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メンタルの病気はこうやってなる。うつ、強迫性障害の経験談を語ります。その4

そして、母 弟 私の3人で暮らし始め母の働いていたレストランで働くことになります。
そのレストランはホテルの中にあって、宿泊されている方の朝食とお昼のランチの営業をしていました。

この時に出会った僕よりずっと年上でその時の料理の担当をされていた方がいたのですが、この方がとても面白い方で料理に関する色んなことを教えてくださったり、料理には関係ない趣味の話などを自分の息子と同じぐらいの歳の私に、とても気さくに話してくださり、その方の影響で今度は料理の道を志すことになります。

しばらくは将来の不安などもあまり考えなくなり、その先輩に調理の仕方や包丁の使い方などを手が空いている時間に教えてもらったり、お客様にお出しする料理の補助をさせてもらったりして、今は将来のことはあまり考えず、楽しく料理のことを学んだり、色んな体験をしようという考えになり、自転車店でアルバイトをしていた時と比べるとそれなりに充実した毎日を過ごせていました。

しかし実はこの時、その先輩と会社や社長との考えが食い違っていたようで、先輩の給料をこじつけのような理由で減らされたり、社長から直接無理な要望を出されたりと、色々な嫌がらせをその先輩は受けていました。最終的には会社が新しい料理担当の人を雇ってしまい、先輩は遠回しにクビを宣告されたような状況に追い込まれて退職されてしまいます。

その先輩とは、退職されてからもたまに会って話をしたり、今でもたまに会うと人生の為になる話や面白いことをたくさん話してくださったり、ご飯をご馳走してもらったりととてもお世話になっています。

そしてその新しいシェフの方が来られてからどうなのかというと、それがまたひどいものでした。その人は悪い人ではなかったし、優しかったのですが変にプライドが高い人で、なかなかそりが合わず、先程の先輩の件もあってその職場にいるのが苦痛で仕方なかったです。

この頃からおかしな症状が出始めます。
まず最初に始まったのは、嫌なことがあったり頭に思い浮かんだりすると窓や外に向かって大きく咳払いをするという謎の癖です。
後に病院で診断を受けるまでは、これが強迫性障害の症状だとは全く知りませんでした。

ひどい時はバイクを運転していて大きな段差を乗り越えたときに「人を轢いてしまったかもしれない」と思いその場所に戻ったりニュースでその場所の事故がなかったか確かめたりということがありました。
これも強迫性障害の「加害恐怖」というものなのですが、この時はまさか病気だとは思ってませんでした。

その5に続く...

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