経由で
なんとかバレンシアに着いたら、
なんと、バレンシアで有名な「火祭り」の1週間前で、
ホテルはどこも満杯。
無理やり1000円くらいの宿をラッキーにも見つけて、さらにホテルから
一番大きいカテドラルに行くのに迷ってしまっていたので遅れてしまった。
4時の約束だったのに、1時間くらいの遅刻になってしまった。
もちろん、カテドラルの前には誰もいない。

とりあえず、唯一の手がかり
もらった電話番号に公衆電話から電話をかけてみた。

「Hola」

おーのー
スペイン語わからない。

「ハローー、Holaー May May May I speak-----」

と話せない英語とスペイン語を話そうと努力したら、

「Noriko!!!Just a moment!!」とショーケンに代わってくれた。

「お前ーーどこにいるんだよーー心配したぞー
待ってたけど、いないから戻ってきたぞ」

「メンゴーー今カテドラルの前ー」

「よし、今行くから、お前待ってろよ。動くなよ。」

待つこと15分

「おーーーーい、スポガリーー」という声が聞こえてきた。

「おおおおおおおおおおおーーー」

3月のスペイン、夕方でかなり静かなところでの
スポがりーーという日本語は異常なくらい、
風景にあっていなかったんだな。

とにかく、ホッとして、

ホテルを決めた!というと、
ショーケンが、
「1000円の安い宿なんて危なくてダメだ!
俺と一緒のホテルに別の部屋取ってやるから移れ!
俺の友達の知り合いのホテルだから安心だ。」
と、無理やりわたしのホテルより3倍もする値段のホテル
うつされたのであった。
(3倍でも3000円で友達価格で安くしてもらっての3000円だったから本当はもっと高いホテルだったのだから今から考えれば得したのだけど、、)

そしてそれから、異国の地、スペインで
ショーケンとスペイン人のお友達と一緒に
あの有名な火祭りの時期、楽しい1週間を過ごしたのであった。

それにしても、、
英語が話せないから、
必死でスペイン語を話そうと努力したおかげで、
ショーケンのお友達の近所の火祭りパーテイーでは
かなりみんなと仲良くしてもらい、たくさんスペイン語を覚えた。
お友達のご家族にもよくしてもらい、
火祭りの日にバレンシアの伝統的な衣装を着せてもらい、パエリャを食べ、
教会まで花を持って歩かせてもらったのもすごく思い出深い。
実は、スペイン人でもなくカトリックでもない私たちが伝統的な衣装を着て花を持って教会に行くことを嫌なふうに思っている方もいたらしい。
実際に歩いている時もちょっと視線を感じた。
それなのに、ショーケンのスペイン人お友達家族たちは、すごくよくしてくれたことをとてもありがたく思ったし、忘れられない思い出だ。

そして、、それより何より、はっきり言って
ショーケンがいなかったら、あんな貴重な経験はできなかった。

このように、ショーケンとの思い出は
「してもらったこと」しか思い出せないんだわ。
いいやつだなあー。(今頃だけど。。)
今更だけど、ここで言わせてもらおう。
「その節はどうもありがとうございました。感謝しています。」



さてさて、、
大学卒業してもたまーに友達やショーケンの彼女と一緒にあったりしたけど、
その後、お互い結婚して、わたしはイギリスに住むようになったこともあって、そのまま音信不通になっていた。
ところが、Facebookのおかげで
バレンシアのお友達を見つけることができて、
そのつながりからショーケンとまたウェブ再会できたのだった。

そして、またまたすごいことに、
あのバレンシアの火祭りでお世話になった、医学部の学生さんだったバレンシアでお世話になたスペイン人のお友達はお医者さんになっていて、
「親の店を継ぐことになるだろう」と言っていたショーケンは
お店を継いで、さらにそのお店を大きくして
立派な経営者になっていた。
つまり二人とも夢を叶えたわけだ。
二人ともすごいわ。友達として自慢。ふんがふっふ。

ところで、、
実は、商学部で会ったときには、わたしもわたしの親友Rも、
大学生のくせに(というか当たり前なのかもしれないけど)
車を乗り回して、可愛いギャルとデートをして、ファンシーな店で
おいしいものを食べている付属校出身のショーケンを苦労知らずの
お金持ちのボンボン(の性格のいいやつ)だとずっと思っていた。

でも、オンラインで再会して、
ショーケンの会社の話をひっそりと読んでいくと、
それが(苦労知らずというところ)とんでもなく勘違いだったことを知った。一度お家にお邪魔させていただいた時に
お会いした優しそうなご両親がどれだけ苦労をして会社を経営してきたか、、そして、そんな苦労を知っているショーケンがそんなそぶりをちっとも見せないで、私たちにボンボン顔だけを見せて、すごく努力をして、
家族経営だった会社をこんなに大きくしてきたことに感動した。

人を表面でしかみていなかったわたしは、本当に大馬鹿者だ。
わたしはショーケンの何をみていたのだろう、、と思うと全くアホなわたしに呆れるが、きっと、こういうことは
今もしているのかもしれないぞ、、と気をつけなくてはいけない、
と、このおもひでを書いていて思った。

ショーケンは昔から、ずる賢くない、心の真っ直ぐな素直な人だったもんね。
誠心誠意を尽くせば、理解してもらえる。。
というポリシーを持っていたように思う。
きっとご両親譲りなんだな、、とショーケンの会社のブログを読んで思った。


ということで、いつものように長い話になったが、
ショーケンとのおもひでを書いてみた。

これを読んだ方で、
会社のロゴを刺繍してもらいたい人や、
結婚式の引き出物にしたい人などがいたら、
Matsubunに頼んでみてね。
ウェブサイトはこちら
https://www.matsubun.com/

誠心誠意で対応してくれると思います。
わたしが保証しますわ。

PS.このブログの題名は
ショーケンがインスタグラムのリールで
Learn Japanのロゴの刺繍をしてくれている動画の音楽。
題名は、、わたしの人生にあっているかな。
でも内容はなんだか恋愛の話みたいだから、
わたしとショーケンの話じゃないよ。ということは書いておきたい。爆


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