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【世界に挑戦した私の軌跡3】アメリカ本社への出向・転籍、アメリカ永住 : 次の夢を諦めた話

この話に繋がる以前のnoteはこちらから、
アメリカ本社への出向・転籍、アメリカ永住の軌跡1 : コネのお蔭
アメリカ本社への出向・転籍、アメリカ永住の軌跡2 : 米国本社への転籍


当初の目的通り米国本社に居座る事が無事出来た僕にとって、次の大きな夢はグローバル・リーダーになる事でした。
日本以外では自国の社長の次ステップを米国本社やグローバルに求める事が多い中、世界で二番目の規模のある日本法人には国内で十分なポジションがありました。なので、更なるポジションを求めて日本からグローバルに挑戦する必要性は限られ、かつ言葉や文化の問題もあり、安全で住みやすい日本を態々出て世界に活躍の場を求める日本人は限られていました。

人とは違う事に挑戦する事が自分らしいと感じていた僕にとって、日本発のグローバル・リーダーとなる事、そして同じような思いを持つ日本の後輩達に挑戦の場を提供できるようになる事はとても刺激的な挑戦でした。そして、当時思いは何でも叶うと信じていた僕にとって、次に目指すべき絶好の夢となりました。

先ず与えれた環境で実績を出そうと、意気込んだ在米日系企業担当営業としての滑り出しは、想定以上に順調で直ぐに結果を出せると自信を得ました。 日本の厳しい環境でお客様や上司・先輩に徹底的に鍛えて頂いていたお蔭で、言語の問題はあっても、営業としてのスキル、マインドは十分に競争力がある事を直ぐに実感できました。日系企業で働くアメリカ人エグゼクティブの多くが日本好きだし、海外駐在されている日本人エグゼクティブとの距離もとても近く、米国ではマイノリティである日本人営業である事が有利に働きました。文化や言語の障害はあっても、日本で鍛えられた気配り、慮る心、勤勉さは、お客様や米国人同僚に高い付加価値を提供できる事を確信できました。

「日本に鍛えられた日本人は世界で競争力を発揮できる。日本の素晴らしさは世界を更に豊かにできる。」と実感しました。

その結果、私が得たのは「圧倒的な生活の向上」です。

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新しい挑戦の為に、常に新しい事を経験している日々は特別でした。加えて、日本法人時代と比べてお客様や会社に貢献していないにも関わらず、給料はどんどん上がって行きました。お客様も社内も仕事よりもプライベートを優先し生産性に拘るので、勤務時間も大幅に削減されました。給料が上がるのはとても喜ばしい事でしたが、もっと大きな貢献をしていた日本法人時代はアメリカ基準では買い叩かれていたとも気づきました。

家族を大事にするのが当たり前の社会のお蔭で、色々と誘惑だらけの日本で身を持ち崩す事も結果的に避ける事が出来ましたw。 異文化の中で非日常を生き残る為に、家族一丸とならざる得ない環境が家族の結束と成長に繋がりました。

生産性高く効率的に仕事を出来る事になり、プライベートな生活も充実しました。日本を含めた年に数回の家族旅行や、趣味のテニスやマラソンにも打ち込め、日本では出会わなかったであろうユニークな友人達との輪も広がりました。「圧倒的な生活の質の向上」を得て、申し分の無い充実した生活を過ごしているつもりでした。

ただ、日本にいた時と比べて自らの成長の実感が無く、日本時代の貯金を切り崩している気分も持ち続けていました。振り返ると、次に掲げた日本発のグローバル・リーダーになるとの夢への思いが無くなっていたのが大きな原因だと思います。一つの大きな目標を達成できた自分に満足して、自らの更なる成長、次の夢へのストイックさを失っていました。すっかりアメリカ生活に甘やかされ、資本主義に毒されていました。

甘やかされ毒されている自分に、多くの言い訳を見つけるのは簡単です。当初想定していたよりも十分な生活の質の向上を実現している。他に自分のようなキャリアや経験を持つ社員はいないので、今の自分のポジションを脅かす存在はいない。アメリカに居続ける事だけで特別感を出せ、本質的にそれ程成長していない自分を隠せる。いかに自分だけ楽するか、楽に稼ぎ、プライベートの充実を求めるのが正しいと感じていました。いくつかの事件も重なり、日本発のグローバル・リーダーになるとの次の大きな夢を諦めていました。

自分に嘘をつくと、自分についた嘘を正当化する為に、更に嘘を重ねる悪循環に嵌まります。

多くのメンターや先輩・同僚に応援して貰ったと感じていたにも関わらず、夢を諦めて嘘をついていた自分に恥ずかしさを感じていました。その嘘を、表面的にはアメリカ生活を謳歌し、好きなお客様に役に立つ事にやりがいを持ち、仕事もプライベートを楽しんでいるとの言い訳で正当化していました。そんな現状を抜け出たいと潜在的には渇望していたと思います。知らず知らず大きなストレスを溜め、酒に呑まれた言い訳の日々を過ごしていました。 そして、お客様の為、会社の為、そして自分の為に良かれと判断した昭和な営業的リスクを不注意に暴発させ、23年勤めた会社を辞めざる得ない状況に繋がりました。

認知科学コーチング理論の学びから振り返ると、アメリカ転籍の最初の夢を実現したにも関わらず、次の夢を諦める言い訳を見つけ燃え尽き、自分の人生に迷い悩んでいたと思います。アメリカ生活やプライベートの充実を謳歌していましたが、実は過去に囚われた現状しか見ていない時間を長く過ごしていました。そして、そんな自分を恥じていたので、潜在的な創造的無意識が、会社を辞めて新しい事に挑戦する機会を無理矢理作ったと考えられます。「言い訳する日々は自分らしくない」とどこかで自分を信じる力を鍛えられていたお蔭でした。

その後、自分らしさを探す旅に出て見たら、自分の中に気づいた点と点が、世界への挑戦を応援するリーダーシップ・コーチに繋がっていたのは幸運でした。 応援下さった皆様とのご縁に心から感謝しております。

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追記1 : 幸い永住権は既に獲得していたし、アメリカのIT業界で潰しの効く実績もあり、子供の大学進学用の積み立てを食い潰せば暫くサバティカルをとれる資産もありました。自主的な判断では無く、想定せず会社を辞めたつもりでしたが、振り返ると創造的無意識の自主的な選択でした。突然の事で妻や家族には心配を掛けましたが、どうにかなるだろうと信じて応援してくれた事に感謝しています。

追記2 : 昭和な営業の取ったリスクが暴発して会社を辞める事になったと、お世話になった先輩方にもご報告した所、スケールは違うものの同じような理由の大先輩が何人かいらっしゃる事に気づきましたw




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