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ざる蕎麦は勢いよくすすれば風味が増して美味しい

 ご飯描写のある小説が読みたくなり『侠飯/おとこめし』を読む。とても面白かった。オーディオブックにて拝聴したのだがナレーターが諏訪部順一さんだったことに読了後で一人たまげる。私は最後まで気づけなかった。声優というプロの演技に感動した私は、作品の面白さも相まって無性に自炊したくなり家で蕎麦だけを茹でた。作中では『蕎麦は専門家が作る専門店で食え』とはっきり断言されていたのに面倒くささが勝ってしまった。これでは柳刃さんも無表情でセッタをくゆらせ激おこされると思われる。しかし、めんつゆは鰹節(買ったのは数年前)からしっかり出汁を取って(レシピよりなぜか数グラム足りてない)みりんと醤油(安いやつ)を煮て一から作ってみせたのだ。そして、流水でしめた蕎麦を箸ですくい取りいまだほかほかに温かいつゆにつけて一気に啜った。蕎麦はめんつゆと麺を空気と一緒に吸い上げるとこで風味が増す。口いっぱいに蕎麦のつるっとした食感が充たされた瞬間、なんとも絶妙なケミカル風味が鼻を刺した。想像するに数年前の鰹節を使ったことによる弊害でそのもの自体におかしな科学的変化が起こっていたとだと思う。あとは鰹節を濾すとき多少押し込んで出汁を絞り出したせいもあるかもしれない。だから舌の残るえぐみがすごい。幼少の頃、渋柿を食べた記憶が脳裏を過ぎった。しかしあれあれ、おかしいな。きちんとレシピ通りちゃんと作ったのにな、これは変だな。と頑なに犯した罪を私は認めず、もう一度箸ですくって蕎麦を啜った。だが今度は鼻に抜けた風味の奥底に古びた油の残滓を感じた。私はどうして二口目で蕎麦の風味が変化するのかがわからないので脳はすこぶる混乱を極めた。予想するに蕎麦を湯がいた鍋で以前にゴマ油鍋を作ったのだが綺麗に洗い落とせていなかったのだろう。油汚れはガンコなのだ。料理をする人ならきっとわかってくれるだろうと思います。だからこれも私の失態なのではなく、俄然として認めはしない。なんともありえない話だと三口目を啜って、「うん。だめだなこれ」と私は諦めがついた。

 私は柳刃さんの『蕎麦はそば屋で食え』と断言した意味がやっと理解できたのだ。蕎麦は家で作っても美味しくはない。正確に言えば美味しく作ることは難しいのだと。この経験を得てひとつ私は生きる上での知恵を培うことが出来た。非常にありがたいことだった。

 一応食べきる前に私は、このざる蕎麦を中古カメラで撮って日記のサムネにしようかとアングルを拘っていたのだが、ためしに数枚撮ったところで急に電源が落ちた。その後うんともすんともしなくなりサムネは取りやめとなる(代わりにアメフクラガエル人形を撮った写真を貼った)。あとでsdカードを確認すると、適当なことしか書いてないこの日記に綴るのもかなり躊躇われるほどの罵詈雑言が呪いの言葉のように写真に浮かび上がっていた。そんな機能なんてカメラにあったかなと、いま説明書を読み返している。

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