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四弘誓願

衆生無辺誓願度 (しゅじょう むへん せいがんど)
煩悩無尽誓願断  (ぼんのう むじん せいがんだん)
法門無量誓願学 (ほうもん むりょう せいがんがく)
仏道無上誓願成 (ぶつどう むじょう せいがんじょう)

2024年7月の第一週、臨済宗 最古の修行道場 圓福寺で二日間の修行(摂心)の体験をさせて頂きました。昨年6月にもお世話になりましたが、他力を実感する素晴らしい修行体験でした。そして、二回目の今回、忙しい中スケジュールを調整して同行してくれた友人僧侶が、心を込めて唱えていたのが『四弘誓願(しぐせいがん)』でした。

今までも何度か聞いたことはあったとは思います。ただ、曖昧にしか記憶に残っておらず意味も不勉強でした。ただ、色々なご縁が繋がった摂心という特別な場で聞いた、友人が唱える四弘誓願にはとても強いエネルギーを感じました。

仏教の役割

私は昨年の6月に浄土真宗 大谷本願寺派で得度をしましたが、極めてカジュアルに、言わば生涯学習の一環、言い方を選ばなければ趣味の一つとしての得度でした。なので、葬式・法事などの宗教行事にはあまり興味がなく、職業として僧侶を選んだ訳ではありません。それよりも仏教が伝える「今を生きる」ための思考や訓練とその実践について学びを深めたい、そして、その学びをより多くの人に伝えたいとの思いがつながった得度でした。

そもそも、仏教は日本の長い歴史で大きな役割を果たし、人々が様々な不安を乗り越えることを支えてきました。将軍の戦略コンサルタント、寺子屋で学ぶ子供たちの教師、苦しみ悩む患者の医者やカウンセラー、そして悟りを求める人のコーチなど様々な役割を僧侶が果たして来ました。

時代は代わり複雑で不確実性が高い社会となり、人々の抱える不安も劇的に複雑に変化しています。しかし、仏教には時代を超えて普遍的に人々の安心を支える教えがあると私は確信しています。

そのような背景があり、宗派を超えた仏教や宗教、仏教や宗教が伝える修行の実践、科学的な根拠や科学を超える視点、より多くの人に伝わる現代的な解釈を深めようと学んでいます。

そして、『四弘誓願』には、そんな私が誓い願いたい僧侶の本分が簡潔にまとめられていました。

私にとっての仏教とは、仏を目指して生きて、そんな生き方を仲間に広げていくサークル活動のようなものです。そして、目指す仏とは、厳しくも精進すれば誰もが実現可能だと信じられる存在です。自分よがりな感情が邪魔をする苦しい現実を受け入れて、希望を忘れずにみんなの幸せを心から願う存在です。死んだ後に実現される存在ではなく、現世の生き方として目指す究極の存在です。

当然、極めて厳しい達成困難な存在です。ただ、究極のロールモデルとしてお釈迦様や過去の先人たちの生涯とその教えがあり、その境地に一歩でも近づこう、一瞬でも達しようと挑戦して今を生きることにこそ意味があると今は理解しています。

摂心の場で友人が唱えて心を動かされた四弘誓願には、そんな私にとても大きな意味がありました。そんな四弘誓願が伝える内容を、私なりの解釈として言語化してみます。

衆生無辺誓願度 : 苦しんでいる人の役に立ちます
煩悩無尽誓願断 : 自分よがりな感情に囚われません
法門無量誓願学 : いつまでも学びつづけます
仏道無上誓願成 : 仏を目指して今を超えて生きます。

私自身は欲深くてまだまだ誘惑に負け続ける日々で、仏には程遠い現状はとても恥ずかしい限りです。しかし、それでも仏となれる希望を持ち続け、これからも日々挑戦していく生き方を実践していきます。

そんな生き方を仲間に広げていくサークル活動にご興味があれば、ご連絡下さい。

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