【HSP・繊細さん】人の顔色をうかがって暮らしていくしかないの?
この記事に興味を持ったあなたにとって、まわりの人が不機嫌な状況はとてもつらいものだと思います。
とはいえ、HSPだから、仕方がない――そう納得しようとしても、なんだかモヤモヤしませんか?
わたしも「まわりの誰かが少し不機嫌なだけで逃げたくなる」ことに長年悩んできました。
そして最近、そこから抜け出せる可能性を見出しつつあります。
あなたの光になることを願って、わたしの体験と今の考えを紹介します。
わたしとHSPの出会い
2018年、ふらりと立ち寄った書店で、1冊の本を手に取りました。それは発売されたばかりの、HSP(Highly Sensitive Person:ひといちばい繊細な人)を紹介する本でした。
「これ、わたしのことかも!」と嬉しくなったことを、今でも鮮明に覚えています。わたしのことを説明してくれる本がある。わたし以外にも、同じ悩みを持っている人がいる。そう感じられたことは、当時のわたしにとって大きな救いでした。
わたしはHSPなのかな
HSPのチェックリストのうち、わたしがよく当てはまるものは、主に「他人の顔色が気になる」という部分でした。そのほかにも当てはまる項目はあるものの、五感の繊細さは人並みと言わざるを得ませんでした。
本当はHSPではないかもしれない。
でも、HSPだと信じたい。
そんな葛藤が始まりました。
もしわたしがHSPならば、「誰かが少し不機嫌なだけで逃げたくなる」理由を説明できる。HSPだから仕方ない、と根拠をもって言い切れる。だから、そうだと信じたかったのです。このつらさが「自分の弱さのせいではない」と思いたかったのです。
一方で、自分をHSPという枠に当てはめるとき、そこで行き止まりになるような不自由さを感じてもいました。HSPは生まれ持った気質で、変えることのできないものだと言われています。わたしの苦しさも、生涯手放すことのできないものなのだろうか、と考えると気持ちが重くなりました。
複雑な思いを抱えながらも、HSPの概念につよく惹かれ、いろいろな本を読み漁りました。でもやがてその熱は冷め、興味はほかに移っていきました。
「誰かが少し不機嫌なだけで逃げたくなる」問題に向き合ってみた
HSPの概念を知ったころから、自分の心と向き合うことに取り組んできました。5年あまりが経過した2023年、「誰かが少し不機嫌なだけで逃げたくなる」問題に、真正面から向き合うことになりました。かつてはHSPの特徴だから、あきらめるしかないと思っていた課題です。
過去の経験と感情を紐解くと、幼少期からの母親との関係が大いに影響していることがわかりました。
幼いときから今に至るまで、わたしは母の不機嫌を非常に恐れていました。わたしの言動がよくないから、母が不機嫌になる。挽回の余地はなくて、機嫌が直るまではわたしの居場所はここにない。「ここにいることを母に許されていない」という感覚は、非常につよい恐怖のトリガーになっていました。
小さな子供にとって、養育者から見放されることは、命の危険を意味します。わたしにとって母の不機嫌は、命の危機を感じる恐怖として染みついていたのです。
そういう心の因果関係は、誰と関わるときにも同じように適用されるものです。職場では、「不愛想な声」「きつい口調」は程度こそあれ、どうしたって日常茶飯事。
そのすべてに「ここにいることを相手に許されていない」という解釈を無意識のうちにしてしまう。その結果、常にエマージェンシーコールの鳴り響いているような危機感の中に暮らしていたのです。
自分の心の因果関係に自分で気づくこと
その根源にあった母親との関係で、自分の抱えていた傷と望んでいた関わりを自覚すること
自分の課題と母の課題をわけること
欲しかった言葉を自分にかけること
ひとつひとつを腑に落とすたびに、常に大音量で鳴り響いていたエマージェンシーコールは小さくなっていきました。
HSPだから仕方ない、は本当?
自分はHSPだから、まわりの顔色をうかがって暮らしていくしかない。
そう決めつけるのは早計だと、今のわたしは考えています。
もちろんHSPの特徴である「感じる力の強さ」ゆえに、しんどさを感じておられる部分もあると思います。
一方で、あなた特有の「心の因果関係」が、まわりの人への反応をより一層過敏にしている可能性もあります。
あなたはもっと安心して暮らせる。
もっと自由に生きていい。
その可能性を伝えたくて、わたしの経験を書きました。
「心の因果関係」に踏み込む具体的な方法については、記事を分けて紹介しますね。
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