にわかだけど「球根」が一番だなというのはすでに確信している、それぐらい神曲
イエモンのにわかファンです。今、片っ端から曲を聴いています。
有名な曲はいくつか知ってたし、アルバム「SICKS」は持ってるのだけど、色々思うところあって本格的に最近ハマり出し、片っ端から聴いていこうと思った。ここに至る過程は長くなるので書きません。ただ一ついえることは、あと5年早くハマりたかった。
さてYouTubeでMVを片っ端から見ておりますと、どの曲もめちゃくちゃいいなと思う。しかし先日、ついにとんでもない神曲と出会ってしまったのです。それがこれだッ
球根。
タイトルだけ見ると明るい曲か暗い曲か予測がつかない。しかしコメント欄を見る限り恐らく後者だろうと思いながら聴いたら、凄かった。
「髪の毛〜・・・手の平〜・・・」という陰鬱な入りから徐々に盛り上がっていき、サビの、なんですかこれは、人間として生き切る覚悟を時代に刻みつけるかのような歌詞と、自己に眠る強固な底力を押し出そうとするような歌唱。これにはぞわぞわぞわっと身震いがしました。
身体で身体を強く結びました
夜の叫び生命のスタッカート
土の中で待て命の球根よ
悲しいだけ根を増やせ
「身体で身体を強く結びました」は、イエモンだしセックスのことだろうと最初思いましたが(実際そうでしょうが)、ある日明け方にふっと目が覚めた時、なぜか唐突に思いました。
——へその緒のことぢゃね!?
へその緒も身体と身体を結んでいるじゃないですか、で、最終的に「ここにいるよ!」という感じで世界に対するスタッカートのように生命が誕生する、そんなイメージが湧いたのです。
まぁ、セックスのことでしょうが私の中ではへその緒のイメージもあります。それにしても明け方唐突に新しい解釈がひらめく、というのは初めての音楽体験で、やっぱりそれだけのパワーがある詞なんだなと思いました。
あと最後に「咲け!花〜花〜花〜・・・♪」と連呼するように歌われるのですが(この表記だと安っぽいな)、初めて聴いた時は「花〜」というより「フンッなぁああぁ〜♪」と聴こえ、なんて歌ってるのか正直分かりませんでした。
しかしこれにも意味を持たせることができると思うのだ。どういうことかというと、聴いているうちに「フンっとしゃくり上げながら『頼む、咲いてくれ、なぁ、なぁ!?』」って叫んでる状況のようにも感じられてきたのです。
ライブだと「はな〜」とはっきり歌ってる時もあるので、単に吉井和哉の気分の問題でしょうが、泣きながらも花を咲かせようとする努力をやめず自分の魂に問いかける人の姿が浮かぶのです。皆さんもちょっと最後の「フンッなぁああぁ〜♪」のところぜひ聴いてみてください。文字だとあれなんで。
でも結局この曲で最も優れたところは、やはり「球根」をテーマに持ってくるワードセンスだと思います。
さっきも書いたけど明るい曲か暗い曲か予測させないタイトル。しかも種じゃなく球根というのはありそうでなかった。さらに魂に喩えている。絶妙ですね〜。考えてみると、種は殻に守られてるし水がないと無力で育たないイメージですが、球根はそもそも根っこだから、自分で育っていけそう。
かゆいところに手が届くとはまさにこのことです。いや、こないだの平和な休日の記事に貼った「BURN」の歌詞風にいうならかゆかったはずの部分が吉井和哉の手でいつの間にか「性感帯」にされた感じ。それぐらい気持ちよく届いてくる。
ほんとにこれに限らず「あぁこういうふうに言えばいいんだ」ってなる詞が多いんですよね〜。日本語の美しさや強さがいつもガッとくるんですよ。こういう詞を書ける人になりたかった。
「球根」聴いてると素直に頑張ろうって思えます。変な表現ですが聴いてると顔の裏側をググッと押されてる感覚になる。単に泣きそうになるのとは違うのです。何か熱いものが押し寄せてきてるような、それが顔の外に出たがっているような感じ。もしかしたらその熱い何かが私にとっての根を育てる原動力なのかもしれません。
もう1週間ほど、ずっと聴き続けています。
今後もイエモンを片っ端から聴いて新たな名曲に出会えると思いますが、恐らく「球根」が私の中での一番だろうというのは確信しています。こんなにハマれる一曲というのは、そうそう出会えるものじゃない。もし万が一「球根」超えの神曲に出会ってしまったらその時はすいません(?)、また報告します。
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