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#27 パレットくもじ(沖縄の宿)

しばらく連載がストップしておりました。
夏休みを満喫していたわけではなく、むしろ、モヤモヤっとしております。
不要不急というのは、どこからどこまでなのか?
実家に帰省するのが一律で不要不急とするのは、えらく乱暴だなと思ったりします。そして、またモヤモヤっとが膨らんでいきます。

この【話し相手JAPAN TOUR】を読んでくださってるみなさんが、少しでも家族や大切な人との時間を楽しく過ごせていればいいなと思ってます。

20年前のちょうどこの季節(7月20日〜8月31日まで)完全に小学生が過ごす夏休みと同じ期間を真夏の沖縄で過ごしました。

沖縄に辿り着いた翌日から3日間、沖縄サミットがあり、厳戒態勢の町の中をリュック担いでウロウロしてたり、国際通りの入り口にテーブルとイスを出して『話し相手』をやってたり、デパート(パレットくもじ)の2F吹き抜けで野宿してたりだったので、3日間は常に職質対象でした。


『いちゃりばちょーでー』

沖縄の言葉で『出会った人はみな兄弟』っていう意味だ。
言葉の響き的には『ちょ〜で〜』の部分が、たぶん『兄弟』って事になると思うので『いちゃり』の部分が、きっと『出会ったよねぇ〜』みたいな感じだと思う。

大阪には「いちゃりばちょーでー」という言葉こそないけど、感覚的にはよく分かる。いい意味だと「気さくな」とか「親しみやすい」となるが、悪い意味だと「なれなれしい」とか「気遣いのない」ということになる。
もっと悪い意味だと「人の心に土足で入ってくる」という感じ?とにかく大阪人のDNAには、沖縄の『出会った人はみな兄弟』に近いものが組み込まれてる。

沖縄での1ヶ月半を書いた日記を読んでも、思い出せない事がたくさんありました。
そんな中に『1万人のエイサー踊り隊』に参加する団体の人に声をかけてもらって、一緒に参加させてもらえる事になって、それはそれはテンションも高く、毎日楽しく本番に向けて練習してる。という日記を書いてるんですけど

え〜?そんなイベントに出たっけ?

と、スッカリ記憶が抜けてました。声をかけてもらったのは、7月31日だったようです。


『エイサー祭り』(7月31日の日記)

スゴイことになった。1週間後に行われるエイサー祭りのフィナーレ『1万人のエイサー踊り隊』で、沖縄代表の2400人の一人として踊る事になった。

というのも、いつものように国際通り入り口の吹き抜け&筒抜けの宿『パレットくもじ』の2Fで寝ようとしてた。
1週間後にエイサー祭りのフィナーレを迎えるという事もああって、2Fの広いリビング(と勝手に呼んでる場所)で、エイサーの練習をするグループがいた。

*エイサーとは、盆踊りのような沖縄の伝統芸能で、旧盆の夜に地域内を踊りながら練り歩く祭りである。踊りの型はいくつかあって、各地域の青年会が、大太鼓や、締め太鼓を叩きながら踊る『太鼓エイサー』が多いが、北部の方では、太鼓を使わない『手踊りエイサー』もあって、こちらがエイサーの原型と言われている。

いくつか踊るエイサーの中に、見覚えと聞き覚えのある踊り曲があった。初めてエイサーを知ったのは4年前、目の前で中学生(小学生もいたかも)たちが踊っていたのが『ミルクムナリ』という曲で、そのエイサーが、めちゃくちゃよかった。

沖縄2

突然4年前の記憶がブワァ〜っと蘇って、そのグループが踊るのをずっと見てた。時間だけはタップリあったので、しばらくしてちょっと離れたとこで、見よう見真似で踊ってた。で、いつのまにか教えてもらってた。完全に、いちゃって、ちょーでーになってた。

2時間後、なんとかギリギリ踊れるようになって、満足して寝ようと思ったら「あんた、今日から1週間一緒に練習して、わたしたちと出なさい」と言われた。というのも、この12人のグループから1人欠員が出たらしく、枠がひとつ空いていたのだ。え?ええの?そんな中に1人大阪人が紛れ込んでええの?

沖縄2400人の代表の中の1人になるわけで、正直、ええのかなぁ?と思いながらも「みなさんの足を引っ張らないようガムシャラに練習します」と言ってた。

そんな貴重な経験をしてるのを忘れてました。
加齢で?とも思ったのだけど、その後を読み進めて思い出しました。

記憶から消したかったんだなと。人は忘れる事が出来るから生きていける。というような言葉があるけど、たしかにそうだなと感じたりすることがあります。
この時の出来事が、それほどの事だったとは思えないのだが、忘れたかったんだと思います。
8月3日の日記には、だいぶ一緒に踊れるようになり、後は細かい動きの繰り返しを独り練習してた日の夜、いつものように、みなさんが集まってきた。

「福島くんゴメンねぇ、なんだかヤル気にさせといてねぇ」
「そうですか、戻ってきはったんですか」
「どうしてもエイサーだけはやりたいって言ってね」
「それは、良かったじゃないですか」

誘ってくれた12人の集まりは、若い子とおばちゃんたちという職場の仲間で集まったグループだった。その中の一人が、仕事がイヤになり、エイサーからも離れていってたけど、昨日、エイサーだけでももう一度やりたいと連絡があったらしい。

