#12 『やっぱ好っきゃねん大阪』(大阪)
話し相手JAPAN TOURとは
『常連さん』
「さてと、俺、帰りますわ」
「お、おう・・・」
「あ、そしたら俺も帰ろっと」
「あ、そう・・・」
学校の帰りに寄ってくれる高校生が何人かいてた。その時に『話し相手』になってる人がいたら、ちょっと待ってくれてたりして、その間に、別の高校生が来たりすると、いつの間にか知らんモン同士が友だちになってる事がある。
結果、話し相手のオッサンそっちのけで盛り上がって、そのまま遊びに行ったり、帰ったりする。
「明日もやってます?」
「お、おう。たぶんやってると思うけど」
「ほんなら、また来ますわ」
「おぉ、またな・・」
「キミら、何しに来てんねんな!」
いや、まぁ、それはそれでエエねんけど。
大阪に到着したのが4月16日で、その日の日記には「大阪、バンザイ」と書いてありまして、まぁ、それまでの道のりが、なかなかシンドかったというのはよく覚えてます。
名古屋で学んだのが、同じ場所での長期(とはいっても1週間)滞在が『話し相手』のオモシロさでした。
名古屋から京都までは、特にココでやろうという気もなく、京都で惨敗して逃げるように大阪に辿り着いたら、歩き始めた時に思い描いてた『話し相手』のイメージとドンピシャだったので、ついつい、大阪梅田の阪急東通り商店街の入ったとこで、毎日『話し相手』をしていたら、なんか4日目にして常連さんが出来はじめました。
また来てくれるという嬉しさというか心地よさというか、そういう部分は間違いなくあったのだけど、その気持と、もうひとりの自分が「いやいや、そういうことではないんや」というせめぎあいが、あったような気がします。
『ナワテさん』
「まずな、こんな道端にテーブル出して『占い』やなくて『話し相手』って書いてる時点で5,000円やな、そんで楽しましてもろた分が5,000円や」
久々に見た1万円札に、ちょっと後ずさりした。
「いやいや、あきませんて、それはなんぼなんでも、これもらったらクセになりますから」
「嫁さんと30年ぶりに梅田で映画見てな、うまいもん食おっちゅうてメシ食って、そしたらおにいちゃんのコレ見つけて、ちょっと寄ってみよっちゅうて来たんや。久し振りに笑ろたわ」
「にしても、1万はあきませんて。」
「1回出したもん引っ込めるわけイカンやろ」
「はい、そぉやろなぁと思いながら断ってるんですけど、万一、引っ込んだらどぉしよって・・・」
「アハハハハハハハ〜」
ずっと横で笑ってた奥さんが
「他の人からもろてへんねやろ、その分やと思て、ええから、取っときって、わたしら四条畷(しじょうなわて)でお店やってんねんけどな、なんとかうまいこといってんのよ。今日は楽しかってんから、エエやないの」
「ホンマですか、そしたら・・・あッ、ちなみに映画はなに見たんですか?」
「グリーンマイルや。グリーンマイルよりおもろかったで」
「いや、グリーンマイルって感動する映画ですやん・・・見てないですけど」
「アハハハハハハハ〜」
いつか、四條畷のお店に行かなアカンなと思った。ただ、名刺も貰ってないし住所も聞いてなかった。
ナワテさん(四條畷でお店をやってるので勝手に、そう呼ばせてもらってます)だけでなく、お世話になった人がたくさんいて、会いたいなと思うんですけど、顔をなんとなく覚えてる人もいれば、出会った時のエピソードしか覚えてない人の方が多いので、きっともう会えないだろうなと思っています。
どっかで、このnoteを目にしてくれたりしないかなと思ったりして、それであの頃の誰かに会えたらありがたいなと思いながら書いてたりもします。
『あやしい外人』
「コンナンヤッテ モウカッテマンノ?」
「いや、金はもらってないんでね」
「ソシタラ ドウヤッテ クッテマンノ?」
分かるかなぁ〜?と思いながらツアーの説明をした。
阪急東通り商店街で1週間『話し相手』をやった後に、大阪のナンパ橋(正式名称:戎橋)に移動した。
大きな理由はなかったけど、もうちょっと大阪にいたかったというのと、きっとナンパ橋にも、濃いキャラの人がいてるんちゃうかなと思って来てみた。
そんな時に、見事な大阪弁を使うトルコ人が近寄ってきた。まぁ、本人が「ワシ、トルコジンヤネン」と言ってただけなんで、ホンマにトルコ人なんかどうか正直、あやしかった。
話し相手になってる事、お金は頂いてない事、出身は大阪で東京でコメディアンをやってて、東京から歩いて来た事を、特にリアクションするわけでもなく「ホォ〜」「ヘェ〜」「ハァ〜」「ホンマカイナ」と冷静に聞いてた。
「カワッタコトシテマンナ」
「で、あんたはナンの仕事してんの?」
「ソレハ チョット イエマヘンナ」
そぉ言って、携帯でどこかに電話して、トルコ語をしゃべってた。なんか大阪弁の方が流暢やった気がするし、正直、トルコ語かどうかもアヤシイ。
『大阪のオバチャン』
世の中はゴールデンウイークに突入してた。『みどりの日』(*元々は天皇誕生日で、その後、みどりの日を経て、今は昭和の日)の今日、ナンパ橋には昼からパフォーマーがいた。
大阪のオバチャンは、自分が思ったことを心に留めるという事ができない人種であり、思った事は、基本的にスグ声に出す。簡単なマジックを見ながら、オバチャンは心の声を発する。
