見出し画像

あだ名と眉毛

何度も言うようだが、僕は盛岡で暮らしていた。
どうして何度も言うのかといえば、盛岡で再び暮らしたいと思っているからである。思い出話をして、その未来に近づかないかと、言霊のようなものに期待しているのだ。
その盛岡時代、僕は外国人の名前で呼ばれていた。
先に言っておくが、僕はハーフではない。だが、見た目のみで僕のあだ名は外国人の名前だった。身ばれを今更恐れて、具体的な名前は控えさせていただく。

僕のあだ名は、その時々で多岐にわたる。
安定して呼ばれ続けたあだ名は、高校時代に苗字をもじって呼ばれ始めたひとつだけだ。しかしそれ以外にも、たくさんのあだ名があった。

その高校時代、僕は授業中にぼーっとしていた。具体的に言うと、好きだった先輩のことを考えていた。先輩の笑顔を思い出してにやにやしていた。
教師というものは、そういうときに限って生徒を指名するものだ。おそらく、そういう生徒を見抜く目があるのだと思う。
指名された僕は慌てた。その結果
「へえ!わかりやせん!」
と、江戸っ子のような返事をしてしまった。その頃の僕のあだ名は「平安貴族」だったが、その瞬間に「江戸っ子」になった。時代が動いたのだ。
「平安貴族」の由来は単純である。眉毛だ。
僕は、眉毛が濃いのがコンプレックスのひとつだった。時代的にも細い眉毛が流行っていた…と思うが、よく思い出せない。
普通は、眉毛を薄くしたり、細くしたりすると思う。しかし、そのときの僕は何を思ったのか、眉毛を短くした。
目頭から目尻より少し先まであった眉毛を、黒目の上までの長さにしたのだ。本人的に満足していたのが恐ろしい。「俺、いい感じ」と思っていた。16歳の頃はみんな脳があんな感じなんだろうか。
次の日登校すると、英語を担当してくださっていた先生から「平安時代のような眉毛だ」と言われ、僕のあだ名は平安貴族になった。そして、前述のように「江戸っ子」時代もある。明治より先には、まだ僕のあだ名は辿り着いていない。

それとは別の系統もある。
高校時代、一階に自動販売機があった。怪我を理由に部活をやめ、少し自由な時間が多かった僕は、よく自販機に飲み物を買いに行っていた。教室で勉強をするときのおやつ代わりだった。
そうすると、同級生や先輩もいたりする。学年が上がってからは後輩に出くわすこともあった。
「何か飲みます?」
僕は、知らない人にもよく訊いた。生徒会として顔を広げておきたかったというのもあるが、単純に女性相手にいい格好をしたかった。
自分のものと合わせて、出くわした人のものも買う。その結果「おごりの人」というあだ名がついた。「め組のひと」みたいだが、今思えばひどいあだ名だと思う。いじめられてたのかな。
後輩たちは、そんなひどいあだ名では僕を呼ばなかった。かわいい後輩たちだった。
僕がいつも買うものを、後輩たちは見ていたのだろう。僕はいつからか「ミルクティー」と呼ばれていた。
…やっぱりいじめられてたのかな。まあいい。

たった一人の女性だけが呼んだあだ名もある。
高校時代の友人だった。卒業以来会えていないが、別の友人いわく元気らしい。会いたいな、と思い出すこともある。
その子は、僕を「ゴンザレス」と呼んだ。前述の大学時代のあだ名も外国系だったが、これとは別の名前である。
一時期だけ彼女は僕をそう呼び、そのあとは前述した苗字から来るあだ名で呼んだ。なぜゴンザレスだったのか。おそらく見た目なのだろうが、「平安貴族」の時期と重複しているので、その頃の僕の多国籍感は計り知れなかったんだと思う。「平安ゴンザレス」…理解不能な存在になってしまう。
先日、その子が書いてくれた卒業アルバムの寄せ書きを見た。そもそも10年ぶりに開く卒業アルバムは埃にまみれていた。寄せ書きを見て、「あれ、もしかして…」と今更思ったが、真相は彼女しか知らない。


今の時代、あだ名とかはあまり良くないのかもしれない。
見た目とか、そういうものから呼ばれ、いじめに繋がるケースもありうる。
そういうのは良くないが、こうして振り返ってみるとすごく懐かしい。
今は僕をあだ名で呼ぶ人もいない。それはそれでいいのだが、少し寂しいときもある。
別にもう「おごりの人」と呼ばれたくはないけれど、「ゴンザレス」とあの子が僕を呼ぶ日がまた来たら、真相を訊いてみたい。







いただいたサポートは、通院費と岩手紹介記事のための費用に使わせていただきます。すごく、すごーくありがたいです。よろしくお願いします。