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誤用を永遠と繰り返す屈託のない私たち


 「延々と」を「永遠と」と書く人間が多すぎる。

 発音の観点でいえば「店員」が「定員」になるのと同じことだと思うのだが、Googleレビューなどで「店員」を「定員」と誤記している人はあまり見かけない。当たり前だが「洗濯機」を「せんたっき」と発音はしても、文字で「せんたっき」と書いている人は見たことがない。
 ところが「延々と」にはなぜかこれが通用しないようで、耳で聴くままに「永遠と」と書く人間があまりにも多い。体感では、もはや「永遠と」の方が多く見かけるレベルである。
 もしかして、ほんとに「永遠と」だと思ってる……?意味もちょっと近いし。いや、私が知らないだけで、既に「永遠と」は辞書にも載っている新しい言葉なのか?いやまさか……。

 もう一つの可能性としては、「誤りだと分かっているがわざと使っている層が多い」ということもあるのだろうか?
 「延々、永遠、あれ?意味似てね?面白!」と思った人が一定数いて、その人らが面白がってわざと使っている。そういうことも考えられないか。
 たとえば私は「頭痛が痛い」という日本語に一切違和「感」を「感じ」ない。だが違和感を感じる人にとってはイラッとするのかもしれない。でも私は違和感を感じないから、普段わざと使っている。noteでも使ったことある気がする。
 それと同じことかもしれない。だとしたらお互い様だ(?)

 でも、私は人の誤字などどうでもいいのだが、「永遠と」は異常に多いのでさすがに気になるのである。いや誤字というか、はっきり「えいえんと」と書いてるわけだから誤用である。あなたは「店員」も発音のままに「定員」と表記するのですか?しないでしょ?それと同じだよ?


 こんなことをウダウダ書いているのは、先日同期がチャットで「永遠と」と表記していて少しがっかりしたからである。


 仕事中のテキストでのやりとりではこういうこともあった。ある日、こんな文面が飛んできた。

 「みなさんの屈託ない意見をお願いします。
   

 ん……

 ん……!?

 ン!?

 これは誤用ではないのか。

 「忌憚ない」が正しいだろうと思いながら「屈託ない意見」で検索すると、やはり正しくは「忌憚ない」だった。

 これを書いたのは別の部署の人だが絡む機会は多い。掴みどころのないおじさんだが、そこがなんとなく面白く嫌いではない。しかし指摘する勇気は、もちろんなかった。
 あるいは彼自身もこれを書くとき「あれ?こんな時ってなんて言うんだっけ?『屈託』ってなんか違和感あるよな?なんだっけなぁ……まぁいいか」と思ったかもしれない。それを想像するとますます面白く思った。あまり調子が良くなくて沈んでいたのだが、ちょっと笑えた出来事であった。



 入社したての頃同期の一人が、課題が難しかったという文脈で「煮詰まる」という言葉を使っていた。
 それに対し「『煮詰まる』は結論が出る時とかに使うので、『行き詰まる』が正しいです」と優しい上司から指摘が入った。これは私も知らなかったため、勉強になったし、印象深い出来事だった。
 ここまで永遠だの屈託だのと書いてきたが、私自身も誤った日本語を相当使っている(この文もどうかと思う)。日々勉強である。

 まぁ、言葉というのは時代とともに変わっていくものだから、ほんとはあんまり目くじら立てたくないんだけど。



【今日のおすすめの一曲】

エレファントカシマシ「風に吹かれて」

 名盤「明日に向かって走れ-月夜の歌-」収録。
 初めて聴いたときは「渋っ!」と思ったなぁ。イントロ。昔の刑事ドラマにありそうなどと子供心に思ったものです。
 これも素晴らしいけど、New Recording Versionがすごくすがすがしくて美しくてとても好きです。
 
 



    


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