「うわうわうわ、えぇッ、今のどないなってんの?」
オバチャンの目の前で繰り広げられてるのは、何も書かれてないスケッチブックを閉じて、もう一度開くと絵が描かれてて、更にもう一度開くと色が塗られているという非常にオーソドックスなマジックだ。
ページを開くたびに
「ちょっとまって、さっき何も描いてなかったやんか!」
別に誰かに聞いてるわけでも、パフォーマーにクレーム付けてるわけでもない。たぶん、声に出てることすら気づいてないかもしれん。
最後に、色の塗られてたスケッチブックを閉じて、もう一度開くと元の白紙のスケッチブックに戻ったのを見て、オバチャン・・・
「はぁ〜すごいわ。わたしには、でけへん」
そう言い残して、その場を去っていった。オバチャン、この場にいてる全員が分かってるで
オバチャンには、でけへんって。
『宮本さん』
「ホンマ、コイツとな、けったいなことやっとるなぁ〜って言うとったんや。そしたらコイツがな『ちょっと行ってみよ〜や』って言うからな、ワシはやめとけって言うたんやけどな、いや〜、ホンマ『話し相手』って、ちょっとおかしいやろ、しかも金もろてへんって、いや〜、ホンマ、どぉかしてるで。遠慮せんと食わなアカンで、かっちゃん」
宮本さんとリエさんは、オレの事を『かっちゃん』と呼ぶ。最初は『にいちゃん』やった。
通称ナンパ橋、難波の名所で阪神ンタイガースが優勝した時にカーネルサンダースが投げ込まれた橋、最近では阪神の優勝とは関係なく、ちょっとしたイベント事として勢いだけでアホが飛び込む橋になってしまった。
その橋の上でツアーをやってたら、リエさんが来てくれた。ちょっと離れたところで宮本さんがこっちを見てた。
「ほら〜、タダやって、ちょっと来てみぃや、オモシロそうやから」
「ええって、もぉ行こや」
「なんでぇ、オモシロイって」
「カッコ悪いがな、こんなちっこいイスに座って、えッ、『話し相手』って、これ何すんの?」
いつの間にか宮本さんはカッコ悪いちっこいイスにどっかり座ってた。
「よし、気に入った。にいちゃん、店たたみ。はよ、飲みに行くで」
「はい、行きましょ」
本腰入れて飲むっていうのも1ヶ月ぶりで「とりあえずビールから」っていうのもなく、お店に入ったら、いきなりウイスキーの水割りからスタートで、けっこうキツかった。
それ以上にキツかったのが、ショータイムがあって、ここんとこ目にしてなかったキレイなおねぇちゃんのオッパイが目の前でプルンプルンしてた。
キレイなおねえちゃんたちは、今は、おねえちゃんたちで、元々は、男子なのだが、キレイなオッパイだったので、シッカリとアンテナが反応してた。
飲みに連れて行ってもらったお店は『ジャック&べティー』という有名なニューハーフのお店やった。
それほど好きではない酒を久々にのみ、今後また縁遠くなるであろう大好きなオッパイの形を目に焼き付けた。
オッパイに男女の差はないのだと、いや、あるで、あんねんけど、この時は、見極めるチカラがなかったというか・・・やめよう。そんなに熱く語ることでもない。そして、名残惜しく店を出た。
「そしたら、難波にもどりますわ」
「よっしゃ!かっちゃん、次行くで」
「あッ・・・はい」
全く聞いてない。次のお店は、カラオケのお店やった。
「そぉか、次はアマ(尼崎)へ行くんかいな、なんかあったら連絡しぃや、うちの兄キはアマ仕切ってるからな。飲みや、かっちゃん。ちゃんと食ってるか?明日から食えるか分からんねんから、食いダメしとかなあかんで、これポテトうまいで、かっちゃん、食いや、遠慮したらあかんで」
さんざん飲んで、さんざん食って、さんざん歌って、あ、歌ったのは主に、宮本さんとリエさんだった。
カラオケのお店を出て、2人はホテル街に消えて行った。
オレは難波から遠く離れた十三(*約10キロ)で途方にくれて、ちょっと明るくなった頃、宮本さんとリエさんにナンパされたナンパ橋に向けて歩き出した。
何年か後に、仕事で大阪へ行った時に、宮本さんとリエさんに連絡したら会いに来てくれました。
「懐かしいなぁ。やっぱりあそこへ行っとこか、原点やさかいな」
そう言って『ジャック&べティー』に連れて行ってくれました。2年経ってやっと分かったんですが、オッパイに男女の差は、ありました。
東通り商店街に1週間、難波の通称ナンパ橋には5日いて6日目に雨が降って、その雨が上がってから大阪を出ました。
東京を出発したのが3月22日。4月30日に大阪を出ました。なんだかんだで1ヶ月ちょっとしか経ってなくて、ものすごい歩いてたのに、ものすごい急いでたような気がします。
理由のひとつは、親戚の伯父さんが入院してたからでした。大阪に着いてお見舞いに行き、大阪を出る日に雨が降ってお通夜がありました。
大阪を出ようと決めてお通夜を迎えたのか、お通夜を終えたので大阪を出たのか、あまり覚えてません。
阪急東通り商店街での1週間では、276人の人が『話し相手』に来てくれました。
さて、大阪が終了したので、次回は神戸・・・の前に、挿し絵師が、かなり前に描いてた兄の(つまりオレの)『幼少時』を全編漫画にてお届けしようと思います。
ご期待?ください。
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