learning1.0 - 辿々しく辿る
Learning1.0のlearnって
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Learning1.0のlearnって

learning1.0 - 辿々しく辿る

前回、1.0について書いてからだいぶ時間が空いてしまった。人間がより便利な社会を作って発達させると、その分失われる感覚ってものがある。空を見ただけで天気が予測できるとか、そう言うのは現代の天気予報に任さればいいとは思うけど、それ以外にも文明化によって、失われた大事な感覚がある。だからそういった言葉で表現しづらいような感覚的な喜びや好奇心を大事にしたい、と言うのが1.0に込めた想いなんですよね。人間は言葉の生き物で言葉に拘束され誑かされる生き物であるので、それらを脱してよりゲノム(genom)が反応するような学びをしていければいいと思う。

さてlearnと言う単語は日本語で「学ぶ」と訳されるが、元々の意味ってなんなんでしょうね。少し前に亡くなった西部邁って言う言論人が言葉の意味を理解するときに必ず語源を参照していた。西部邁といえば、援交を話題にした激論番組で当時の援交調査の最前線だった宮台真司とやり合って会場から帰ってしまった人だが、実は西部と宮台ってそれなりに親交があった模様。側から見ると「この二人仲悪いんだろうな」と勘違いする人多いけど。
それはさておき、何故語源を参照する必要があるか、と言うと現代人は言葉を余りに無意識に使っていて、その言葉の成り立ちや本来の意味、昔の人がどう言う意図を持ってその言葉を使い始めたのかを知らない。つまり言葉本来の意味を知らずに、ただの伝達手段として使っていて、しかも昨今やたらと言語化するのを世の中に求められる。例えば採用面接で「あなたはなぜ弊社で働きたいのですか?」などと聞かれていちいち言語化する。だから「人は言葉に誑かされる」と言うのは西部が生前にしばしば言っていたことだ。言葉の本来の意味を知ることで、誰がなんのためどういう意図を持ってにこんなことを言っているか、つまり文章よりも文脈により敏感になり、他人に騙されにくくなるかもしれない。
他方、体系化された言語の言外にある感覚みたいなもの(つまり言葉で表現できないもの)こそが人の喜びだ、というのが前回の話であった。言葉にして伝えるのは人の大事な営みでもあるのだが、言語化するのではなく、見たものそのまま、耳に入ったものをそのまま感じるべきものってありますよね?音楽とか美しいものとか、いちいち言語で説明してもうまく説明できないし、それをいちいち言葉で解説してもなんかウザいし、説明してる間に興ざめする。言語化厨が蔓延るのは人間が「言葉に出来ない」という表現含めて言語に縛られ、誑かされる生き物だという証かもしれない。口数ばかり多いわりに中身の無い話しかない人にイラッとするのも同じなのではないか。

本題に戻ってlearnである。learnの現代語における言葉の意味はMacbookに内蔵の辞書ではこの通り。

studyとの違いはまぁ何と無く想像がつく。studyはなんかあくせく、必死になってやる感じがあるが、learnはもっと長い期間かかるもので、身体に身につくものと言った感じがする。では語源的にどうか、と言うと・・
語源の参照するのにオススメなのはこちらのサイト

https://www.etymonline.com

このサイトは凄い。大体の単語の語源が記載・解説されている。たまにuncertain originとかもあるけど・・

で、この辞書でlearnを調べると、このように出てくる。

learn (v.)

Old English leornian "to get knowledge, be cultivated; study, read, think about," from Proto-Germanic *lisnojanan (cognates: Old Frisian lernia, Middle Dutch leeren, Dutch leren, Old High German lernen, German lernen "to learn," Gothic lais "I know"), with a base sense of "to follow or find the track," from PIE root *lois- "furrow, track." It is related to German Gleis "track," and to Old English læst "sole of the foot" (see last (n.1)).From c. 1200 as "to hear of, ascertain." Transitive use (He learned me (how) to read), now considered vulgar (except in reflexive expressions, I learn English), was acceptable from c. 1200 until early 19c. It is preserved in past-participle adjective learned "having knowledge gained by study." Old English also had læran "to teach" (see lere). Related: Learning.

