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読書会―アン・ウォームズリー『プリズン・ブック・クラブ』

こんにちは。本日は12月とは思えない、温かい日ですね。春秋用の羽織り物をいまだに着ているわたし。
仕事は相変わらずワタワタしています。けど、不思議と楽しい。
いや、正直昨日はちょっと心折れそうなことがありました。この土日はストレス解消に徹する予定です。ここ最近あったことを整理するのもその一貫。
先週、参加した読書会のことをば。

読書会の概要

  • 日時:2023年12月2日(土)18:00~

  • 場所:ゆとぴやぶっくす(南浦和)さん

  • 題材本:アン・ウォームズリー「プリズン・ブック・クラブ」

参加したきっかけ

ゆとぴやさんには、昨年12月に開店してから、何度か訪れています。読書会の参加者とも話していたのですが、さいたま市内で独立系書店が減っていく中、希望の光的な存在です。最近、店主さんがブッククラブを発足され、なんとなく入っていたのですが、まともに参加できておらず…。

この日は元々出張が入るかもしれない日だったのですが、予定が流れ行かれることに!題材本も数年前に読んで以来だったのでこれを機に再読しました。
カナダの男子刑務所で行われている読書会の様子を描いたこちらの本。400ページ超の、中々に読み応えのある本です。読書会など機会がないと読む気になれませんよね…。この機会に感謝。

読書会でした話

読書会参加者への共感

集まる人は、私含め本好きの方ばかり。受刑者から語られる読書や読書会へのポジティブな見解には多くの共感が寄せられていました。
たとえば、下記のような記述があります。

どれが好きっていうのではなくて、本を一冊読むたびに、自分のなかの窓が開く感じなんだな。

本書, P122

読書会では本のなかの世界を追体験できるんだけど、それはほかのメンバーの目を通してなんだ。この読書会がすごくおもしろいのは、自分では気づきもしなかった点をほかのやつらが掘り起こしてくれるからさ。

本書, P147

ほんとうにそうだな、、と私も実感させられます。

私が読了後、感じたこと

一方で、読書を楽しめるというのも、実はすべてのひとができる行為ではないのでは?ということ。識字、語彙不足、読書習慣の欠乏、などなど、アクセスできていない人もたくさんいるのではないかと思うのです。
著者は、下記のようなことを述べます。

だれでも、どんな状況でも、読む能力さえあれば、本を読み本について語り合うことで、コミュニティや、逃げ場や、人のやさしさや、自分の居場所を見つけだせる、ということではないだろうか。わたしは、イギリスにいたころハムステッドで参加していたふたつの読書会を思い出していた。ロンドンで暮らしはじめた当時、知り合いはほとんどおらず、引っ越しの荷物を整理したり、娘が新しい学校になじむのを見守ったり、左通行に慣れたりするので手いっぱいだった。そんなとき、やさしくておおらかなキャロル・クラークというアメリカ人女性が、わが夫の上司の妻として私に手を差しのべ、「文学を愛する女性の会」に誘ってくれたのだ。

本書, P148

本がコミュニティの入り口になる、というのは共感できる一方で、経済資本・文化資本に恵まれた人の理屈だなとも思います。

特に、この本に出てくる受刑者の多くは、家庭環境や教育機会に恵まれていません。それにも関わらず、選ばれる本は、長大で内容も難しいものばかり。彼らが本の内容を咀嚼し、自身の言葉を紡ぎ出すまでに、相当な苦労があったのだろうと推察します。

社会関係資本(=人とのつながり)を築くには、文化資本(=生まれ育った環境で培われる、資格、学歴、立ち居振る舞い、作法など)が必要。
その事実にどう向き合っていくか?という問いは、本書に限らず、ついきになってしまう問いであります。

その他興味深かった指摘

参加者のある方が、「受刑者がみんな、粗雑に書かれている。一人称が全員『俺』で、語尾も乱暴」という指摘を述べておりました。
あまり違和感なく読んでしまいましたが、たしかにそう…。

日本語に比べて、英語では一人称の表現が少ないことも原因かと思いますが、たしかに単純化して描かれているふしは否定できないのかと思いました。
育ちが悪そうな割に(という良い方は良くないと思いつつ)難解な本が読めている、その驚きは、この描かれ方にも影響していそうです。

ちょっと脱線

この本を読んで、「プリズン・サークル」という映画を思い出しました。
(ちなみにこの作品、今は渋谷で上映されているようです)

この作品も舞台は刑務所。読書会ではないですが、対話プログラムを通じて、参加者は自身の犯した罪に向き合います。
なんだか、その過程がすごく似ているな、とこの映画のことも思い出しました。

読書会、対話プログラム、いずれにせよ受刑者同士の交流が許されていることがおそらく珍しい取り組み。受刑者を孤独にし、あらゆる行動を制限するよりも、こうした機会を作る方が今後につながりやすいのではないか(もちろん刑務所にも様々な事情があるのだとは思います)。そんなことも考えさせられます。

ただ、映画「プリズン・サークル」を観たときは、プログラム参加者(受刑者)たちの語りを聞いて、「これは他人事とは思えない!」「自分にも通じるかも」と思わされる場面が多々ありました。
ただ、「プリズン・ブック・クラブ」においてはその感覚があまり得られなかった。その原因は何なのか。国が違うから、上記指摘のような描写による影響からか、映像による効果、何だろう―?と疑問に感じました。

作品に非があるというより、自分の共感力・想像力の限界を感じるのでした。

まとまらないまとめ

私は今回この本を読むのが2回目で、1回目以上に冷静な目で読んでしまいました(アクセスの課題について考えたのもおそらくそのせい)。
ただ、読書会で他の参加者と対話を重ねる中で、この作品が全編を通じて伝えたかったであろう、「読書や読書会のすばらしさ」を再確認することができました。みなさんに感謝。

当日の様子はゆとぴやぶっくすさんがかなり丁寧にまとめておりますので、ぜひこちらも!

以上長くなりましたが、お読みいただきありがとうございました!

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