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17歳、直撃

空からの飛来物、というと何を思い浮かべるだろうか。
UFO?
鳥のふん?
僕は、花火の残骸である。

17歳、高校3年の夏であった。友人たちと地元の花火大会に行くことになった。「18歳」の記事で書いたとおり、大学は盛岡を選び、しばらく地元を離れたため、この花火大会に行ったのはこのときが最後である。
その当時片思いをしていた女性を誘って、見事に振られ、いわゆる「残念会」であった。だが、もともと花火が好きだったこともあり、気分としては明るい。楽しむことに全力でいようと思っていた。
それもそのはず、高校3年である。もしかしたらこの仲間たちとは、今年が最後かもしれないという切なさもあった。ちなみに、この不安はまったくの杞憂であり、このあと仲のいい友人たちは皆、盛岡を新生活の場所に選ぶ。未だに友人である。あの切なさを返して欲しい。
日も沈み、いよいよ花火が迫る。
他校に進学していた中学時代の友人たちも合流し、花火に対する期待はさらに増していく。これぞ青春!などということは今になってから思いついた。当時はただ楽しかった。
どおん、と音がする。
極彩、というにはやや煙がかっている花火ではあった。風が弱いため、煙が流れてくれなかった。それでも美しい。
僕たちは川沿いの民家の垣根の前に陣取り、花火を見ていた。
鮮やかさよりも、みんなと見れたことに感謝しよう。
そう思いながら自然とにやついていたのだろう。知らない女性が通りすがりに「きもっ」と呟いていく。うっすら泣いたのは花火の煙のせいではない。
どおん、どおん。
滝のように落ちていく花火は、さらさらと音がしている気がする。
好きだった人のさらさらの髪を思い出して胸がぎゅっとする。残念会になってしまいそうだ。気分を変える。
どおん、どどおん。やや強い炸裂音。それに負けないくらいに声を張って。
俺たちずっと友達でいような。
かっこつけてそう言おうとしていたのに、「よ」と「う」の間あたりで
僕の口から出たのは「んげっ」という声だった。
誰かに頭を叩かれた。最初はそう思った。
叩いた?と訊いても皆首を横に振る。また涙が出そうだ。振られて、叩かれ、きもいと言われる。17歳には拷問である。
そのとき友人が、「これじゃない?」と見つけたのは、おそらく球体であったであろうものの欠片であった。
「なんだ、これ?」
そのときの僕は、まだ花火の構造をきちんと知らなかった。読んでくださっている方はお気づきだろう。花火玉の一部である。
泣きっ面に蜂、という言葉があるがこの場合は、にやけっ面に花火玉、である。思っているよりも直撃すると、痛い。
なんか散々だったなあ、と思ったが、散々なのはここからである。
友人の一人が叫んだ。「火事だ!」と。
さっきも書いたが、僕たちは民家の垣根の前に陣取っていた。その垣根が、燃えている。
あとになってわかったことだが、花火が本来よりも地面にやや近い場所で炸裂していたらしく、垣根に火花が飛んでいたのである。
こんなことをいってはいけないのはわかっているが、火花が飛んできたのが垣根でよかった。僕の頭だったら死んでいたかもしれないのだから。
とはいえ、このあとはもう、てんやわんやとなった。皆走って逃げる。当時はスマホやSNSもろくになかったため、誰も写真や動画など撮らない。今となっては珍しい光景かもしれない。ただ、逃げる。
こちらに向かってきていたのは、垣根のあった民家の主人と消防だけ。夏の思い出というより、危機一髪の思い出である。
今でも当時一緒に行った仲間に会うと、少しだけこの話をする。特にオチのない話なので、「あの時は怖かったねえ」と言って、終わる。
17歳は、失恋、(花火玉の)直撃、そればかりを思い出す。荒んだ学生生活であった。

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