沖縄3

これがキッカケで、また職場にも戻ってこれたらええのになぁ。

たぶん、ここにいると、その人も練習に参加しづらいだろうから、ちょっと『話し相手』に行ってきますと言って、我が家のリビングから離れた。

記憶から消したかったというのは大袈裟ではあるのですが、沖縄での前半は、なんだかそういう事の連続で「なんで沖縄に来てんやろ?」と、思いかけてた時でした。
沖縄の人たちに、ちょっと『いちゃられ』過ぎてて、そのトドメの出来事だったのを思い出しました。


『親方さん』

「なにをやっとるのかね」
「話し相手の全国ツアーです」
「変わった仕事をしてるんだね」
「いや、仕事ではないんですけどね」

50ccバイクの王様・スーパーカブで通りかかった親川(おやかわ)さんは、いかにも沖縄の人という感じの日焼けで、いや、これは日焼けを通り越えて焼けがドップリ染み込んでる。ちょっとちっちゃい人の良さそうなおっちゃんだった。仕事ではないというのが引っかかったようで

「仕事もしないでどうやって食べていくのかね」
「そぉなんですよ!」
「ダメだよ、そんなことをしていたら。」
「ダメっすよね!こんな事をしてたら東京に戻れないんですよ。」
「なに、東京の人かね?」
「ルーツは大阪ですけど。なんか仕事ないですか?」
「ないことはないけどもね」
「ホンマっすか!」
「エイサー祭りが1週間あるんだけれどもね、その時にビールを売ろうと思ってるんだけども、手伝えるかい?」
「手伝えるもナニも、今日から、いや、今から『親方』と呼ばして下さい。『あにき』の方がイイですか?」

「あんた、おもしろそうだから売れそうだね。」
「売りまくります」
「じゃあ、夜にココに来たら会えるのかね」
「控えております。物さえあれば今日からでも売りますけど」
「そんなに慌てる事はないさ。」

親方さんの親川さんは、去り際に

「市場でセリをする前に野菜なんかを並べる仕事するかね?」
「親方!これは運命の出会いってやつですかね」
「そんな大袈裟な事ではないさ」
「福岡の市場で働いてました(小さい声で最後に「一日ですけど」って言いました)」

なんか話がトントン拍子で進んでいき、親川親方はニッコリ笑ってバイクで去っていった。

三ノ宮でのテキ屋のお手伝い、博多の花屋さんでのバイト、それが沖縄で実を結ぶ・・・かどうかは分からんけど、なにはともあれ繋がってる様な気がして嬉しかった、そのままエイサー祭りが始まるまでは・・・

結局、親方とはあの時以来会う事はなかった。



『爆笑姉妹』

「おにいさんさぁ〜、アロハとか持ってる?」
「オシャレきわまりないアロハを1枚だけ持ってますよ」

国際通りを車で通過していった姉妹が大爆笑して、そのまま通り過ぎていくかと思いきや戻ってきた。

「わたしの勤めてる旅行会社の添乗員のバイト聞いといてあげよっか?」
「えッ、アロハ持ってるとバイトできるんですか?」
「ウチナー顔してるし、大丈夫だと思うよ」
「(質問の答えになってないんですけど)そぉですよね」
「じゃぁ、明日連絡するからさ」
「大丈夫っすか?オレ、沖縄の事、シーサーのオスとメスの見分け方ぐらいしか知りませんよ」
「えッ、どぉやって見分けるの?」
「口の空いた方が雄です。ちなみに向って右に口の空いた方を置くんですよ」
「へー、すごいねぇ、沖縄の人でもなかなか知らないよ。」
「いや〜、助かりましたわ、実はあと2,000円しかなかったんですよ」
「アドベンチャーだね」

そぉ言って笑いながら姉妹は路駐してた車で去って行った。その後、女親方からの連絡はなかった。

沖縄6

ええねんけどなぁ〜別にバイトがアカンかったらアカンで全然ええねんけどなぁ。「いやぁ〜、やっぱりダメだったね。住所がないのがねぇ〜」って言うてくれたら

「いやいや、住所はパレットの2階ですやん!」

って笑って話せんねんけどな。
バイトがなくなるのは全然大した事ないけど、連絡がなくなんのがちょっと寂しい。金の限界より、気持ちの限界の方が応える。

オレがココにいてる事で親方や爆笑姉妹がふだん通る道を避けてるとしたら、なんか悪いやん。

たぶん、親方も、爆笑姉妹も「悪い事したなぁ」って思って連絡しにくいんやと思うけど『ちょーでー』には『ちょーでー』の接し方みたいなもんがあるんちゃうかなと・・・まぁ、オレ自身よくよく考えたら、いちゃった人たちと『話し相手』をしてたから同じか!そうだ、同じだ!!
沖縄風にいえば『全国いちゃればちょーでーツアー2000』やったもんな。

ツアーを終えて沖縄を出る前日の8月30日に、お世話になった沖縄に感謝の意味を込めてたかどうかは忘れたのですが、国道58号線に『本日限定、手伝います!』って段ボールに書いて立ってました。
スグに軽トラックに乗った地元の若者2人に声かけられました。

「何を手伝ってくれよんの?」
「何でも。リクエストに応えるよ」
「いくらしよんの?」
「いやいや、お手伝いやから、タダで。」
「ほんとにぃ、ちょっと待っててよ。ここにいてよ!」

そぉ言って去っていった2人の若者は戻ってきませんでした。最後の最後に、またか!と、なりました。
ちょっと『いちゃり過ぎ』やわ!

次回は、沖縄で出会ったストリートミュージシャンのテッちゃん。
テッちゃんは、沖縄から奏でる旅をスタートさせて、まだ日焼けも生ぬるく穏やかな感じで、オレは沖縄をゴールにして、日焼けが染み込んで、かなりワイルドになってました。
そして、お互いのテンションは、なんとも真逆な感じでした。


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