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すあま

 一昨日ぐらいに小説『三体』を読み終わった。SF小説はどうして子細分からずともああまでわくわくさせられてしまうのか不思議でたまりません。自分のような稚児の如き脳みそじゃ小説に綴られているエキサイティングなサイエンスに三割も追いつけないまま読み終わってしまっている気がするのですが、それでも面白かったなあという読了感に至るのは私がアホでよかったのか作者が天才的なのかよく分かりませんがもしやするとどちらも、という可能性があると思われます。シリーズ物なのでいつかは二巻を手にする気概のままに、とりあえず今は朝井リョウ作『正欲』を読みつつ気分をごりごり盛り下げ中です。某芸人ラジオの某様がオススメしていたので読んでみたのだ。カテゴライズされた「普通」から逸脱した「普通」じゃない癖を持った人達。マクロな視点で見た世界でも認知が低く、ミクロ視点ならば決してあってはならない嗜好を持った人達の独白は読んでいて悲しくひどくしんどいですが作者様の力によって読者側の『共感力』を刺激する手腕は素晴らしい物なのでページをめくる手を止められません。ですが読み進めるほど己の元気をごりごりと削られてしまうのは限りなく事実なので早く読み終わりたいのが本音。楽しくはないです。ただ世間に溢れる「多様性」がどういった様で声高らかに我々の耳に届くのか、一度素面となって浸ってみてはいかがでしょうか。正当性のある怒りはスルーできても隠しきれないのだと思い知りました。


 最近は日記に書いているとおり仕事が忙しくなく趣味に没頭する時間を沢山得られているのだが、本や漫画本などは時間が無くとも日々の隙間に押し込んで読み進められるが、一定の時間を要する趣味は一日のスケジューリングの難易度を底上げされてしまい、会社からの帰宅後、効率を意識した動線から明らかに外れる趣味がもったいなく感じてしまうのだ。例えば筋トレにてプロテインを飲んだ七十分後に始めたいのだが作りたい料理があるとけっして1時間ちょっとで仕上げられるものではなくそもそも昨日の食器類が未洗浄なのだから皿洗いから始めないとなると、もはやもったいないなどの感情を通り越して全てを放り出してソファーで寝転がり「すあまってあまくてまあるくて桃色でかわいい」などと呟きながらヌメヌメと惰眠を貪りたくなってしまう。己の思考をぶん投げ仕舞いたくなる気分をグッと堪え前のめりに趣味へと興じてみてもさほど乗り気になれずなあなあすあまのままただ時間が過ぎ去っていくのもお約束だった。

 こうなる度に自分は誰に指摘されるわけもないのに「ああ怠け者だな」と心底反省する。
 そもそも趣味とは誰かに答えを求めずとも自分のためだけに行う時間浪費だと思い返すが、やりたいことをやれた時間にやらなかったことは「時間がもったいない」ことに変わりない。

 成果とは結果だ。たとえ結果が拙くとも終わりという成果は大切なことなのだ。誰かにどうのこうの言われても自分は自分を絶対に裏切ってはいけない。あなたは自分だけが得られたはずの成果を「人にくだらないと言われちゃうかも」ですべてを放り投げてしまったやつで、結局晩年では今の私は自分が終わりを迎えるための努力を怠った怠け者なのだと悔やむのだ。やって後悔しようなんて言う輩はぶっ殺したくなるぐらい私も大嫌いだけど、私のこれは高尚な考えではなく二パーセントぐらいの努力だ。だからそんな二パーセントのパワーを私は怠ったのだと深く反省する。その程度の話なのだ。

 この日記も二パーセント未満の努力で書いている。その前提はもしかしたら保険と言われるかも知れない。けれどやっていないよりやった二パーセントの方が、社会人という学生のような時間拘束をされない私達にとってゆるやかで確実な成果だ。二パーセントほどの趣味で私達は遊んで暮らそう。私は心からそう思っている。

 ちなみに私にとって筋トレは102パーセントぐらい使ってやってます。いや無理だよ、しんどいもん。いくらか限界超えなきゃやってらんねえわ。

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