また追って触れたいと思うが、英語はゲルマン諸語に属しているのでその言語グループには蘭語、独語等の比較的似た言語がある。でそれらの言語では単語も似通ってくる。よって、古英語ではleornianと言う語であったが、元を辿ればゲルマン基語ではlisnojananと言う古ーい語があり、そこから古フリジア語のlernia、中独語のleeren、蘭語のleren、古高地独語のlernen、現独語のlernenが派生した。ドイツ語のlernenとか似すぎでしょ・・。北欧系のデンマーク語のlærも関係があると考えるのが自然だろう。そして現在では死語(日本語の『死語』と違ってかつて話されていたが完全に話者がいなくなった言語)となったゴート語(Gothic)の、lais も派生している。

東アジアだと日本語にも沢山漢語が入っているし、ハングルにもそうだ、と言うことを考えればなんら驚くに足らんのではあるが。なおこれもどこかで触れたいのだが、現在のゴシックと呼ばれる建築様式(高い尖頭アーチと大きなステンドグラスによる採光が特徴)を始めたのは中世のフランス人で、ゴート人(Goth)とは全く一切何の関係もない。っても、南米のアンデス山脈と何も関係ないアンデスメロンよりかは関係あるけど。 事の発端は12世紀のSuger修道院長によるサン・ドゥニSt Denis修道院の改築で、この時彼が主導して作らせたこの様式が初めて世にでることになる。それが現在のサン・ドゥニ大聖堂。聖ドゥニはこの地に祀られた聖人で、ギリシア神話の神ディオニュシオスDionysos(英Dennis)に由来する名。ディオニュシオスは葡萄酒の神。ローマ世界の神話では、同じく葡萄酒を司っていた神のバックス[羅Bacchus(英語では同じ綴りでバッカス)と言う神]に該当する。いわんや酔っ払いの神なのだが、日本でも飲食店・飲み屋の名前でしばしば使われている。その後、一神教のキリスト教を国教にしてを熱心に信仰したのが信じられないほど萬の神々がいたギリシア・ローマって・・

ゴシック建築が建てられた後のルネサンス期(英Renaissance「再び生まれること」の意)のイタリアの建築家が1つ前の時代の建築物を見て、「粗野」「野蛮」「辺境的で田舎臭い」「洗練されていない」と言う意味を込めて蔑称としてGothic「ゴート(人)的な建築物」と呼んだのがきっかけ。ローマが支配したかつての地中海ではアルプス以南(伊cisalpino/英cisalpine)のイタリアが文化の中心であった。時は流れて、中世の神中心から脱却し、ギリシアローマ文化に立ち返りギリシアローマ的な人間中心的な文化を目指したルネサンス期にイタリア文化は再び世界の文化の中心に舞い戻るのだが、そのルネサンス期イタリアの建築家達に「けばけばしいゴツゴツした伽藍」と酷評され、名付けられた。勿論ゴシック建築が欧州の街々にそびえ立った時期は「神中心」の暗黒時代とさえ形容される中世(the Middle Age:事実暗黒だったかは断定はできないが)であり、新時代の人が旧時代をこき下ろすのは古今東西 変わらない営みなのだろう。21世紀の日本で、ネタでもなく「ナウい」「ギロッポン」「シースー」などと言えば白い目で見られ、「ない」「ダサい」と断じられるのと同じ。

して、learnの元々も意味に戻ろう。この語は古英語(Middle English、以後ME)でleornianであり、「勉強する」「知識・教養をつける」を意味した。これをさらに遡り、ゲルマン基語ではlisnojananでだったことは触れたが、この後の意味は、「跡・足跡・わだちなどを見つけてその後を辿る」の意味であった。この語はさらに遡ると、インドヨーロッパ基語(Proto-Indo-European:これも追って触れたい)の語幹loisに由来する。この語幹の基本的な意味は「溝・わだち・足跡」の意味である。なお、このloisには、古英語のlæst(当時は「靴底」の意味)も関係していて、この語は現代英語のlast[n]「靴の木型」として生き残っている。
(なお、lateの最上級のlast[adj]「最後の」は別の語源だが、last[v]「続く」はこの同じlois「跡・わだち」が語源である)

こうして上のような過去に思いを馳せ、昔の人たちの考えたことの後をたどって考察することと自体が「たどる」ことであり、英語のlearnそのものだと言うこと。そしてそれをするにあたって当時の先史から有史以降の人々の言葉に対する営みを辿ること(learn)、それを狩猟採集以降の感覚的な楽しさや知的好奇心、さらに知りたいと思う欲望を掻き立てるような営み(1.0)でやる、と言うのが私が大事にしたい学びである。単語や文章の表層の意味だけを理解できるようになるだけではなく、その深みにある真の意味や、その言葉が使い始められた時の経緯や当時の意味などを引き続き考察していきたい。

文章を書くからには、見てくれる人がいると嬉しいのだが、1日に単語10個覚えるためのBotをツイッターでフォローして必死で覚えている人にとっては私の文章はつまらないかもしれない。より本質を見つめたい、起源を知りたいと言う思う方といろんな言葉の世界を見たいと思っている。

トップの写真は聖歌隊で有名な英ケインブリッジにあるケインブリッジ大のキングズ・コリッジ。
King’s College, the University of Cambridge



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学び1.0へ向かって。本質に向かって。多様性が生み出す意外性や新たな気づき、発見を大事にしたい。ゴーヤの写真はVelvet Underground & NicoというCDのパクリです。Chop it into halves and scrape out seeds inside